サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

一週間の始まり

創世記からどのように一週間が始まったのかを見ていきます。驚きの発見があるかも…ですよ!

 

私たちがペットを飼う時は、まず何を飼うかを決めてから、必要品を揃えますよね!? でも、神さまが世界を造られた時、人間を造られる前に、私たちに必要な物をすべて整えてくださいました。

 

 

創世記1章には、初めの六日間で神さまは「創造のわざ」を完了されてます。5、8、13、19、23、31節には、それぞれ「こうして、夕があり、朝があった。第◯日。」となっていて、各日の完成・終了を宣言されています。

 

 

もう一つ注目すべきは、12、21、24節の「その種類にしたがって」ということばです。神さまが植物も動物も「種類」という境界線を設けられました。ここには進化論が入る余地はありません。

 

 

ラバやレオポンなど人工的に掛け合わせた動植物は、新種としては繁殖しません。神さまが造られた境界線を超えることはできないのです。

 

 

では、神さまの創造のみわざをもう少し詳しくみてみましょう。第1日(1:3~5)と第4日目(14~19節)、第2日(6~8節)と第5日(20~23節)、3日(9~13節)と第6日(24~31節)がリンクしていることに気づきますか?

 

 

第1日目に造られたのは、A)光、B)暗。

第3日目に造られたのは、A)太陽、B)月星。

 

 

第2日目に造られたのは、A)大空、B)水。

第4日目に造られたのは、A)鳥、B)魚。

 

 

第3日目に造られたのは、A)陸地、B)植物。

第6日目に造られたのは、A)動物、B)人間。

 

 

このように神さまはすべての生きものにとって必要な物を先に創造されてから、最後に人間を造られエデンの園に住まわせられました。

 

 

そこは最初、最高位の天使ケルブ(複数形:ケルビム)である「ルシファー」が管理していましたーエゼキエル28:12~15。

しかし彼は、高慢になり神に敵対したために墮天使(悪魔)となりましたイザヤ14:12~15。そのため、天にある聖所は汚されたので、主はご自分の血を携えてまことの聖所に入られ、きよめられたのですーヘブル9:12。そしてエデンの園は、ルシファーの代わりにアダムが管理を任されたのですー創世記2:8

 

 

創世記1:26aーそして神は「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。」と言われました。神は唯一の方なのに、なぜ「われわれ」と複数形になっているのでしょう?

 

 

創世記1:1の「神」が、ヘブル語で「エローヒム」なる神だからです、エローヒムとは、三つ以上複数を表すことばで、バナナやぶどうなどを数える単位「房」のような意味です。三位一体なる神を示唆しています。

 

 

では「われわれのかたち」とは何を意味するのでしょう?絵本や漫画、絵画などから持つ私たちの神イメージは、“白いおひげのおじいさん”です。これは「われわれのかたち」を人間側から想像したものです。だから人間のルックスになってしまうのです。

 

 

それに…聖書は、神さまを「天の父」と言っているのに、「おじいさん」ではかわいそうですよね。

 

 

「神のかたち」とは、神さまのご性質のことです。

 

 

普段伝道する時に、神さまをどのような方として人に伝えていますか?

 

 

【神は愛です】愛は、愛する対象があって初めて成り立つものです。独身者に「あなたの妻(夫)を愛していますか?」と訊いても「はい」とは言えないでしょう。まだ対象となる相手がいないのですから…。ではなぜ唯一なる神は愛であると言えるのでしょう?

 

 

それは、神ご自身の中に「父・子・御霊」という三つの位格としての存在、関係(交わり)があるからです。

その神に似せて人は造られたので、私たちも誰かを愛したい、誰かに愛されたいと思うのです。 

 

【神は永遠なる方】だから、私たちも「永遠のいのち」を求めるのです。

 

 

【神は不変なる方】だから、私たちもいつまでも若くありたいと願い、大きな環境の変化を好まないのです。

 

 

【神は聖なる方】私たちも聖さを好みます。間違ったこと、曲がったことを嫌うのはそのためです。

 

 

【神は癒し主】だから私たちにも自然治癒力が備わっているのです。

 

 

【神は助け主】だから私たちも困っている人を助けたいと思い、行動するのです。

 

 

【神は造り主】だから私たちも物を作りということをするのです。

 

 

【神は全知全能なる方】人間にのみ知識欲が備えられています。

 

などなど、例を挙げればきりがない程です。これらの中で、日常生活において自分が体験した神さまの面を自信を持って伝えれば良いのです。そう…世間話をするように、ごく自然に…それが、証しです。

 

まず、植物のために太陽と水と土地を造られ、その植物を餌とする動物を造られ、草や木の実を人間の食物として、また生きものを支配させるために、最後に人間を造られました。

 

 

そして、すべての創造のわざを終えられての感想は、「見よ。それは非常によかった。」でした。人が「非常に良い」と言う時は、その人にとって良いのであり、他の人からしてみれば「どこが〜?」ということってありますよね?

 

神さまが「非常によかった」と言われる時は、動植物にとっても人間にとっても「非常によい」状態で、完璧ということです!

 

 

さて、創世記2章にいくと「第7日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第7日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。」とあります。これが1週間の始まりです。人は知らぬ間に神のサイクルの中に生かされているのです。

 

 

カレンダーを見ると、日曜日から始まり、7日目は土曜日です。ユダヤでは「夕があり、朝があった」と夕方から一日が始まります。だから金曜日の日没から七日目に入り、安息日となるのです。ちなみに聖書では、日曜日のことを「週の初めの日」と言います。

 

 

手帳などでよく使われている月曜始まりのカレンダーは、ビジネスカレンダーで聖書的ではなく、週末の予定を見やすくしたもので人間中心ですね。壁のカレンダーと日にちがズレるので、私には使いにくいです。日曜始まりの手帳を探すのに毎年苦労しますw。

 

 

創世記2:3ー神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。「この日を聖であるとされた」というのは、「別にとっておく」という意味です。神様は、七日目をそれまでの六日間と区別されたということです。

 

 

神さまは、それまでの「創造のわざをなさった六日間」と「七日目」とを区別され、「創造のわざを休まれました。」「神は第七日目を祝福し」とあります。そしてその七日目がモーセの律法で初めて「安息日」とされました。

 

驚くことに、創世記のどこを読んでも「そして夕があり、朝があった。第七日。」という締めのことばがないのです!

 

 

ヨハネ5:17イエスは、彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」とあります。ん?休まれたんじゃなかったっけ?

 

神さまが休まれたのは「創造のわざ」

働かれているのは、主の安息に入る人々を集めて祝福するためですーヨハネ6:44

神を信じない者には、「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない」と怒って誓われています詩篇95:11。

 

 

ヨハネ6:29ーイエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」  これが今現在、神さまがなさっているわざです。

 

 

ヨハネ6:44ーわたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」

 

 

続くヨハネ6:45では「父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます」とありますが、第一ヨハネ2:27では、キリストの油である聖霊が真理を教えてくださるとあります。ここにも人々の救いのために働かれる三位一体の神が啓示されています。

 

 

そしてその「神の安息」とは、これから起こる「千年王国」を指します。そこではエデンの園の回復があり、神と人との親しい交わりと平和があると聖書は言っていますーcfイザヤ65章

 

しかし、神を信じない者は、この「安息」に入ることはできません。その振るい分けが近い将来必ず起こります。

それが「携挙」であり、「七年間の患難時代」です。

 

現在の「教会時代」というめぐみの時代に、主イエスを救い主と信じる者は幸いです。まだ、イエス・キリストの十字架を自分のこととして信じる決心が出来ていない人は、「今日」というめぐみの日に、あなたの前で両手を広げて待っておられる神様の腕の中へ、思い切って飛び込んで行ってください。そこには「神の平安」がありますから! 

 

ハレルヤ!神の安息入れられる恵みを感謝しつつ…アーメン。

 

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