サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

読み込み解釈に要注意! 〜創世記4:2~5〜

聖書のある部分だけを切り出して、私的解釈した教えが横行している昨今ですが、もう一つ、聖書に書かれていないことを前後の文脈、聖書全体の教えから逸脱した勝手な『読み込み過ぎ解釈』にも気をつける必要があります。

 

創世記4:2ー彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

 

*弟アベルを産んだアベルが生まれたことにより、兄カインが創世記3:15の原福音で預言された『女の子孫』ではないことが明らかになりました。

 

最初の人アダムとその妻エバは、成人男女として造られ、次世代のカインとアベルの兄弟は赤子から人間の親に育てられました。

その過程において、両親からエデンの園での出来事を聞いて育ったはずです。

なぜなら、父アダムは『神の子』として、神のことば(教え)を伝えていくという使命があったからです。

 

ルカ3:38ーエノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。

 

ヨハネ3:34ー神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。

 

1コリント15:45ー聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

 

*羊を飼う者アベルの職業。乳、衣服、いけにえの動物として用いていました。
まだ、肉食は許可されていません。

 

*土を耕す者…長男カインの職業。父アダムの職業を継ぐ農夫となっています。



創世記4:3ーある時期になって、カインは、地の作物からへのささげ物を持って来た。

 

*ある時期になって…ある期間(時期)の終わりに、の意。

 

ハーベストタイムミニストリーズの説明では、「この時点で、すでに定期的なささげ物の時間が決まっていた。これは、初めてのささげ物ではない。それまでは、カインはアベルから羊かヤギを買ってささげていたはず。カインが血のないいけにえをささげる最初のケース」だと説明しています。

 

しかし、聖書は『それまでは、カインはアベルから羊がヤギを買ってささげていた』ということは何も記していません。

聖書に書かれていないことを『定期的なささげ物の時間が決まっていた』と断言することはできないと思います。
ここはむしろ、カインとアベルが成長し、職業を持つようになったという2節との文脈の中で理解すべきではないでしょうか?

 

創世記4:4アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。アベルとそのささげ物とに目を留められた。

 

では『ある時期になって』とは、どういうことでしょうか?

アベルの職業である『羊を飼う者』に注目すると、羊は季節繁殖動物であり、秋頃に交配を行い、150日ほどの妊娠期間を経て、2〜3月頃にいっせいに出産します。

その『初子の中から、それも最上のものを持って来た』時期と考えられます。

 

また、カインの職業である農業は、主に穀物(大麦や小麦)の栽培です。
大麦の収穫は春(初穂の祭り)であり、小麦の収穫(七週の祭り/五旬節)がそれに続きますから、『ある時期』とは羊の出産、および穀物の刈入れの時期と考えるほうがしっくりきます。

 

さらに、後のモーセの律法による『過越の祭り』も『初穂の祭り』も、季節は3月中旬〜4月中旬の春であることを考えると納得のいくものとなります。

 

過越の祭り】

レビ記23:4~5ーあなたがたが定期に召集しなければならない聖なる会合、すなわちの例祭は次のとおりである。

第一の十四日は、夕暮れに過越のいけにえをにささげる。

 

*第一の月…ニサンの月(3月中旬〜4月中旬)。出エジプト記12:1~14参照

 

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つまり『ある時期になって』とは、成長し、職を得てから最初の初子が与えられたり、最初の収穫を得た時のことであり、アベルとカインは自らの意志で神の御前にささげ物を携えてきたということではないでしょうか?

もしも、ハーベストタイムミニストリーズの説明どおり「それまでは、カインはアベルから羊かヤギを買ってささげていた」のであれば、カインもアベル同様に信仰があったことになり、穀物のささげ物をした時点で信仰を失ったことになってしまいます。

 

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それは、聖書全体の教えと一致しません。


私たちは聖書に書かれていないことまで『読み込み解釈する教え』には、気をつけなければなりません。

それが、使徒の働きが教えていることです。

 

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

創世記4:5ーだが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

 

私たちは、「カインのささげ物が受け入れられなかったのは、最上のものをささげなかったからだ」とか、「欲が出て少しささげ物を減らしたのではないか」とか、誰かの『読み込みによる解釈』を聞かされていますが、文脈から理解する必要があります。

 

それは、罪を犯した両親アダムとエバエデンの園を出された時、何を着ていたか、誰がふたりにそれを与えられたのか、罪との関係においてそれにどういう意味があるのかを考えなくてはならないのです。

 

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このように、普段私たちの信仰生活において、いかに文脈を無視した解釈を聞かされているかに留意しなくてはなりません。

 

ヨハネ17:17ー真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。


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