サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

〜イースター〜 過越の食事と聖餐式(十字架の死と復活)

イースター】とは、キリストの復活祭です。しかしそれは、はるか昔、イスラエルの民が出エジプトを経験した時から既に始まっていました。あまりよく知られていない過越の食事、そこに隠されていた意味を紐解いていきます。意味深いイースターを迎えられますよう、祈りつつ…

 

 

過越の食事の中の「アフィコーメンの儀式」ー出エジプトを記念する食事に「三位一体・御子の十字架と葬り、復活の予表」が入ってるなんて!おまけに聖餐式にもリンクしてる。神様 凄すぎ〜です!

 

 

教会も聖餐式にもっと忠実に、そして「種なしパン」の意味を説明をすべきなんじゃないですか???

 

 

私たちが普段 宣べ伝えるべき「福音」の内容と「アフィコーメンの儀式」も一致してるなんて!気付きました?

 

 

ちょっと確認しときましょ。私たちが宣べ伝えるべき「福音」は、パウロが宣べ伝えていた「福音」と同じでなければ、「異端」になってしまいますから…^^;

 

 

第一コリント15:3~5ー私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

 

 

また、ケパ(ペテロのことーcf ヨハネ1:42に現われ、それから十二弟子に現れたことです。

 

 

〜アフィコーメンの儀式と福音〜 

①三つの部分に分かれた布袋に三枚の種なしパンを入れるー御父・御子・御霊の三位一体の神を表わす。その第二位各の神が、キリスト・イエスです。 *種なしパン…イエスには「罪」はありませんでした。

 

 

②真ん中のパンを取り出し、二つに裂き、半分にしたパンを亜麻布にくるんで隠すー真ん中のパンは、御子イエス。二つに裂きー十字架で裂かれたイエスのからだを象徴。半分した種無しパンを亜麻布にくるんで隠すーイエスの死体は、亜麻布に包まれて墓に納められましたマタイ27:59~60。

 

 

③メインコースの後で、それを持ち出して食べるーイエスの復活の象徴。

 

 

ユダヤ人たちは、今でも過越の食事をする際、この「アフィコーメンの儀式」をしています。でも、それがパウロが宣べ伝えた「福音」と一致すること、イエスの十字架と復活を表わすとは全く知らないで、儀式を重んじているのです。

 

 

私たちはどうでしょう?教会で聖餐式を行なう時、どれだけの人がパンとぶどう酒の意味を理解しているでしょうか?中には「洗礼を受けてクリスチャンになったのだから、パンとぶどう酒に預かるのは信じているしるしでしょ?」と言う方もいるかもしれませんね…

 

 

【過越の食事の順序】

(1) 母か娘が、燭台に火を灯すー『世の光』として来られたメシアを象徴。

(2) 第一の杯ー『感謝の杯』

 

(3) 母か娘が水の入った鉢とタオルを持って回り、人々は指を洗いタオルで拭く。

『最後の晩餐』の時に女性はいなかったので、ここで主が弟子たちの足を洗われた。

cf ヨハネ13:4~5

 

(4) 第二の杯ー『裁きの杯』

(5) パセリを塩水に浸して食べるー苦さの象徴

 a) 塩水の入った鉢は数人に一つ用意された。

 b)主はユダの裏切りを予告。cf マタイ26:23

 

(6) ここで、「アフィコーメンの儀式」がある。

〜アフィコーメン(デザート)とイエス〜

 

① 三つの部分に分かれた布袋に三枚の種なしパンを入れるー御父・御子・御霊の三位一体の神を表わす。その第二位各の神が、キリスト・イエスです。

 

a) 種なしパンーイエスには罪がなかった。

b) パンには、筋が入っていたーイエスのからだに付いた鞭の跡。

c) パンには小さな穴があいていたーイエスのからだに残った釘と槍の跡。

d)「アフィコーメン」は、十字架上のイエスのからだを象徴。

e) このパンを食する=イエスの十字架を信じ、受け入れることを意味する。

 

② 真ん中のパンを取り出し、二つに裂き、半分にしたパンを亜麻布にくるんで隠すー真ん中のパンは、御子イエス。

二つに裂きー十字架で裂かれたイエスのからだを象徴。

半分を亜麻布にくるんで隠すーイエスのからだは、亜麻布に包まれて墓に納められたーマタイ27:59~60

 

③ メインコースの後で、それを持ち出して食べるーイエスの復活の象徴。

 

(7) ハロセットと苦菜を食べる。この時点で、ユダは去る。cf ヨハネ13:26~30

(そうか!イスカリオテのユダはメインコースの前に席を立ったから、アフィコーメン=デザートも食べてないんだ!! つまり、復活の主に与ることもなく、主を信じ受け入れるという聖餐式に繋がるパンの教えにも与っていない。一方、その場に留まった十一弟子たちもペテロを初めとして全員主を裏切ったけどーマタイ26:56ー全員復活の主に会い、主をメシアとして信じることができたんだ!!)

 

(8) メインコース

 

(9) 亜麻布にくるんで隠しておいた「アフィコーメン(デザートという意味)」を食べるー復活を象徴。

*ここで「これはわたしのからだです」という聖餐式のパンの教えがあった。

 

(10) 第三の杯ー『贖いの杯』

*ここで「これは、わたしの契約の血です」という聖餐式のぶどう酒の教えがあった。cf マタイ26:26~29

 

(11) 第四の杯ー『賛美の杯』

 

 

 

 

教会で聖餐式をする時、食パン等で代用せずにユダヤ式の「種なしパン」で、ひとつひとつの意味をきちんと説明すべきだと思うのです。ただ第一コリント11:23~28を読むだけでは、足りないと思うのは私だけなのかな〜?意味を理解しないまま行なうのは、神道の祭と同じになる気がします…

 

 

第一コリント11:23~28パウロは、「私は主から受けたことをあなたがたに伝えたのです」と言っています。それを読むだけというのは、いわゆる「また聞き」です。エデンの園で蛇(サタン)の誘惑を受けたエバのように、本来の内容と微妙に違ってくる可能性があるのは当然です。

 

 

ましてや、私たちは異邦人であり “過越の食事” という習慣もありませんから、「化体説ー聖餐のパンとぶどう酒が実際にキリストの血肉に化わるという説」が出て来たのでしょう。

では、パウロが主から受けたこととは何でしょう?それが、マタイ26:26~29の最後の晩餐(過越の食事)でした。

 

 

マタイ26:26ーまた、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

 

 

これが「最後の晩餐」と言われる「過越の食事」です。有名な宗教画では、イエスを中心にテーブルについていますが、当時のユダヤの食事方法は、左腕をついて横になり、足を伸ばしてとっていました。テーブルは使いません。念のため…^^;

 

 

イエスはパンを取り…メインコースの後のアフィコーメン。亜麻布にくるんで隠しておいた種なしパンを持って来たということです。それは「十字架で死にて葬られ、三日目によみがえり」を表わしたものでした。つまり「復活の主」を記念して(覚えてー第一コリント11:24)聖餐にあずかるものです。

 

 

マタイ26:27ーこれは、わたしの契約の血です…アダム契約やアブラハム契約には「血」が伴いました。「新しい契約」には、神の御子である主ご自身の血が流されたのです。

そしてこれがアフィコーメンの後の「第四の杯ー贖いの杯」でした。そう…主イエスが私たちの罪の贖いのために流された血です。

 

 

ここまで完全に一致する「過越の食事と主の十字架と復活」ーキリスト教が聖書的ユダヤ教と言われる理由です。だからこそ、福音はユダヤ人がまず救われて、ユダヤ人から異邦人へ伝えられるべきものだったのです。それがなされるのが携挙の後の患難時代であり、14万4千人がユダヤ人である理由です。

 

 

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