サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヨハネの黙示録2章

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*『神様のご計画』の表訂正:X 五旬節/ペンテコステ 使徒1:9 →O 使徒2:1~4

 

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 黙示録2〜3章に出て来る「七つの教会」の前半の学びです。果たして「七つの教会」とは何なのか…?どんな意味があるのか…?みことばの深い部分のお裾分けです。

 

黙示録1章の最後で主は「七つの燭台=七つの教会」であると教えられました。聖書では「七」は完全数です。そのことから三つのことが分かります。 

1)ヨハネが生きていた一世紀当時、実際に小アジアに存在していた地域教会を指す。ただし、地域教会は他にもありました…コロサイの教会など。

 

2)「教会の七つの型」を指すー教会の歴史上、どの時代にも「七つの教会の型」は存在したということです。

 

3)教会史上、各時代の教会の特徴を預言的に表わしたものーつまり、ある時代にはある型の教会の特徴が顕著に現われるということです。

 

黙示録2〜3章の七つの教会は…

1)エペソにある教会(2:1~7)ー使徒時代の(初代)教会の型。 

2)スミルナにある教会(2:8~11)ー迫害時代の教会の型。 

3)ペルガモにある教会(2:12~17)ー国家教会の型。 

4)テアテラにある教会の型(2:18~29)ー暗黒時代の教会の型

5)サルデスにある教会(3:1~6)ー宗教改革時代の教会の型。 

6)フィラデルフィアにある教会の型(3:7~13)ー大宣教時代の教会の型。 

7)ラオデキヤにある教会(3:14~22)ー背信の教会の型。つまり、現代の教会の型です。

 

歴史好きな方、世界史を勉強された方なら、なんとなく(ああ そう言われてみれば、そうかも〜)と思われると思います。ペンテコステで教会が誕生してから二千年余、教会の歴史はこのように流れてきました。その特徴的内容を実在した各教会への書簡形式で、ヨハネがパトモス島で書き記しているのです。

 

【エペソにある教会】

黙示録2:1ー•宛先ーエペソ…「好ましい」という意味です。

•年代ーAD30〜100年頃。ペンテコステ〜使徒ヨハネが死ぬまでの期間。

•キリストの姿ー右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方。 

*星=天使。燭台=教会。

 

黙示録2:2~3ー•賞賛ー「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。」自称使徒たちの偽りの教えを見抜いた。イエスの名のためによく忍耐し、疲れたことがなかった。

 

cf 使徒の働き20:29~31ーパウロはエペソの教会の指導者たちに偽教師に注意するようにと警告をしています。 

cf 第一テモテ4:1~3、6:3~5、第二テモテ2:25~26ー愛弟子テモテにも同様の警告を書き送っています。 

 

これらの警告に基づいて、エペソの教会は偽りの教えに勝利しました。偽教師たちによる偽りの教えに勝利したというのが、使徒時代の教会の特徴です。 

教会=「エクレシア」ー“召された者(の集まり)”の意。つまり、信者の集まりである「普遍的教会」を指します。

 

使徒4〜6章を見ると、最初の迫害はユダヤ教サドカイ派(支配階級)から始まりました。トーラー(モーセ五書)しか権威を認めない彼らは、死後の復活を否定してしました。しかし使徒やキリスト者たちは『キリストの復活』を宣べ伝えていたからです。使徒7章をみると、迫害の第二段階がユダヤ教パリサイ派から始まったことが分かります。

 

黙示録2:4~5ー•叱責ーあなたは初めの愛から離れてしまった…エペソの教会は神のみことばから離れ、イエスに対する愛が弱まったということです。私たちも聖書のみことばがから離れると、たちまちこの世の価値観へと引き戻されてしまいます。

 

cf ヨハネ14:15ーもしあなたがたが、わたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。 

cf ヨハネ14:23ーだれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。  

cf ヨハネ14:24aーわたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。   

 

*私たちはイエスのことばに留まり、イエスの愛に留まりましょう。アーメン。

 

使徒時代の教会は、第一世代〜次世代への移行期でもありました。クリスチャンホームでも同じように、第二世代の者たちは、神のめぐみを当然のこととして受ける傾向があります。当然のこととして受け止めれば、感謝の心は薄らいでしまいます。(時に、霊的反抗期として、神を認めない自分自身でどこまで出来るかと、自分の力だけで生きようとする時期を迎えます。)そこでイエスは彼らに命じられました。

 

黙示録2:5ー「それで、あなたは、どこから落ちたのかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」と。悔い改めることをしないならば、あなたの燭台(教会)をその置かれた所(エペソ)からとりはずすと警告もされました。

 

燭台は、暗やみを照らすためのものです。つまり、教会が「世の光」としての役割を果たさなくなれば、取り外されてしまうのです。事実、エペソの教会はなくなってしまいました。 うちの近所にあった教会も現在ではファミレスに変わってしまっています。とても残念です。主も悲しんでおられるでしょう。

 

黙示録2:6ーニコライ派…「人々の支配者」の意。当時 聖職者と一般信徒とを区別して、聖職者による教会支配を意図する人々が出始めていました。その人々を「ニコライ派」と呼んだのであろうとされています。使徒時代の教会は、そのような傾向を憎んだので、イエスはその姿勢を良しとされました。

 

cf 使徒5:29b人に従うより、神に従うべきです。

 

黙示録2:7ー•訓戒ー命令…耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。 約束…勝利を得る者には「神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう」

 

「パラダイス」ということばはよく知られていますが、聖書には全部で3カ所しか出て来ません。

1)ルカ23:43ーイエスは彼に言われた。「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」

2)第二コリント12:4パラダイスに引き上げられて…後略。

3)黙示録2:7ー神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。

 

 

【スミルナにある教会】

黙示録2:8ー•宛先ースミルナ…「没薬」という意味です。

cf ヨハネ19:39~40ー埋葬の際、用いられる香料のこと。

 

•年代ーAD100頃~313年まで。この年にミラノの勅令が発布され、キリスト教がローマの公認宗教となり、迫害は止みました。

 

•キリストの姿ー初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方。迫害時代で日々 死の恐怖と直面していた人々にとっては、「死んで、また生きた方」というこのイエスの姿は、死後のいのちを保証し、大きな励ましとなっていたと思われます。

 

•叱責ーこの教会に対する叱責の言葉は、いっさいありません。

 

黙示録2:9~10ー•賞賛ー主イエスは、迫害時代を耐えたスミルナの教会をとても喜ばれています。

 

黙示録2:9ーあなたの苦しみ…迫害の中にあること。

貧しさ…物質的貧しさ。

富んでいる…霊的に富んでいる。 

スミルナの教会は苦難の教会でした。自称ユダや人、実質サタンの会衆である人たちからののしられていました。これ以上の記述は無いので、どの歴史的事件を指しているのかは不明です。

 

黙示録2:10ー十日の間、苦しみを受ける…悪魔によって十日間苦しみを受けるということですが、ここでの「十日」は象徴的な日数です。AD96~313年の間に教会を迫害した十人のローマ皇帝が出ているので、「十日」とはその十人のローマ皇帝による迫害の期間ととることができます。

 

•命令ー死に至るまで忠実でありなさい。

黙示録2:11ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。 

 

•約束ーそうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(10節)

黙示録2:11ー勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。

 

人間には、誕生も死も2回ずつのチャンス!?があります。

1)肉体の誕生母の胎からの誕生…「水(羊水)によって生まれる」ーヨハネ3:5

*この「水」をバプテスマの水と解釈すると、文脈とつじつまが合わなくなるので要注意。

2)霊的誕生御霊により神の子としての誕生ヨハネ1:12、3:6、第一コリント12:3。

 

1)肉体の死ー罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったローマ5:12。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。…詩篇90:10

2)霊的死たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。…マタイ10:28b。   

 

人間は誰もが肉体の誕生と死を経験します。肉体で誕生した者は、霊的にも誕生することを神さまは望んでおられます。霊的に誕生した者は、肉体の死を迎えてもたましいの死を経験することはありません。キリストにあって永遠のいのちを得ているからです。

 

しかし、肉体が生きている間に、霊的誕生をしなかった人は、肉体の死後、更にたましいの死を迎えることになるのです。神との関係断絶がそれです。だからイザヤはこう言っています。

cf イザヤ55:6ー主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。 

 

またルカもこう言っています。

cf 使徒17:27ーこれは神を求めさせるためであって、もし探りも留めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。

 

どうか肉体が生きている間に、神を呼び求める人々が大勢起こされますように。そのために私たちがなすべきことをすることができますようにー*ローマ10:14、10:17

 

 

【ペルガモにある教会】

黙示録2:12ー•宛先ーペルガモ…「結婚した」という意味です。

•年代ーAD313~600年。313年ミラノの勅令により、キリスト教がローマの公認宗教となって以来、国家と結婚したような状態になりました。信仰は強制されるべきものではなく、自由意志によるべきです。

 

•キリストの姿ー鋭い、両刃の剣を持つ方。裁き主としての主の姿。

cf ヘブル4:12ー神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。*神のことば=イエスーヨハネ1:12、14

 

 

黙示録2:13ーサタンの王座ーペルガモの町は、偶像崇拝の中心でした。そこには蛇を祀ったエスクラピアスの神殿がありました。蛇は悪魔の別な名称にもなっていることからーcf 黙示録12:9ー「サタンの王座」とは、その神殿を指すものと思われます。

 

忠実な証人アンテパスーこの人物に関する記述はここ以外にはありません。しかしたとえ人間側の記録に残されていなくても、神の記録には残されているのです。この世での知名度に固執するのか、神に知られる働きに重きを置くのかで人生は大きく変わってきます。どちらを選ぶかは個々の自由意志によります。

 

•賞賛ー主イエスは、アンテパスというキリスト者が殉教した時でも、ペルガモの教会が信仰を捨てなかったことを褒めています。

 

黙示録2:14~15ー•叱責ー主イエスは、二つの点でこの教会を叱責しています。バラムの教えとニコライ派の教えです。

 

黙示録2:14ーバラムの教え…バラムとは、メソポタミヤの預言者です。荒野を旅するイスラエル人に呪いをもたらそうとした人物です。バラムはモアブ人(創世記19:30~38)とミデヤン人(創世記25:2、出エジプト2:16~21)の女を使って、性的に誘惑し、最終的に偶像礼拝へと誘い込みました。

 

cf 民数記22~24章。それと同じように「国家と結婚した教会」もまた、偶像礼拝と不品行とに陥りました。 *この時代は、形式的信仰のクリスチャンが増えた時代でもありました。

 

黙示録2:15ーニコライ派の教え…ニコライ派は、聖職者と一般信徒とを区別する教えです。私たちが気をつけなければいけないのは、「その教え」が神から来たものなのか、人間から来たものかを判別することです。その良い例が、使徒17:11にあります。

 

cf 使徒17:11ーここ(ペレヤ)のユダヤ人たちは、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

「◯◯牧師が言ったから…」「△△神父が言ったから…」というだけでは不十分です。なぜなら彼らも私たちと同じ人間だからです。

cf ローマ3:10ー義人はいない。ひとりもいない。 

*ペレヤのユダヤ人のように、必ずみことばで確認することです。

 

cf ヘブル4:12ー神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

 

黙示録2:16~17ー命令と祝福。

•命令ー1)悔い改めなさいー16節

2)耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさいー17節。

 

•祝福(約束)ー1)マナ…ヨハネ6:48~51ーイエスご自身がいのちのパンです。このパンを食べるなら、永遠に生きるのです。 つまり、悔い改めて神に立ち返るなら、イエスといういのちのパンが与えられ、永遠に生きるという約束です。

 

2)白い石…神に受け入れられたことを示すしるしです。ローマ時代の裁判では、無罪になった者には「白い石」が与えられました。 

罪の悔い改めと主イエスへの信仰がなくては、マナも白い石もいただくことはできません。自分自身の信仰が形式的になっていないか確認し、みことばによって養われましょう。

 

 

【テアテラにある教会】

黙示録2:18~29ー•宛先ーテアテラ…「継続した犠牲」という意味です。

キリストの十字架の意味を誤解し、継続して犠牲を捧げているという状態を暗示しています。

•年代ーAD600~1517年。

•キリストの姿ー燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような神の子。裁き主としてのイエスを表わしています。

 

黙示録2:19ー•賞賛ーテアテラの教会の愛と信仰と奉仕と忍耐、またその行ないが初めの行ないにまさっていることも主イエスに覚えられていました。主イエスは私たちのことをすべてご存じなのです。神さまですから…。

 

黙示録2:20~23ー•叱責ー自称女預言者のイゼベルをなすがままにさせていると叱責されました。イゼベルは偶像礼拝と不品行だけでなく、新しい教えを教会に持ち込みました。聖書的とは言えない「わざによる救い」「洗礼による生まれ変わり」「煉獄の教え」などが導入されたのもこの時代です。

*みことばからの確認が、いかに重要か分かりますね。

 

黙示録2:20ーイゼベル…旧約聖書に登場する「イゼベル」はアハブ王の妻で、聖書史上「最悪の女」として知られていますーcf 第一列王記16:31、第二列王記9章。

 

黙示録2:21ー悔い改める機会…cf ローマ2:4ーそれとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。神がさばかれずにおられるのは、悔い改めの機会を与えるためです。そこにあるのは、神の愛による忍耐と寛容なのです。

 

黙示録2:22ー病の床…呪い。

大きな患難…7年間の患難時代のこと。

cf マタイ24:21ーそのときには世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないようなひどい苦難があるからです。 

暗黒時代の教会、つまり真にキリストの教会でないものは、患難時代を通過させられます。

 

黙示録2:24ー•祝福ーサタンの深いところ…サタンの誤った教え。異なる教えに染まっていないテアテラの教会を、「他の重荷を負わせない」つまり、守られると主は言っています。

 

黙示録2:25~26ー•矯正ーあなたがたがもっているもの…信仰。

信仰をしっかりと持っているようにとの勧め

cf 第二テモテ3:14~16ーけれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義とのために有益です。

 

黙示録2:26ー最後までイエスのわざを守る者には「諸国民を支配する権威」が約束されました。「諸国民を支配する権威」とは、千年王国の祝福のこと。

 

黙示録2:27~29ー命令と約束。

黙示録2:27ー•命令ー最後までイエスのわざを守るように。

•約束ーその者には、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼ら(異なる教えを受け入れ、偶像礼拝や不品行を行なう者)を治めさせる。

 

黙示録2:28ー明けの明星=イエス・キリスト

cf 黙示録22:16ー「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である」

 

黙示録2:29ー•命令…耳のある者は御霊が諸教会にいわれることを聞きなさい。

 

*聖書の啓示している真理以外の教えを、真理として教える者は、自らがさばきに会うだけでなく、その教えを聞き、信じる者までも滅ぼしてしまいます。私たちは「真理のみことばをまっすぐに説き明かす働き人第二テモテ2:15」であり続けられますように。 アーメン。

 

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