サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

エサウとヤコブ 〜創世記25:27~34〜

ここを読んだ多くの人は、ヤコブエサウを欺いたと思っていると思います。

しかし、当時の背景を知ると、ただ聖書を読むだけでは理解できなかったもう一つの視点から聖書の真理が見えてきます。

 

 

創世記25:27ーこの子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。

 

*この子どもたちアブラハムに与えられた『約束の子イサク』とその妻リベカとの間に生まれたふたごの兄弟、エサウヤコブ

 

創世記25:24~26出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。

最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。

そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。

 

 

エサウ…毛深い、の意。

 

*巧みな猟師…この文脈では、否定的な意味を持っています。

アブラハムもイサクも『羊飼い』であり、天幕住まいをしていました。イサクの長子であるエサウも、親の仕事を継いで羊飼いとして天幕住まいをする責任がありました。

 

*野の人…猟師は、一度猟に出かけると獲物を仕留めるまで帰っては来ません。

エサウも獲物を求めて、野宿をしながら何日も家を留守にしていたと思われます。

つまり、家族の絆、長子としての責任は二の次の生活をしていた、ということ。

 

マラキ書1:2~3ー「わたしはあなたがたを愛している」と

は仰せられる。

あなたがたは言う。

「どのように、あなたが私たちを

愛されたのですか」と。

エサウヤコブの兄ではなかったか。

ーーの御告げ。ーー

わたしはヤコブを愛した。

わたしはエサウを憎み、

彼の山を荒れ果てた地とし、

彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。」

 

ヘブル書12:16~17ーまた、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。

あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったがが退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。

 

エサウのような俗悪な者…これが、聖書が記すエサウの評価です

 

ヤコブ…かかとを意味する『アケブ』と同じ語源。かかとをつかむ者/追い出す、の意。この言葉において、否定的な意味はありません。

 

創世記27:36エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった」

 

このエサウのことばは、事実なのか、エサウの感情からなのかを吟味する必要があります。

 

ヤコブは穏やかな人となり…『穏やかな人』…ヘブル語:タム=『完全』の意

罪がないという意味合いでの『完全』ではなく、神に対する姿勢が『正しい』という意味。

創世記6:9では、ノアに対して『正しい人』

ヨブ記1:8, 22:3では、ヨブに対して『正しい人』

詩篇18:25では、神と人とに対して『全き者には、全くあれ』と訳出されています。

ヤコブに関してのみ誤解の上で、同じヘブル語が意図的に訳出されています。

 

*天幕に住んでいた…羊飼いという家業を継いだ、ということ。

ヤコブは次男でありながら、家族の絆、責任を重視した『長子の資質』を有していたということ。

 

創世記25:28ーイサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。

 

*イサクはエサウを、リベカはヤコブを愛していた…両親の偏愛 

イサクがエサウを愛していた理由は、単にエサウが獲ってくる獲物(ジビエ料理)が好きだったから。この点で、イサクは『神の選び』を無視していました。

一方のリベカは、神と同じく(マラキ1:2~3)ヤコブを愛していました。

 

創世記25:29ーさて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。

 

*飢え疲れてエサウが長子の権利を売った時の状態 

猟をするために野を歩き回った結果の空腹と疲労感。

 

創世記25:30エサウヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。

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*赤いのを食べさせてくれ… 『煮物』とは言わずに、「赤いの、赤いやつ」というように、相手を急かしたてて、一気にグイグイと飲むという動物的な食欲を暗示しています。

 

エサウの子孫は、『エドム(赤)人』と呼ばれるようになりました。

 

創世記25:31ーするとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい」と言った。

 

*長子の権利…親の財産の相続は、他の子どもの二倍。①物質的祝福

 

申命記21:17ー嫌われている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである。

 

②霊的祝福

1歴代誌5:1~2イスラエルの長子ルベンの子孫ーー彼は長子であったが、父の寝床を汚したことにより、その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行うものではない。

ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからであるーー

 

アブラハム契約では『霊的祝福』が前面に出ているため、物質主義であるエサウには興味のないものでした。それゆえ、エサウは長子の権利を軽視したのです。

 

創世記25:32エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と言った。

 

*死にそうなのだ…空腹の誇張表現 

 

アブラハム契約の物質的祝福を受けた祖父アブラハムから契約を受け継いだイサクの家には、他にも天幕があり、使用人たちもいました。当然、食物はヤコブが作っていたレンズ豆のスープ以外にもたくさんあったはずです。

なのに、わざわざヤコブのレンズ豆のスープを求めているところに、エサウの心の内が垣間見えるようです。

 

*長子の権利など、今の私に何になろう…新共同訳:長子の権利などどうでもよい。

長子の権利に含まれる物質的・霊的祝福を理解することのないエサウは、長子の権利を軽んじ、たった一杯のスープと引き替えました。

 

創世記25:33ーそれでヤコブは、「まず、私に誓いなさい」と言ったので、エサウヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。

 

*誓い…『誓い』によって、エサウの『長子の権利』とヤコブの『一杯の レンズ豆のスープ』という取引は、法的に有効になりました。

つまり、ふたごの兄エサウは一杯のレンズ豆のスープの代価として、『長子の権利』を弟のヤコブに払ったのです。

 

創世記25:34ヤコブエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。

 

エサウの行動

①食べた

②飲んだ

③立ち去った 

 

ここには、『ヤコブが兄を騙した』とか、『不正を働いた』というようなことは一切書かれていません。

聖書が記しているのは、エサウは長子の権利を軽蔑した』ということです。

 

創世記27:36エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった」

 

ヤコブは、兄エサウから長子の権利を『奪い取って』はいません。

よく考えもせず、取引を成立させたのはエサウの方です。

エサウは、アブラハム契約に基づく物質的祝福・霊的祝福を奪い取られたのではなく、自ら手放したのでした。

それなのに、自己中心的にあたかも自分が被害者のように受け止めているのがエサウです。エサウのこの性質は、後のエドム人に受け継がれ、イスラエルとは常に敵対関係にあります。

 

ここまで読んでもなお、ヤコブが悪者だと思いますか?

聖書的悔い改めは、聖書のみことばに合わせて自分の考え方を変えることです。

祝福がありますように。