神様の選びには二種類あります。
【民族的選び】と【個人的選び】
⑴ 民族的選びーイスラエル。
申命記7:6ーあなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
⑵ 個人的選びーイスラエル人、異邦人ともに全人類対象。
エペソ1:4ーすなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
Ⅱ テサロニケ2:13ーしかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
この二つの選びは、永遠に変わることがありません。民族的選びは、神様ご自身の選びによるのです。イスラエル人たちは祝福も大きい分、責任も大きく、裁きも厳しいということを、異邦人信者は知っておくべきでしょう。
神様の目的を『人類救済』止まりで考えると、人類が中心になってしまいます。
神様の目的は、ご自身の栄光を現わすことです。
イザヤ43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は、
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
【新しい契約】
エレミヤ31:31ー見よ。その日が来る。ー主の御告げ。ーその日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに新しい契約を結ぶ。
新約聖書で『新しい契約』が結ばれたと思っている方が多いかもしれませんが、『新しい契約』を含むすべての神様の契約は、旧約聖書で結ばれています。それも御父と御子の契約でも、ましてや異邦人信者であるクリスチャンとではなく、人類代表と、イスラエルと、『イスラエルの家とユダの家』とです。
http://osusowake.hatenablog.com/entry/20130603/1370255922
*神様が結ばれた『八つの契約』の中で、異邦人や異邦人クリスチャンと結ばれた契約は一つもありません。
エレミヤ31:31で結ばれた『新しい契約』の内容が、新約聖書で主イエスによって成就したのです。『新しい』というからには『旧い契約』も存在します。それが『モーセ契約』であり、モーセの律法に対して『新しい』と言われたのです。
新しい契約は結ばれれば、旧い契約は当然破棄されます。
ヤコブ2:10~11ー律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
「姦淫してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。
613あるモーセの律法は、守るならすべてを守るしかないものであり、一つでも破れば違反者となります。『十戒』だけ現在でも有効というものではありません。律法により『すべての人は罪人である。』ということが明らかになり、救い主の必要性を認めさせる『養育係』をしたと聖書は言っています。
私たち異邦人信者(クリスチャン)は、ただただ『神の恵みにより、信仰によって』この新しい契約の『祝福』に与る者となったのです。それは【個人的選び】の結果であって、【民族的選び】によるものではありません。
また【民族的選び】のイスラエル人であっても、個人的にイエスをメシアとして受け入れなければ、救いには至らないのです。
*救いは、あくまでも “神と人” という個人的関係の中で行なわれます。
ですから、御子の十字架の贖いによる神の和解を受け入れた私たちは、旧いモーセの律法に縛られた信仰生活ではなく、主イエスを見上げて、大胆に神に近づく者として、キリストの愛と恵みの中に生きるべきです。
主にある平安と喜びに満たされ、『今日』を生きられますように。