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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

七つのディスペンセーション〜神のご計画〜

天地創造から始まる創世記。
永遠の秩序で終わる黙示録。

 

創世記は語られても、あまり語られないのが黙示録。

 

黙示録を学ぶことは、信仰生活の目的地を知ること❗️
私たちは目的地を知って初めて、現在地を確認し、どの戒めに従い、何をすべきかを理解するようになります。

それを体系立てて表しているのが、『ディスペンセーション』なのだと思うのです。

 

最近では、『ディスペンセーション』と聞くだけで「大丈夫なの?異端的教えじゃないの?」と心配して聞き返してくる人がいます。

また、ある人は「そんな解釈は聞いたことがない」という理由で、以後聞く耳を塞いでしまったり、「一信徒がそんな聞いたこともない教えを広めてはいけない。聖書の学びは、それぞれの所属教会の牧師に聞けばいいのでは…?」と、取りつく島もない人もいます。

 

そんな時、いつも思い出されるみことばがこれ ↓

ヨハネ15:20ーしもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

もし、迫害を受けないとしたら、どこかこの世と妥協しているのかもしれません。

 

真理を語るのは、常に少数派だったりするわけです。そして、多くの人々は多数派の意見に流されるというのは、今も昔も、日本もイスラエルも同じこと。

その証拠に『カデシュ・バルネア』の時も、ベルゼブル論争』の時も、イスラエルの人々は多数派に流されて失敗しています。私たちはここから学ぶべきなのです。

 

AD70〜1,948年イスラエル再建国までの長い長い世界離散の間に、

イスラエルは、メシアを拒んで十字架につけた不信仰のゆえに、神から見捨てられた民、だとか

②教会が『霊的イスラエル』として、イスラエルに対する約束を継承したのだ、だとか

『異邦人によるキリスト教の教え』が一人歩きをし、聖書解釈から神の民イスラエルを除外した解釈が広まってきました。

 

しかし、イスラエルは預言どおり『再建国』されたのです!(歴史上、同じ国名で同じ場所に再建国されたのは『イスラエル🔯』だけ❗️)

異邦人の教会はこの時、もう一度聖書の原点に帰るべきだったのです!!

 

しかし、異邦人の教会はその後も聖書を神様からのラブレター💌として(確かにその側面もあるけどね…)、『あなた(がた)』も『私(たち)』も、すべて文脈を無視して『自分(たち)クリスチャン(異邦人信者)』に当てはめた解釈を継続してきました。

 

 

Q:なぜ、多くの人はヘブル的視点での聖書解釈に不信感を抱くのでしょう…?

それは今まで聞いたことのない解釈だからです。

 

Q:なぜ、聞いたことのない解釈なのでしょう…?

それは、律法という『キリストに導く養育係』ガラテヤ3:24ーと預言書の土台に立った解釈だからです。異邦人信者である『私』を中心に紐解く解釈ではなく、常に神様を中心にし、主が何を伝えようとしているのかを読み解く解釈です。

 

みことばは、異邦人に託されたのではなく、神の選びの民であるユダヤ人に託されました。旧約聖書のみことばを託されていない異邦人にとって、旧約聖書(特に預言書)が難しいのはある意味当然なのです。

 

申命記4:5~8ー見なさい。私は、私の神、が私に命じられたとおりに、おきてと定めとをあなたがたに教えた。あなたがたが、入って行って、所有しようとしているその地の真ん中で、そのように行うためである。

これを守り行いなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、さとりのある民だ」というであろう。

まことに、私たちの神、は、私たちがよばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。

また、きょう、私があなたがたの前に与えようとしている

このみおしえのすべてのように、正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、一体どこにあるだろう。

 

詩篇147:19~20主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主は、どんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

さばきはついてかれらは知っていない。

ハレルヤ。

 

ローマ3:1~2ーでは、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

それは、あらゆる点からみて、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

主イエスの十二人の内弟子たちはみな、ユダヤ人でした。その彼らに、教えておいたことを世界中の人々をキリストの弟子として伝道し、世界中の人々に教えるようにと命じられたのです。

マタイ28:19~20ーそれゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 

*あなたがた…文脈では、イスカリオテ・ユダの脱落後、『十一人の使徒たち』のことです

*あらゆる国の人々…異邦人諸国民(イスラエルも含む)

*弟子…師から習う者、の意。(*使徒…師から遣わされる者、の意)

 

イエスはここで、『わたしがあなたがたに命じておいたことを守るように、彼らを教えなさい』と言われました。

それは『モーセの律法』ではなく、『キリストの律法』だけでもなく、四福音書と使徒たちの書簡に書かれた内容です。

 

*どの時代に生きる人が、どの命令に従うべきなのか?

*どの時代の人に、何がどこまで啓示されていたのか?

旧約聖書の人々は、どうしたら『救われた』のか?

*どの約束が、いつ、誰に成就するのか?

 

ヨハネ15:15bーわたしはあなたがたを共と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

キリストは、御父から聞いたことを弟子たちに伝え→弟子たちは、『教会時代の信者の初穂』であるユダヤ人信者に伝え→ユダヤ人信者たちは、異邦人に伝えてきました。

これが本来の『教え』なのです。

 

しかし、『今』を生きる私たちは、この流れを受け継いでいるのではなく、イスラエルを救いのご計画から除外した、かなり異邦人信者の私的解釈が入り混じった土台の上に教えられてきたのです。

 

それらを取り払い、キリストが教えられた本来の教えを、旧約聖書のみことばをよく理解している現在のメシアニック・ジューたちが広めているのです。

古くて、新しい教え…そう、『ディスペンセーション』とは、まるでイエス様の初臨時のユダヤ人たちが、『その権威ある教えに驚いた』とあるような聖書解釈なのです。

 

多くのクリスチャンは、神様の目的は『人類救済』だと思っている(教えられてきた!?)と思いますが、『人類救済』は、神のご計画の一つですが『目的』ではありません。神は、他に御使いや自然界に対するご計画もお持ちです。

 

しかし聖書のみことばは、『神の栄光を現わすこと』だと伝えています。

イザヤ43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、

わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、

これを形造り、これを造った。 

 

イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は

わたしの栄誉を宣べ伝えよう。 

 

神の素晴らしさを知り、神を褒め称えることこそが『目的』であり、それができるのは神による救いを得た人々だけなのです。

神がそのご計画を歴史(History…His Story = イエス・キリストの物語)の中で、

①神と人間との関係に、

②人間の責任に、

③神からその変化をもたらす啓示がある、

というように展開されてきました。

 

『時代区分』というと、「歴史はある日を境にスパッと割り切れるものではない。」と憤慨される方もおられるかもしれません。でも、そう言われる方であっても今は『教会時代』だということに誰も違を唱えることはしませんよね。

なぜなら、教会時代は『ペンテコステで始まった』と認めているからです。

 

『時代』というのは、『初めがあり、終わりがある』ものです。

『教会時代』は、『ペンテコステ』で始まり『携挙』をもって終わります。

千年王国への移行期である『患難時代』は、『反キリストとイスラエルとの七年契約締結』で始まり、『キリストの地上再臨』をもって終わります。

『御国の時代』である千年王国は、エルサレムに建つ第四神殿の御座に『キリストの着座』で始まり、『サタン』(とすべての不信者)を『燃える火の池』に投げ込んで終わります。

 

その各時代の土台となるのが、八つの契約です。

それぞれの『契約』には、守り従うべき命令とがありますが、その命令に違反し続け、罪があるレベルに達すると神からの裁きがあり、次の『時代』へと移行します。

 

そのとき、それまであった命令のうち、幾つかは引き継がれ、幾つかは終了し、また幾つかには新しい条件が追加されました。

どの『時代』に生きている人かにより、守るべき命令が異なるということを私たちは知らなくてはなりません。

そこを無視すると、私たちには直接関係の無い『モーセの律法』に苦しむことになったりーローマ2:12~14千年王国での約束ー黙示録21:4ーを現代に当てはめて「こんなはずじゃなかった」とガッカリ😞することになります。

 

また、その『時代』に神がどこまで啓示されていたかにより『信じる内容』も異なりますが、いつの時代であっても『 “救い” は、恵みにより、信仰によって』です。

 

各『時代』には、管理人としての代表者がおり、その下で人々もまた命令に聞き従う義務がありました。

 

〜七つのディスペンセーション〜 

⒈【無垢の時代】創世記1:28~3:8

・期間…天地創造六日目のアダムの創造〜人が罪を犯すまで。

この時代の管理を 任されていたのが、アダム。

 

アダムは、創世記2:17の神の命令を託されました。後に与えられる妻や子にこのみことばをしっかりと伝え、共に守り従っていく責任がありました。

創世記2:17ーしかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。

 

しかし、妻であるエバが蛇に惑わされているとき、いっしょにいながら一言も発せずに事の成り行きを見守り、遂には自分も食べて、神の命令に背いてしまいました。

 

その結果、『それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』と言われた神のみことばどおり、アダムとエバは『霊的に死に』、神との親しい交わりを持つことができなくなりました。

神が決めた善悪ではなく、人は自分が善悪を決める者となってしまったのです。

神中心から、自己中心になった出来事です。

 

そんな人間が『いのちの木の実』を取って食べて、罪あるままで永遠に生きなくてもよいように、神は二人をエデンの園から出されました

エデンの園にいるときは、軽労働で収穫は豊富でしたが、アダムの管理下に置かれていた土地もアダムの罪の結果呪われたものとなり、いばらやあざみなどの不要なものを生やし、重労働で収穫は少なくなってしまったのです。

 

しかし、裸であることを恥ずかしいと思う二人に、いちじくの葉ではなく『皮の衣』を作って着せてくださったのです。ここに恵みの要素があり、また女(エバ)の子孫から生まれるメシアの『贖いの型』があります。

また『レムナントの型』として、アダムとエバには第三子セツが与えられ『女の子孫』の家系を維持しました。

 

 

⒉【良心の時代】創世記3:9~8:14 

・期間…アダムとエバの堕落〜ノアの洪水まで。

エデンの園から追放されたアダムには、新しい『アダム契約(神の宣言)』が与えられました。アダムは、再びこの『時代』の管理を任されました。

 

しかし、アダム契約により『霊的にすでに死んでしまった』人類には、『肉体の死』も宣言されました。アダム契約は『無条件契約』ですから、『霊肉の死』は、現在でも有効なのです。

一部の例外:肉体の蘇生をされた者は二度死に、旧約のエノクとエリヤは肉体の死を経ずに天に行きました。またこれから起こる『携挙』の恵みに与る人々も、肉体の死を経ずに天に引き上げられます。

 

物事の善悪を神中心にではなく、『自己中心で』判断するようになったこの時代の、神が人類を統治する原則は「良心」です。

私たちの心には『良心』というものが与えられており、罪を犯すと『良心の呵責』を覚えます。もちろん、人によりその程度の差こそありますが…💦

ローマ2:15ー彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったりしています。

 

エデンの園を追放されるとき、神がアダムとエバに着せてくださったのは『皮の衣』でした。その『皮』には、元々の持ち主がいました。(持ち主とは…個人的に私は、羊ではないかな〜と思ってます。天に行ったら聞いてみたいことの一つです😁)

その持ち主(皮の提供者)は、血を流し命を落としています。アダムとエバの罪のための身代わりとなっているわけです。ここに『血の原則』があります。

良心からそのことを聞いてきちんと信仰によって理解していたのが、アベル

兄のカインは、『自分で決めた方法で』ささげものをしたのです。

 

 創世記4:3~4 ある時期になって、カインは地の作物からへのささげ物を持って来たが、

アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。アベルとそのささげ物とに目を留められた。

 

神が目を留められたのは、アベルのささげ物でした。

なぜなら、それが『神の決められた方法だった』からです。

 

カインは『自分が良いと思った方法で』ささげ物をしたために、この時代のテストに失敗したのです。そして弟を殺し、さすらい人となってしまいました。(カインの裁き)

*自我の強い人間は、良心の力によっては、罪に勝利することはできないのです。

 

ヨハネ8:9ー彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

 

1コリント8:7ーしかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。

 

1テモテ4:2ーそれは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

 

カインのような人間が増え、そこに『女の子孫』から誕生するメシアの到来を阻止しようというサタンの策略により、創世記6章では『神の子ら=堕天使たち』による神の創造物以外の存在(ネフィリム)を生み出しました。

ノアの洪水で滅ぼされたのは、このような世界だったのです。

 

このときの女の子孫、『レムナントの型』として、箱舟を通して救われたノアとその家族がいます。

また、この時代には将来の『携挙の型』として、エノクがいます。

 

 

⒊【人間による統治の時代】創世記8:15~11:32

創世記7:11ノアの障害の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。 

地下水の源が張り裂け、地球を覆うようにしてあった『天(上)の水』の水門が開けて、上から下からの水により、文字通り『地球全体』に洪水が及びました。

 

箱舟から出たノアとその家族は、人類史の新たな始まりとなり、ノアが『人間による統治の時代』の管理人となりました。

 

 創世記9:6ー人の血を流す者は、人によって、血を流される。

神は人を神のかたちにお造りになったのだから。

*血を流す者は、人によって血を流される…人間の政府の存在を前提とした『死刑制度』。

 

土台となる『ノア契約』には、七つの戒めがありました。 

①生めよ。ふえよ。満ちよ。➡︎ 一カ所に固まって住み着いた。→ テストに失敗

②動物を人に委ねられた。

③肉食も許可された。➡︎ 動物には身を守るために、人を恐れておののくようになった。 

④血(生肉)を食することは禁止。➡︎ いのちは、血の中にあるから。

⑤死刑制度の導入。➡︎ 過失致死の場合は『逃れの町』へ。

再び洪水で世界を滅ぼさない。➡︎ 人々は神の約束を信じず、防水加工を施した、天にまで届く『バベルの塔』を建て、洪水が起きても生き延びるように備えようとしました。→ 途中で頓挫。

⑦しるしは『虹』。

 

神のみことばを信じずに、『バベルの塔』を造ろうとした人々は不信仰でした。

バベルの塔建設が頓挫したのは、言葉の混乱でした。神のことばを信じなかった者たちが、言葉で躓いた…神の不思議な摂理を感じますね。

それまでは一つのことばが話されていたのですが、互いに意志疎通が出来なくなり、ことばの通じる者同士で世界に散らばり、文明が拡散しました。

 

神はノアの三人の息子の中から『女の子孫』を生み出す者を選ばれました。

それが『セム』です。不思議なことに、英語で『反ユダヤ主義』のことを『アンチセミティズム』と言います。

 

ノア契約も『無条件契約』であり、現在でも『虹』がかかります。つまり、『人間による統治の時代』はこのときからずっと続いているのです。

でも『時代』というからには、いつか終わりが来ます。

『人間による統治の時代』は、やがて来る『患難時代』の中期に起こる十人の王と反キリストとの戦いで、反キリストが勝利するときまで続くと考えられます。

患難時代後半の三年半は、反キリスト(サタン)の天下となります。

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

⒋【約束の時代】創世記12:1~出エジプト記18:27 

この時代の土台となっているのがアブラハム契約』です。

アブラハム契約の条項は三つ

①子孫…後に『ダビデ契約』に発展。

②土地…後に『土地の契約』に発展。

③祝福…後に『新しい契約』に発展。

 

アブラハムが『信仰の父』と言われる理由は、この神の約束を信じ、行いによってその信仰を証明したからです。

そして、人類一般に与えられた責任は、良心と政府の統治の下で生きることでした。

 

この時代の管理人となるアブラハムから、イスラエルアブラハムーイサクーヤコブを先祖に持つ者)とアラブ諸国の人々(イサク以外の息子たちから生まれた者)が誕生してきました。

イスラエルの『族長たち』が支配する時代です。

 

アブラハム契約のしるしは『割礼』であり、イスラエル民族がこの契約の継承者として、『神の民』として純粋な信仰者として歩むために、カナン人からの分離でした。

しかし、飢饉の時に約束の地『カナン』に留まらずエジプトに行ったり、アブラハムの子孫でありながら 『カナン人と結婚』したりしました。

また、出エジプトの出来事や荒野の旅では多くの奇跡を体験しながらも、不信仰に陥り神を試みました。民数記14章ーカデシュ・バルネア事件

 

 その結果、エジプトで四百年間の奴隷生活と40年間に及ぶ荒野での放浪生活を強いられました。

それでも、四百年も住んだエジプトで雑婚することなく『イスラエル民族=女の子孫となる家系』は守られ、奴隷生活からも解放されました。

そして、『聖餐式・十字架の型』となる『過越の祭り』が制定されました。

 

アブラハム契約も、無条件契約です。

アブラハムをはじめ、族長たちはこの契約の成就を見ることなく、肉体の死を迎えましたが、彼らは千年王国の前に復活し、約束の成就に与ることになります。

私たち教会時代の異邦人信者は信仰により、神の子どもとしていただいたことによって、アブラハム契約の『祝福』に与る者となったのです。

 

 

⒌【律法の時代】出エジプト記19:1~使徒1:26

律法は、仲介者モーセを通して与えられ、モーセが管理を任されました。

新約聖書では、ルカ、パウロ、ヘブル書の筆者が『神が “御使い” を通して、モーセに与えた』ことが記されています。

 

使徒7:53ーあなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。

 

ガラテヤ3:19ーでは、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

 

ヘブル2:2ーもし、御使いたちを通して語られたみことばさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、 

 

この『613ある律法』を終わらせ『無効』にしてくださったのが、キリストの十字架です。

ヨハネ19:30イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

 

十字架の死から聖霊が信者に下られた『ペンテコステ = 七週の祭り= 五旬節』までは、旧約時代〜恵みの時代(教会時代)への移行期です。

 

 律法の時代の人々の責任は、『モーセ契約』に忠実であること、つまり、律法を守り行うことでした。しかし、彼らは613すべてを守りきることはできませんでした。ローマ10:1~3

 

また、その律法の中には

モーセの後に登場する預言者たちに従うことイスラエルの民は、預言者たちを迫害し、時には殺したのです。

Ⅱ歴代誌36:14~16ー神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしました。

 

②後に、モーセのような預言者(メシアのこと)が現れたら、その人に従うこと 申命記18:15~19 イスラエルの民は、イエスのメシア性を否定し、十字架にかけました。マタイ12章、23:13

 

 モーセ契約』は、律法に従えば祝福が、不従順なら裁きが来るという『条件付き契約』でした。

 

律法に不従順となったイスラエルの民は、神に裁かれたのです。その裁きというのが、 

 

イスラエル王国ーBC721年、アッシリヤ捕囚

ユダ王国ーBC586年、バビロン捕囚

 「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」マタイ27:25ーの民衆の発言どおり、AD70年に『世界離散の民』となったのです。

さらに、近い将来の『七年間の患難時代通過』という裁きが予定されています。ーエレミヤ30:1~11, ダニエル12:1, マタイ24:21~22

 

モーセの律法では、犯した罪によりいけにえとなる動物が決められていました。

また、すべての律法を守ることが不可能なため、祭儀制度による神との関係回復も用意されていました。これらの『行い』は、罪によって壊れてしまった神との関係回復のためのものであって、『罪を取り除く』ためのものではありませんでした。

 

動物の犠牲をささげることにより、神との関係を回復できるというところに『恵みの要素』がありましたが、彼らの罪のシミはまだあったのです。

ですから、罪を犯す度、また毎年毎年繰り返し祭儀制度によって、いけにえの動物をささげなくてはならなかったのです。

 

そこに †メシアの来臨 † がありました *\(^o^)/*

 

繰り返しささげられる動物の血では、罪を取り除くことはできませんせんでした。

それどころか、犯した罪によっては身代わりとなる動物の定めがなく、罪を犯した本人の肉体的に死ななくてはならなかったのです。つまり、律法によっては償いきれない罪があったわけです。

 

『神の小羊』としてのメシアの血は、その贖いを信じる者にとって、贖いが及ばない罪はなく、すべての罪のシミを『取り除き』、私たちをきよめてくださる『完全な神へのいけにえ』なのです。

 

 

⒍【恵みの時代】〜現在ここです〜 

使徒2:1~黙示録19:21

 

パウロ(ベニヤミン族、回心前の名前:サウロ)が、この時代の管理者です。

ユダヤパウロが恵みの時代に関する啓示を一番多く受け取り、ユダヤ人にもまた『異邦人の使徒』として異邦人にも福音を宣べ伝えました。

 

エペソ3:2ーあなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。

 

律法は御使いとモーセを通して、恵みとまことはイエス・キリストを通して与えられました。

ヨハネ1:17ーというのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

 

ヘブル書の著者は、御使いを通して与えられた律法でさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、御使いを通さず、神の御子から直接与えられた “救い” をないがしろにした場合、“当然の処罰(永遠の滅び)” からどうしてのがれることができるだろうか』2:2~3ーと言っています

 

ですから、私たちは伝道するのです。

ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

ですから、私たちは『モーセの律法』ではなく、『キリストの律法 = 愛の律法』『キリストが使徒たちに教えられた教え』に聞き従うのです。

これが、この時代の人々の責任です。その責任を果たせるようにと、キリストは『もう一人の助け主』としての聖霊を与えてくださったのです。

 

ヨハネ14:16~17a, bーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

その方は、真理の御霊です。…中略…しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

(もぅ、至れり尽くせり…ですね😍)

 

七年間の「患難時代」ー黙示録6〜19章, マタイ24:1~26恵みの時代ととる考え方も、次の御国の時代ととる考え方もありますが、基本的には『御国の時代』への「移行期間」です。

 

イエスを信じない多くの人々への裁きであると同時に、患難時代前半には世界規模でのリバイバルが起こる恵みの要素でもあります。(迫害の時代なので、命がけの信仰が求められる時代でもあります💦)

これが恵みの時代の人々にとって最後の救いのチャンスです。

 

『終わりの時代』には、教会でさえも背教します

黙示録3:15~16ー「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」

1テモテ4:1ーしかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

 

 

しかし、真の信者である『キリストの花嫁』は、患難時代の前に花婿であるキリストが迎えに来られ、天に挙げられ(携挙)、患難から守られます。

Ⅱコリント5:10ーなぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

(これは『キリストの御座のさばき』と言われる、今の信仰生活の決算報告であって、御国での報酬を決めるためのものです。信仰によって、誰も罪に定められることはありませんので、ご安心を❗️😊)

 

携挙により地上から信者がひとりもいなくなった世に、まず14万4千人のユダヤ人が救われ、彼らによって福音が伝えられます。

ユダヤ人 → 異邦人へ…それこそがキリストの命じられた福音の伝達経路です。

旧約聖書を土台にした新約理解、これこそが『古くて新しい教え』であり、矛盾なく福音を理解することができるのです。

 

患難時代の終わりに生き残っているユダヤ人は、全員イエスをメシアだと信じるようになり、次のみことばが成就します。

ローマ11:26~27ーこうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。

「救う者がシオンから出て、

ヤコブから不敬虔を取り払う。

これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。

それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

 

 

⒎【御国の時代】…メシアが王の王として、エルサレムから統治される「王国」 

黙示録20:1~10

千年王国ー千年間というメシアによる王国の統治期間を強調しています。

この時代は、メシアによる御国の律法への従順が求められます。

 

患難時代の最後の三日間でイスラエルの民族的回心が起こると、キリストの地上再臨が起こります。

 

患難時代〜千年王国が始まるまでの間に、75日という期間があり、その間に

①患難時代を生き延びた異邦人のさばきである『羊と山羊のさばき』マタイ25:31~46ーがあります。

『羊組』になった人々は、肉体を持ったまま千年王国に入ります。彼らは千年王国で結婚も出産もするので、御国の時代にも肉体(原罪)を持った人々が生まれてきます。

その人々を『王の王であるキリスト』を信じ従うように導くのが、祭司としての本当の私たちの務めになります。(教会時代の未信者への伝道は、ある意味そのための訓練期間です)

 

②旧約時代の義人たちと患難時代の聖徒たちが復活します。

 

御国の時代に肉体を持って誕生してくる異邦人はみな、百歳まで生きられます。

百歳までにキリストを信じなかった者に、肉体の死が訪れます。

イザヤ65:20ーそこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。

百歳で死ぬ者は若かったとされ、

*百歳にならないで死ぬ者は、(*百歳で、の意)

のろわれた者とされる。

 

千年間の終わりにまだ百歳に達していない人々を、キリストを信じるのか、サタン側につくのかを試すために、サタンが『底知れぬ所(アビス)』から解き放たれます。

これが最終的なテストです。

 

 

恵みの要素としては、患難時代の終わりに民族的回心をしたユダヤ人たちから誕生する御国の時代のイスラエル人たちは全員 救われます。

神の壮大なご計画の中で、自分がどの時代のどこに生かされているのかを確認し、今主にあって何をなすべきかを祈り求めていけますように。

ここまで読んでくださったお一人お一人に、主の豊かな祝福がありますように。

アーメン †

 

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