サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

八つの契約  2)アダム契約(含「原罪」)

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女性にとって男性とは…?

どういう目的をもって、女性は造られたのか…?

男性とはどんな性質…? 何故、人は死ぬの…? 聖書からの答えは…? 

 

聖書を学び理解するのに必要不可欠な「原罪」ーその中でなされたアダム契約が、現代を生きる私たちにどのような関わりがあるのか…?目から鱗の学びになるはず…です。

 

創世記3:1ー「蛇=サタン」なのではありません。ここでの「蛇」は、原語では定冠詞が用いられ、特別な蛇を表します。もともとの意味は「輝ける者」…蛇は、美しかったのです。

 

14節で初めて現在のような姿にされていることから、この時点では手足があったと解釈されることもあります。エバに話しかけた時、エバが恐れてないことに注目!エデンの園では、人と動物たちとの間に平和がありました。

 

と同時に、

第二コリント11:14ーしかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。というみことばを思い出します。

 

マタイ4章で、主イエスは“悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた”とあることから、エデンの園に神が“一番狡猾だった特別な蛇”を置かれた理由が見えてきます。人類の代表アダムとエバの信仰のテスト(試練)のためだと。

 

ここでの蛇は、後に「あの古い蛇」黙示録20:2ーと呼ばれていることから、サタンであることが分かります。

 

黙示録12:9にも、サタンを表わすことばが出てきます。

1)巨大な竜ーサタンの力と悪意を表わす名。

2)悪魔ー糾弾する者の意。

3)サタンー神に敵対する者の意。

4)全世界を惑わすものー偽物を作って欺く者であるの意。

5)古い蛇ー創3章の狡猾なもの。

 名は体を表わすのです。サタンの策略には、要注意です!

 

創世記3:1では、「狡猾」にこう問いかけています。

あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうにいわれたのですかー試み1)神のみことばに対する疑い

 

創世記3:2~3ーサタンの問いに対するエバの答えです。

創世記2:16~7エデン契約の内容と読み比べてください。

 

エバの答えには、三つの誤りがあります。

【エバの誤り】

1)園の中央にある木の実について、神は『あなたがたはそれを食べてはならない。園の中央には「いのちの木と善悪の知識の木」がありました。食べてはいけないのは、善悪の知識の木だけでした。

 

2)それに触れてもいけない。→神は「触れてはいけない」とは、言われてません。明らかにエバの過大解釈です。

申命記4:2ー私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、の命令を、守らなければならない。

 

私たちも普段、エバのように神のみことばに『付け加えたり、差し引いたり』して、自分に都合よく用いていないでしょうか?

思い出されたみことばは、面倒でも聖書を開いて確認することをお勧めします。

使徒17:11ーここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

3)あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。→神は「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われました。

「死ぬといけないからだ」という言い方は、死ぬ可能性を示唆するだけで、断言ではありません。

 

創世記3:4試み2)みことばの否定。「あなたがたは決して死にません。」

 

創世記3:5試み3)罪の誘惑。「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

 

ここで「あれ!?」と思われた方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか?

 

エバは「園の中央にある木の実」と、二本とも食べてはいけないと理解していました。しかし5節のサタンの誘惑は「それ」と言って、「1本の木の実」を示唆していますが、「善悪の知識の木の実」と指定はしていません。「善悪を知る」というヒントのみです。

 

また「食べなさい」とも言っていません。間接的な誘惑にとどめて、自らの言い逃れの道は確保しています。サタンは、誘惑の限りを尽くしますが、責任を負ってはくれないのです。

 

主イエスは、人の軽はずみ行為まで、神の栄光に変えられましたルカ22:50~51

 

「それ(1本の木の実)」「食べるその時」「善悪を知る」「神のようになる」「そのことを神は知っているから『食べてはいけない』と意地悪を言っている!?」…エバの心に欲望が入りました。

 

創世記3:6ーそこで、女が見ると、その木は…欲望を持った目で見たのです。「その木」…サタンのヒントから、二本ある木のうちの一本に的が絞られました。

 

目に慕わしく…誘惑は目からきます。賢くする…悪賢さも含む。好ましかった…自分の欲望に合う。それで女はその実を取って…目の次は、手。食べ…次は、口。夫にも与えたので、夫も食べた…共犯者の獲得です。

 

さあ〜女性のみなさん!身に覚えはないですか?

夕ご飯の買い物に出たはずが、たまたま通りかかったお店で見かけた品…洋服だったり、バッグだったり…(あら、素敵♡)と手を伸ばし、鏡の前で合わせてみる。次の瞬間、店員に一言「これ、ください。」と口から出ちゃいました。

 

夕ご飯のおかずが別な物に変わった後ろめたさから、(主人にも何か…)と手頃な物を選び、共犯者にしてしまう…(><)   

男性諸君、騙されることなかれ!

 

ヤコブ1:13~14ーだれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 

「善悪の知識の木の実を取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われた神さまと、「食べても死なない。食べるその時、目が開け、あなたがたが神のように善悪を知るようになる」と言ったサタンと、どちらのことばを信じるか?二者択一でした。

 

アダムとエバは、神のことばを退け、サタンのことばを信じたのです。なぜでしょう?心の中に(善悪の知識の木の実を食べてみたい。神のように善悪を知るようになりたい)という「欲」が既に存在したからです。

 

「神のようになりたい」というのは、最高位の天使(ケルブ)として造られたルシファーが抱いた思いでしたーイザヤ14:12~15。ここには墮落前の天使ルシファーの野望が、記されています。英文の聖書では、すべて “ I  will ” で表記されています。

 

サタンは自分が抱いた思いを、エバに入れたのです。その「欲」の上に「決して死なない」という神のみことばに完全否定が加わり、誘惑されてしまいました。

善悪の知識の木の実を食べた後、二人はどうなったでしょう?

 

創世記3:7ーふたりの目は開かれ…賢くなるはずが、最初に知ったのは「自分たちが裸である」ことでした。いちじくの葉をつづり合わせて…人類最初のお裁縫かな!? 腰のおおいを作った…あれ?裸であることが恥ずかしいなら、腰だけでなく全身隠すべきでしょ?

 

所詮人間の賢さなんてそんなもんさ、なんて言う声も聞こえてきそうですね。三浦綾子さんの「道ありき」だったかな!? 『腰を隠すというのは、人間の性に関係があるからだろう』とあったのを思い出します。

 

いちじくの葉…耐久日数は、どれくらいでしょう?せいぜい3〜5日といったとこでしょうか?明らかに一時的な間に合わせです。

 

創世記3:8ー神さまは、ご自身に似せて造られた人と愛の関係、信頼関係、コニュニケーションを求めて園を散歩されました。

*神は霊ですから(ヨハネ4:24)、人間のように足で歩き回るわけではありません。

 

主の声…原語では「音」。神の足音というような擬人的表現。神の声を聞いた(気配を感じた、という方がピンと来るかな?)ふたりは、主の御顔を避けて園の木の間に身を隠しました。

 

サタン(蛇)に「賢くする」と言われた善悪の知識の木の実を食べたら、7節で“お互い隠し合い”、8節で“神から隠れ”ました。

 

創世記3:9ー神から隠れた人に対し、神は呼びかけておられます。「あなたは、どこにいるのか」と。

 

今でも神から隠れたままでいる人々一人一人に呼びかけておられます。「あなたは、どこにいるのか」と。神から探して、呼びかけてくださるのです。

 

ここでの「あなたは」は、一人称です。人類の代表として、アダムに訊いているので、一人称になっているのかもしれませんし、エバはアダムの妻であるので、二人は一体として言われているのかもしれません。

 

創世記3:10ーアダムはここで墓穴を掘ってしまいます。「私は裸なので、恐れて、隠れました。」と。

 

創世記3:11ー「裸?誰が、裸であることをあなたに教えたのか?まさか…禁止したはずのあの木から取って食べたのか!?」神さまのショック加減が分かるようです。この時、アダムが一言「ごめんなさい」と言っていたら、歴史は変わっていたかもしれません。

 

創世記3:12ー「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」

 

さあ、このアダムの返答をどうとりますか?

 *「責任を嫁に転がす」と書いて「責任転嫁」です!

 

そして「あなたが私のそばに置かれたこの女が」と、責任をさらに神に転嫁しています。

 

創世記2:17ー神さまがエデン契約を結ばれた時、だれと結ばれたのでしょう?その時、エバはどこにいたでしょう?

 

答えは、創世記2:18ー人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 

 

そうです!エデン契約の命令を受けたのは、アダムひとりで、エバはまだ造られていませんでした。

 

エバは、創世記2:17の命令をアダムから聞いたのです。自分が経験したことなら、自信を持って答えられますよね。でも人づてに聞いた事ならどうでしょう?「本当?」と言われたら、確信はどうなりますか?「…そうだったと思う」と少しトーンが下がりませんか?

 

蛇(サタン)は、そこをついたのです。だから、エバの答えには三つも誤りがあったのです。だからこそ、蛇は「あなたがたは決して死にません」と確信に満ちたかのように言い放ったのです。

 

ん?「あなたがた…?」蛇は確かにエバに話しかけていますが、そこにエバ一人しかいなければ、わざわざ「あなたがたは」なんて言うでしょうか?

 

創世記3:5でも「あなたがた」と言い、6節では「女は、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた」とあります。“家で待ってた夫に持ち帰った”とも“向こうにいた夫に”とも記されてません。「いっしょにいた夫」と、その場にいたことがわかります。

 

ふたりは、夫婦だったんですよね!? エバは、アダムにとって「私の骨からの骨。私の肉からの肉」だったんですよね !? ー創世記2:23

愛し合ってたんじゃないんですか?夫だったら、妻が間違った時に正しいことを教えませんか?訂正しません?

 

罪を犯しそうなら止めませんか? 何故、アダムはずっと黙って、成り行きを見ていたのでしょう?

 

そう…アダムもエバと同じように「欲」が芽生えていたのです。ただエデン契約の命令を直接神さまから聞いていたので、自分からは取って食べる勇気がなかったのかもしれません。

 

蛇とエバのやり取りを聞きながら、神と蛇どちらのことばが正しいのか考えていたのかもしれません。

 

もし神さまが言われたとおり、善悪の木の実を食べた時、エバが死んだら、アダムはこう言うことができました。

「あなたが私のそばにおかれたあの女は、あなたの仰せに従わず、食べてはならない木の実を取って食べたので死にましたが、私は食べてません」と。

 

エバは、アダムの目の前で食べましたが、死にませんでした!だから、アダムにも取ってあげたのです。アダムが食べたときは、「食べても死なない!」という確信のもとででした。

 

エバが死んでも言い逃れの道はある。エバは食べたけど、死ななかった!なぁ〜んだ、食べても大丈夫じゃないか!蛇が言ったとおりだ!神さまは、嘘つきで意地悪だな!と思ったことでしょう。

 

エバは蛇に惑わされ、罪を犯しました。アダムは、いわば確信犯でした。そして罪の責任をエバと神に転嫁し、悔い改めるどころか反省の言葉すらありません。

 

創世記3:13ー神である主は今度はエバに訊きます。「あなたは、いったいなんということをしたのか」と。

 

「蛇が惑わしたのです。それで私は食べたのです」(私は被害者です。悪いのは蛇です。)というエバの心の声が聞こえてくるようです。これがエバの返答でした。

さすが!アダムのあばら骨から造られたエバ!アダムと同じように「責任転嫁(蛇)」しています。

 

【アダム契約】

創世記3:14~19神と全人類との契約

*条件付契約ではないため、蛇もアダムもエバも神のこの宣言からは逃れようがありません。

アダムは全人類の代表(男性の代表。エバは女性の代表)であるため、その子孫である現代を生きる私たちにも有効な宣言です。

 

アダム契約の条項

1)創世記3:14ー蛇に対する宣言。

すべての動物よりも呪いが大きい理由は、サタンに利用されて人間を堕落させる道具として用いられたからです。

蛇は責任を問われた結果、それ以降、腹這いで動き回るという呪いを受けました。

もともとは “輝けるもの” という意味だったのです。

エデンの園では、人と動物の間にも平和があったこともあり、蛇とであったエバは全く怖がったり、警戒したりしていません。

 

*塵を食べる…ヘブル語:「すべての動物の中で最も呪いを受けた生き方」という格言。

 

動物は人間のために造られました。原則的には、動物は道徳的責任は問われない存在として描かれていますが、人間に対して害をもたらす場合にのみ例外となります。

 

創世記9:5ーわたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。

 

動物はアダムの支配下にあったので、アダムが呪われた故にその支配下の動物界も呪われました。 

 

2)創世記3:15ーサタンに対する宣言。

サタンと女との間に敵意を置く。

蛇(サタン)の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。

子孫(胤)…通常は男性につく言葉で、男性の系図を意味します。

それをここでは「女の子孫」と言っています。つまりメシア(救い主)は、人類の女の中から生まれる者としての預言です。

 

これを「原初福音」(Proto Evangelium)と言います。創世記3:15は聖書の中で初めてメシアを預言した箇所です。

 

その後何百年も経って、イザヤ書7:14「メシアは処女から生まれる」と明らかになります。つまりメシアである方は、生物学的には母親から生まれるが、父親はいないということです。通常の結婚ではなく、女性のみから生まれる方という意味です。

 

【解釈学】*重要!

同じ節に同じ言葉が2回出て来る場合は、同じ意味となります。

・女の子孫→メシアの誕生は、超自然的な懐妊による。

・お前(サタン)の子孫→超自然的な誕生という理解で解釈することになる。

 

将来的には、黙示録で語られている7年間の患難時代に出て来る「反キリスト」も、サタンを父として女を通して登場(誕生)します

 Ⅱテサロニケ2:9ー不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

*反キリストの生涯は、キリスト・イエスに敵対するものなので、すべてにおいてキリストの真似をする形となります。

 

墮天使だったサタンは、神が「三位一体の神」であることを知っています。対抗するには、同じように「悪(偽)の三位一体」体制を備えています。

 

御父 vs 悪魔(サタン)。

御子イエス・キリスト vs 反キリスト。

御霊 vs 悪霊(黙示録では、偽預言者)。

 

サタンの子孫が、女の子孫(メシア)を傷つける。

*彼…女の子孫、おまえ…サタンの子孫。

「かかとにかみつく」のと「頭を踏み砕く」のと、どちらが致命傷か分かりますよね!? イエスは確かに十字架で死にましたが、復活し、死に勝利しました。

その時からサタンの敗北の歴史は始まります。ローマ16:20、黙示録20:10。

 

サタンは、女の子孫が自分の頭を踏み砕くことを、預言的に知らされ理解しているので、創世記6章になると神の子ら(ここでは墮天使)が人の子たち(女の子孫)と結婚して、人間と堕天使の間に子どもをもうけました。

その子どもたちは、人間でもなく、天使でもありません。動植物界でもそうですが、掛け合わせた場合 新種としては一代限りです。

つまり、ここでの策略は女の子孫を絶やし、メシアの誕生を阻止することにあるのです。

 

その時、ひとつの家族がその堕落から逃れました。それが洪水を生き延びたノアの家族なのです。

 

3)創世記3:16ーエバ(女)に対する宣言。

みごもりの苦しみを大いに増す…月経の痛み。悪阻の苦しみ。 

 

エデン契約では、霊的な「死」が入って来ました。アダム契約によって肉体的「死」が入って来ました。そのため、人口が際限なく増え広がるということはなくなりました。しかし神は人が死んでもなお、地が人で満ちるように願っておられるので、女性が子どもを生むチャンスと苦痛を月一度、巡ってくるようにされました。

 

苦しんで子を生まなければならない…出産時の陣痛。

堕落前に出産していたら、苦痛無く生めたはずです。堕落後の出産は、苦しむ出産となりました。人によっては、ラケルのように出産時にいのちを落とす人もいるほどです。

 

妻は夫の支配の元に服する。

*夫を恋い慕う…ヘブル語:タシュカー

このことばは、旧約聖書の3回のみ使われているー創世記3:16,4:17 (ともに“支配する、統治する”の意) 、

雅歌7:10ー私は、私の愛する方のもの。

あの方は私を恋い慕う。

*「支配」と「恋い慕う」という言葉は対立しているキーワード。平行して使われます。妻は夫の支配から逃れたいという願いを持つ、夫に対して反抗したくなる気持ちが激しくなるということです。

  

4)創世記3:17~19…アダム(男)に対する宣言。

人類代表としての責任。

アダムがしたことは、その後の人類全般に、エデン契約の違反で『霊的死』、アダム契約の宣言では『肉体の死』が入り、そして『堕落』という影響を与えました。

 

伝道者の書3:20~21ーみな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。

 

ローマ5:12ーそういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、ーそれというのも全人類が罪を犯したからです。

 

土地の呪い。

アダムによって土地は呪われたものとなり、『いばらとあざみ』を生えさせるようになりました。

ローマ8:20~22ーそれは、被造物全体が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

 

被造物全体が、解放されることを待ち望んでいる状態であるということ。

 

その『いばらの冠』をかぶって十字架につかれたキリストは、このアダムの呪いをも十字架で引き受けてくださったのです。

マルコ15:17ーそしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、

 

菜食主義のまま。

人間の食物となるのは、野の草。

動物は乳や毛皮をとったり、神へのいけにえとしてささげるためであって、まだ食用ではありませんでした。

 

苦役に服する。

土地が呪われる以前のエデンの園では、軽労働で収穫は多かったのです。しかし、アダムの違反により土地は呪われ、不要なもの(あざみやいばら)を生えさせるようになり、重労働となりました。しかも、その収穫は少なくなってしまったのです。

 

肉体の死が入りました。

アダムとエバは、善悪の知識の木の実を食べたのにも関わらず生きていました。「食べるその時、必ず死ぬ」と言われた神のことばはどうなったのでしょう? 

 

創世記2:7ーからだは土地のちりで造られ、その鼻にいのちの息である神の御霊を入れられて「生きもの」となりました。

創世記3:8ー禁止されてた木の実を食べた後のふたりは、神から身を隠しています。

 

この時から、人は自己中心という罪の中に生きることになりました。そのため、聖であられる神の目からは「霊的に死んだ者」と見えているのです。それを意識してなのか…

 

創世記3:20ーアダムは妻の名を「エバ」と呼びました。エバ…生命、生きることという意味です。

 

創世記3:21ー裸であることが恥ずかしくなったというふたりに、いちじくの葉の代わりとなる「皮の衣」を作り、着せてくださいました。ここにある神さまの愛とめぐみに気付かれましたか?

 

ここには御子イエス・キリストによる罪のあがないの暗示があります。そうです。皮の衣には素材の提供者がいるのです!それがどの動物なのか、聖書は明記していません。でも私はイエスが神の小羊としてほふられたことから、この時の衣は羊皮ではないかな〜と思うのです。

 

ヘブル9:22ーそれで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、といってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

 

創世記3:22ー人はわれわれのひとりのようになり…ここでも三位一体の神が暗示されています。「われわれに似るように人を造ろう」という目的達成!?

*善悪を知るようになった…善悪の基準が「神中心」から「自己中心」に変わったのです。

 

霊的に死んでしまった人間の善悪の判断基準に、神が入り込む余地はもはやありません。自分に取って都合の良いこと、自分が得することは善、自分の気分がいい時だけ、また自分が好きな人にだけ親切にします。

 

生きることすべてにおける判断基準が自己中心な存在になってしまいました。

 

「神を信じると自由がなくなる!」という人は、結局のところこの自己中心を「自由」と信じ込み、判断基準を神に譲りたくない!と思っているのです。これもまた、自己中心です。

 

しかし「本当の自由」とは、他人の評価や自分の好み、損得、自分の感情、条件には関係なく「そのこと自体」が神の目から見て正しければやる、間違っていればやらないと決定することです。神を交えての判断基準を持つことです。

 

そして、神の判断基準を知るためには、聖書を読むということが必要となってくるのです。

 

エデンの園の中央にあったいのちの木は、食べてもよかったはずです。先に食べていれば、彼らは「聖である」ことが確定され、永遠のエデンの園で生きることができたはずでした。でもいのちの木の実を食べる前に、罪を犯してしまいました。

 

先日も96歳の夫が、91歳の寝たきりの妻を殺害するという悲しい事件がありました。事件が起こるまでは、ご長寿の一般市民だったはずです。神を神としないまま肉体だけが長生きをしても、それだけ罪を犯す機会が増えることにもなるのです。

 

ですから神は、22節ー「彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように」と人をエデンの園から追い出されたのですー23節。

 

失楽園は、「罪の罰」だと思いますか?神の恵みだと思いますか?

 

ヤコブ1:15ー欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

 

失楽園は、罪の罰ではありません。創世記3:24にその答えがあります。「いのちの木への道を守るために」だと。

 

エデンの園の東…幕屋の出入り口も一カ所、東側だけです。ジェームス・ディーンの映画で有名な「エデンの東」とは、「神の祝福(エデンの園)の外」という意味です。

 

 

ケルビム…最高位の天使たち。(単数形:ケルブ)炎の剣…シャカイナ・グローリー。ケルビムと炎の剣によって守られているエデンの園の入り口から、いのちの木への道に至ることはできなくなりました。

 

アダムとエバの罪のためには、それぞれ動物の犠牲があり、皮の衣が与えられました。今私たちには、神の小羊イエスが罪の贖いをなしてくださったので、イエスを信じる信仰により「義の衣」が与えられています。ここに神の愛とめぐみがあります!

 

そして、神は私たちのためにいのちの木を備えてくださっていますー黙示録22:2ー都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 

これは完成された天の御国、御父がおられる国です。そこに行く道も備えられました。ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」

 

いのちの木へ至る道は、イエスのみです。他にはありません。アーメン!

 

エデンの園を追い出された後、アダムとエバの人間の性の営みの結果、生まれたのが人類史上最初の殺人者カインと最初の被害者アベル。そして、アダムに似た、彼のかたちどおりの子セツです。ー創世記5:3。

 

 

アダム契約は「良心の時代」の土台となります。

この時代は、アダムの堕落〜ノアの洪水まで続きます。

*この契約は無条件契約のため、ここに書かれている条項は現代でも有効です。

 

 

サタンは、女の子孫として生まれると言われた救い主の誕生を阻止しようとして、あの手この手で妨害してきたことが、この先の創世記に記されています。聖書を理解するには、「原罪」と「八つの契約」を理解することが必要です。皆様の学びが祝されますようにー祈。

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