サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ニコデモ 〜ヨハネ3:1~15〜

【聖書のみことばを読む時の鉄則】 
1)字義通りに読むこと。 
2)文脈に沿って読むこと。 
3)みことばを みことばで確認しながら読むこと。



第二ペテロ1:20ーそれには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。



第二ペテロ1:21ーなぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。



第二ペテロ3:16bーその手紙(15節-パウロの手紙)の中には理解しにくいところもあります。無知な心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。



第二コリント1:13ー私たちは、あなたがてへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。



さてさて、これらの注意点をふまえた上で、今日はニコデモさんの箇所を見てみたいと思います。ヨハネ福音書3:1~15です。



ヨハネ3:1ー【パリサイ派ユダヤ教の三つの派の中の一つ。他には、エッセネ派サドカイ派があります。パリサイ派は伝承を重んじ、モーセの律法に厳格だが儀式律法を強調していました。外面の細かいところに注意深く、人前での自己義認。霊的無知、聖書の曲解。少数派ですが、強力なものを持っていました。



ユダヤ人の指導者ーイスラエルの教師と呼ばれる律法学者で、サンヘドリン(70名からなるユダヤの最高議会)一員。分かりやすく言うと、東大教授であり、国会議員であり、最高裁の判事でもあるということです。



ヨハネ3:2ーそのような人物であるニコデモが、“夜”イエスを尋ねて来ました。夜ー律法学者ラビたちは、人に邪魔されずに律法を学ぶ最適な時間としていました。他のラビたちが家で静かに学んでいる時に、ニコデモはひそかにイエスのもとに来たのです。


彼は、本当はイエスに訊きたいことがあったのに、挨拶とも、お世辞とも、または彼自身のイエス理解ともとれることを言っています。



ヨハネ3:3ーニコデモの訪問と挨拶!?を受けてのイエスの応答。何だか会話がかみ合っていません。イエスのこの答えからニコデモが本当に訊きたかったことが見えてきます。「まことにまことに、あなたに告げます」から重要な事であることが分かります。



なぜ、イエスは質問を聞いていないのに、的確な答えを言うことができたのでしょう?



それは、イエスが全知全能なる神だからです。ニコデモの不安を完全に理解した上での答えでした。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」では、ニコデモの本当に訊きたかった質問とはなんでしょう?



それは「どのようにしたら、神の国に入ることができるのでしょうか?」というものでした。彼は、律法の専門家として人々に教える立場にありながら、神の国に入る確信がなかったのです。確信がないのに教えることは、本人にとって辛いことだと思います。



「新しく生まれる」とイエスは言われました。これは一度生まれていないと、出来ないことですよね!?



ヨハネ 3:4ーやっとイエスとニコデモの会話がかみ合ってきます。彼の発言からすでに「老年」であったことが分かります。人は歳をとればみな死を意識します。でも彼は死後、神の国に入れるという確信がなく、不安だったのです。



彼は「新しく生まれる」を肉的な点からしか考えることが出来ず「もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」と聞き返しました。(そんなこと、できるわけがない!)という彼の心の声が聞こえてきそうです。



ヨハネ3:5ーここでも「まことに、まことに、あなたに告げます」と、これから話すことはとても大切なことだから、良く聞くようにと促します。続くイエスのことばは、様々な解釈がされています。多くは「水」ー水によるバプテスマ、とされているようです。



3節ー「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われたイエスのことばと4節ー「もう一度母の胎にはいって生まれることができるのでしょうか」というニコデモのことばに注目してください。



へブル的視点では、人は一度、肉体を持って生まれ、二度目は御霊によって新しく生まれると理解します。赤ちゃんは生まれる時、羊水と一緒に母の胎から出て来ます。ですからここでの「水」は「羊水」で肉体の生を意味し「御霊」は神による新生を意味します



ヨハネ3:6ーヘブル的視点で5節を理解すると、6節と繋がってきます。母の胎から「羊水」とともに生まれただけでは肉体が生きているだけです。神の御霊によって生まれた者は、肉的にも霊的にも生きる者となります。



第1コリント12:3bーまた、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。  ローマ8:6ー肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。


ヨハネ3:7新しく生まれるとは…? 猿をどんなに教育しても人間になることはありません。人間になるには、人間として生まれ、人間のいのちを持たなくてはなりません。御霊によって生まれるとは、御霊が心に住み、神の子となる必要があります。



ヨハネ1:12~13この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。



ヨハネ14:17ーその方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。



*三位一体の神は、御霊だけを私たちのうちに住まわすのではなく、御父も御子も私たちのところに来て、ともにすんでくださいます。cf ヨハネ14:23



新しく生まれる】1)上(神)から。2)ある時点をスタートとする。3)内面的に。根本的に。



ヨハネ3:8ー風…ギリシャ語で「プニューマ」ー御霊という意味もある。



ヨハネ3:9ーニコデモは理解出来ず「どうして、そのようなことがありうるのでしょう」と訊いています。



ヨハネ3:10ーイエスは「イスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか」とちょっと呆れ気味!?。またこうも言われています。ルカ6:39ーいったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか



ヨハネ3:11ーわたしたち…イエスご自身と弟子たち。cfヨハネ1:11ーこの方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。



ヨハネ3:12~13ーcf ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。



cf ヨハネ1:18ーいまだかつて神をみた者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。



ヨハネ3:14モーセが荒野で蛇を上げたように…民数記21:5~9の出来事をさします。モーセに青銅の蛇を作り、木の上につけよと命じられたのは、人類の罪を背負って死なれたイエスの十字架の預言です。



蛇にかまれた者が「それを仰ぎ見れば生きる」と言われた神のことばを信じて、仰ぎ見れば生きたように、私たちの罪のあがないのために死なれたイエスの十字架を信じる者は、罪咎を赦されて生きるということなのです。

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ヨハネ3:15ー神のことばを信じ、御子イエスの十字架のあがないを自分のこととして信じた者は、永遠の命を持つようになるのです。cf エゼキエル18:32ーわたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだー神である主の御告げーだから、悔い改めて、生きよ。



さて、このニコデモさんはその後、どうなったのでしょう?彼はイエスを信じて、新しく生まれ変わったでしょうか?答えは、ヨハネ19:39~41にあります。



ヨハネ19:39ー没薬とアロエ…当時は高価なもの。それを約30kgもイエスの埋葬のために持ってきたことから、彼がお金持ちだったことがわかります。時刻は日没間近の夕方です。前回は人目を避けて夜訪ねて来た彼が、昼間堂々と埋葬のために来ました。



ここに彼の内面的変化があります。彼はイエスを信じ、新しく生まれ、永遠のいのちを得、神の国に入る確信を得たことが分かります。



ヨハネ19:40ー彼らは、申命記21:23に従いました。*ユダヤでは、一日は日没とともに始まります。つまり、日没を迎えると「次の日」になるので、大急ぎで埋葬しました。



週の始めの日の朝早く、女たちがイエスの墓に向かったのは、丁寧に埋葬するためです。しかし、墓には主のからだはありませんでしたールカ24:1~10。復活されたのです!ハレルヤ!



ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

〜おまけ〜

①人は肉体を持って母から生まれます。ー肉体的誕生。この時、神の「いのちの書」に名前が記されます。

 

②生きている間に福音を聞き、イエスの十字架と復活を信じた者は、神の子とされます。ー霊的誕生。この時、「小羊のいのちの書」に名前が記されます。

つまり、信者になった者は、肉体的と霊的の2回生まれたことになります。

 

③やがて、死を迎え、肉体と霊(たましい)が分離します。ー肉体の死。この時、イエスを信じていない者の名前は、神の「いのちの書」から消されます。

神を信じて亡くなった人の名前は、肉体が滅んでも神の「いのちの書」から名前が消されることはありません。永遠のいのちを既に持っているからです。信者の霊(たましい)は、携挙の時に栄光の復活のからだによみがえります。

2回生まれた信者は、1回だけ、肉体の死のみ経験するのです。

そして、最終的に「神のいのちの書」と「小羊のいのちの書」に記載されている名前は、信者の名前のみとなり完全に一致します。

 

④未信者のまま亡くなった人は、完全に救いの機会を失ってしまったので、霊(たましい)の状態になってから どれほど悔やんでも、悔い改めても、神は応えてはくれません。ー肉体が死んだ時、神の「いのちの書」から名前が消されています。

彼らは霊的に生まれていないので、千年王国が終わるまで、霊的に「苦しみの場所」と呼ばれる所に送られます。そして、信者と同じ復活のからだによみがえらせていただけますが、それは永遠に「火と硫黄の池」で苦しむための復活です。ー聖書はこのことを「第二の死」と表現しています…黙示録20:6、12~15。

つまり、肉体的にしか生まれていない者は、肉体的と霊的の2回死ぬことになるのです。

 

あなたは、何回生まれましたか?「小羊のいのちの書」に名前は記載されていますか?神の「いのちの書」に名前が残されますか?

 

肉体が生きている間は、救いのチャンスが残されています。霊的死の執行猶予期間です。一日でも早く、身代わりとなってくださるイエスを受け入れられますように…。ー祈ー

 

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