サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イスラエルの祭りとキリストとの関係

クリスチャンでも『携挙』を知らない人って結構いるのね。

知ってても七年間の『患難期前』説『患難期中期』説、『患難期後』説とその教えはまちまち…そこでヘブル的視点の出番。教会は『キリストの花嫁』ですから、イスラエルの結婚式のしきたりに合わせて理解すれば分かり易いのです。

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*携挙は『患難期前』に起こる出来事です。

 

旧約聖書新約聖書を切り離して考え、現在は新約の時代なのだからと、難しい旧約聖書はあまり読まない人がいます。

また気に入ったみことばを取り出すように読んだり、文脈に沿って読んでも、遠い昔の外国での出来事、他人事として理解している人もいます。

 

でもね、旧約聖書に記載されているイスラエルの祭りや神殿は、やがて新約聖書で成就することの『型』だったり、キリスト・イエスの『本質』だったりするのです。

聖書と科学が互いに補完し合うように、旧約と新約も互いに補完し合っているのです。

 

ユダヤ教を今でも信じ、ひたすらメシアの来臨を待ち望んでいるイスラエル人は、過越の食事に込められたキリストの十字架の贖いの意味を知らずに、過越の祭りを祝っています。

一方、メシアを信じるクリスチャンは、過越の食事の意味を知らずに『聖餐式』に与っているのです。

 

〜過越の食事と聖餐式〜【過越の食事の順序】

(1) 母か娘が、燭台に火を灯すー『世の光』として来られたメシアを象徴。

cf ヨハネ12:23

(2) 第一の杯ー『感謝の杯』

 

(3) 母か娘が水の入った鉢とタオルを持って回り、人々は指を洗いタオルで拭く。

『最後の晩餐』の時に女性はいなかったので、ここで主が弟子たちの足を洗われた。

cf ヨハネ13:4~5

 

(4) 第二の杯ー『裁きの杯』

(5) パセリを塩水に浸して食べるー苦さの象徴。

 a) 塩水の入った鉢は数人に一つ用意された。

 b)主はユダの裏切りを予告。cf マタイ26:23。

 

(6) ここで、「アフィコーメンの儀式」がある。 

〜アフィコーメン(デザート)とイエス〜

 

① 三つの部分に分かれた布袋に三枚の種なしパンを入れるー御父・御子・御霊の三位一体の神を表わす。その第二位各の神が、キリスト・イエスです。

a) 種なしパンーイエスには罪がなかった

b) パンには、筋が入っていたーイエスのからだに付いた鞭の跡

c) パンには小さな穴があいていたーイエスのからだに残った釘と槍の跡。

d)「アフィコーメン」は、十字架上のイエスのからだを象徴。

e) このパンを食する=イエスの十字架を信じ、受け入れることを意 味する。

 

② 真ん中のパンを取り出し、二つに裂き、半分を亜麻布にくるんで隠すー真ん中のパンは、御子イエス。

二つに裂きー十字架で裂かれたイエスのからだを象徴。

半分を亜麻布にくるんで隠すーイエスの死体は、亜麻布に包まれて墓に納められましたマタイ27:59~60。

 (聖書的には人間の死は、肉体とたましいの分離です。亜麻布に巻かれたイエスのからだは墓に納められ、イエスの霊・たましいはよみに下られ、宣言なさいました。)


③ メインコースの後で、それを持ち出して食べるーイエスの復活の象徴。

 

(7) ハロセットと苦菜を食べる。この時点で、ユダは去る。cf ヨハネ13:26~30。

(そうか!イスカリオテのユダはメインコースの前に席を立ったから、アフィコーメン=デザートも食べてないんだ!! つまり、復活の主に与ることもなく、主を信じ受け入れるという聖餐式に繋がるパンの教えにも与っていない。一方、その場に留まった十一弟子たちもペテロを初めとして全員主を裏切ったけどーマタイ26:56ー全員復活の主に会い、主をメシアとして信じることができたんだ!!)

 

(8) メインコース

 

(9) 亜麻布にくるんで隠しておいた「アフィコーメン(デザートという意味)」を食べるー復活を象徴

*ここで「これはわたしのからだです」という聖餐式のパンの教えがあった。

 

(10) 第三の杯ー「贖いの杯

*ここで「これは、わたしの契約の血です」という聖餐式のぶどう酒の教えがあった。cf マタイ26:26~29

 

(11) 第四の杯ー「賛美の杯

 

レビ記23:39~43『仮庵の祭り』についての記述です。

 

レビ記23:43ーこれは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。

わたしはあなたがたの神、主である。

 

仮庵の祭りは、奴隷生活をしていたエジプトを出て、荒野で40年間過ごしたことを記憶するために、毎年第七の月の十四日(今の9~10月)に、庭先やベランダに仮庵(テント)を建て、七日間そこで過ごして祝います。

 

これもキリストを表わしているのです。

 

ピリピ2:6~7ーキリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

 

*神の御子が、肉体という『仮庵』に住まわれました。

イエスの生涯は33年半。過越の祭りの時に十字架の死を遂げているのですから、単純に逆算するとその誕生はちょうど『仮庵の祭り』の頃となります。また公生涯は3年半ですから、メシアとしての活動を開始されたのも仮庵の祭りの頃と一致します。

 

さらに、黙示録に預言されている『千年王国』は、患難時代の最後に『地上再臨』されたキリストが王として、『地球』という仮庵において全世界を統治される期間なのです。

またそれは、原罪を犯したアダムによって失われたエデンの園』の回復でもあるのです。

 

過越の祭りで十字架にかかったイエスは、33歳半でした。ですからそこから逆算すると、イエスの誕生は『スコット』=仮庵の祭りの頃(9〜10月)で間違いないでしょう。

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そして母マリヤの親類エリザベツは、マリヤが受胎告知を受けた時 妊娠6ヶ月でしたから、バプテスマのヨハネの誕生は『過越の祭り』の頃(3〜4月)になります。

つまり、イエスの先駆者として登場したバプテスマのヨハネも、キリスト・イエスの誕生も、イスラエルの祭りと深い関わりがあるのです。

 

イスラエルの祭りは、全部で七つ。完全数!!)

 

・春に四つ…これらはキリストの生涯の『型』。

 

1)過越の祭(レビ23:5)キリストの十字架において成就。

2)種なしパンの祭り(レビ23:6~8)キリストの公生涯、罪のない神の子の『葬り』において、成就。

3)初穂の祭り(レビ23:9~14)キリストの復活において成就。

『初穂』としての復活ということは、私たちクリスチャンも主イエスに続いて復活するのです。

4)五旬節/七週の祭り/ペンテコステ(レビ23:15~21)…イエスの代わりに『もう一人の助け主』として聖霊降臨にて成就。

 

イスラエル春の祭り四つが歴史上、既に成就した出来事です。

 

秋の祭りは三つ。(『三』も聖書では、完全数。)

5)ラッパの祭り(レビ23:23~25)キリストの『空中再臨』(携挙)にて成就。cf 1テサロニケ4:16~17ー主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

cf 1コリント15:52ー終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

 

『ラッパの祭り』は『新年の祭り』でもあり、第七の月はほぼ一ヶ月にわたり、記念のラッパが吹き鳴らされました。民数記10:10を見ると、他の例祭にもラッパが吹かれたことがわかります。

しかし第七の月の第一日は、特別に雄羊の角で作られたものが用いられ、『贖罪の日』への備えをさせました。

 

6)贖罪の日『ヨム・キプール』レビ記23:26~32)第七の月の十日は大祭司が年に一度、至聖所に入って務めを果たす特別な日です。

七年に一度の『土地の安息』は、この日に角笛を鳴り響かせます。

また第49年目の十日の日没からの『ヨベルの年』の開始を角笛で宣言します。

 

*『ヨベルの年』レビ記23:8~13)ヨベルの年の第七の月の十日に吹かれる『角笛』は、第一日の『ラッパの祭り』で継続的に吹かれるラッパとは大きな違いがあります。

 

『ラッパの祭り』…“あなたがたの喜びの日(第七の月の一日)、あなたがたの例祭と新月の日(月初め)に、あなたがたの全焼のいけにえと、和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは神の前に覚えられる。”ー民数記10:10民の動員、行動を促し、主に拠り頼む表われです。

 

それはまた、エリコ陥落の際に吹かれた角笛と同じです。ーヨシュア記6:3~4 , 6:20。

この時吹かれた角笛(ラッパ)は、後に起こることの『影』でした。本体は、黙示録11:15にあります。

 

cf ヨシュア記6:3~4ーあなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。

七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。

 

cf ヨシュア記6:20ーそこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。

 

cf 黙示録11:15ー第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。

「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

 

空中の権威を持つ支配者(エペソ2:1)暗やみの世界の支配者たち(エペソ6:12)の陥落。

 

『ヨベルの年』Year of Jubileeレビ記25:8~13)…七年に一度の『安息の年』を七たびの49年の第七の十日(50年目)に、角笛を鳴り響かせ『ヨベルの年』の宣言。国中のすべての住民に解放を宣言。

意味は三つ。

①土地の休耕。②土地の所有者への返還。③奴隷解放

 

cf レビ記25:10ーあなたがたは第50年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。

 

cf レビ記25:13ーこのヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。

 

cf ピリピ3:20ーけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

*このみことばは『携挙』とも『地上再臨』とも理解できます。 

 

携挙の時に吹かれるのが、1テサロニケ4:16『神のラッパ』です。

御父が吹かれるラッパは、歴史上2回。

1回目は、出エジプト記19:13b~19ー『雷といなずまと密雲』『煙(かまどの煙)』『火の中』…これらはすべて神の栄光『シャカイナグローリー』を表わします。cf 創世記15:17

 

1テサロニケ4:162回目ですが、まだ『携挙』は起きてないのでこのラッパは吹かれていません。

このラッパは、キリストが花婿として花嫁(教会)を迎えに来る時(空中再臨)に、「いってらっしゃい。/今、迎えに出ましたよ。」の合図として、花婿の父(御父)が吹くラッパです。

 

『携挙』で挙げられた私たちクリスチャンは、天にてキリストとの結婚式/祭司としての任職式に与るのです。cf レビ記8:33~35。

 

その間、地上では『携挙』の恵みから漏れた未信者たちが通過する七年間の『患難時代』となるわけです。患難時代にも世界規模でのリバイバルが起こるため『救い』はあります。しかし聖霊の内住はなく、旧約時代と同じような聖霊の働きになりますから、患難という時代の中で賢く神に従っていかなくてはなりません。それを教えているのが、マタイ25:1~13の『十人の娘たち』です。

 

*『十人の花嫁たち』とは書かれていないことに注意!『キリストの花嫁』となれるのは、今の教会時代の聖霊の内住のある『クリスチャン』のみです。

旧約時代の義人たちは花婿の友人、患難時代に救われる異邦人信者たちは花嫁の友人として、『婚礼の祝宴』(披露宴)である千年王国の直前に復活します。

 

患難時代の目的は三つ:

①邪悪な行為とそれを行なう者を根絶やしにするため。

cf イザヤ13:9ー見よ。主の日が来る。残酷な日だ。

憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、

罪人たちをそこから根絶やしにする。

 

②世界規模でも大リバイバルを起こすため。

cf マタイ24:14ーこの御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

*黙示録7章の14万4千人のユダヤ人による宣教。

 

イスラエルの民の頑なさを打ち壊すため。

cf ローマ11:25b~26aーその奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。

 

7)秋の祭りの最後は『仮庵の祭り』レビ記23:39~44)…キリスト・イエスの初臨も『仮庵の祭り』の頃。そして七年間の患難時代の終わりに、キリストが私たち花嫁を伴って『地上再臨』にて最終成就。

この地がサタンの支配からキリストの支配となる『千年王国/御国の時代』となります。

 

現在の『教会時代』は、春の祭りと秋の祭りの『端境期』であり、聖霊の内住(御父も御子も内住されます。cf ヨハネ14:16~17,23)のある恵みの時代です。

 

ヘブル4:4~5ーというのは、神は七日目について、ある箇所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた。」と言われました。そして、ここでは「決して彼らを安息にはいらせない。」と言われたのです。

ヘブル4:9ーしたがって、安息の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

 

神様が創造のみわざを休まれた『安息』の休みは、神の民であるイエスを救い主として信じる人々のためにまだ残されている、と聖書は言っています。

 

『今日が恵みの日。今日が救いの日。』と言われている間に、神の御子イエス・キリストを信じ、霊的覚醒して花婿のお迎えである携挙の恵みに与ることができますように。

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