サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

〜過越の食事と聖餐式〜

聖餐式に必ず読まれる聖書箇所:1コリント11:23~28

でもこの箇所だけでは、異邦人である私たちには深い意味まで掴みかねますよね。

 

ユダヤ人は、過越の食事がメシアに結び付くことを知らずに、伝統的に守り、異邦人クリスチャンは過越の食事の深い意味を知らずに、聖餐式に与っています。残念!これではどちらも片手落ちです。今年のイースターを迎える前に、『過越の食事』の意味を理解し、感謝を持って聖餐式に与ることができますように。

 

【過越の食事の順序】

(1) 母か娘が、燭台に火を灯すー『世の光』として来られたメシアを象徴。

(2) 第一の杯ー『感謝の杯』

 

(3) 母か娘が水の入った鉢とタオルを持って回り、人々は指を洗いタオルで拭く。

『最後の晩餐』の時に女性はいなかったので、ここで主が弟子たちの足を洗われた

cf ヨハネ13:4~5

 

(4) 第二の杯ー『裁きの杯』

(5) パセリを塩水に浸して食べるー苦さの象徴

 a) 塩水の入った鉢は数人に一つ用意された。

 b)主はユダの裏切りを予告。cf マタイ26:23

 

(6) ここで、「アフィコーメンの儀式」がある。

〜アフィコーメン(デザート)とイエス〜

 

① 三つの部分に分かれ、それぞれのポケットに一枚ずつ種なしパンが入った布袋を用意。ー御父・御子・御霊の三位一体の神を表わす。その第二位各の神が、キリスト・イエスです。

 

a) 種なしパンーイエスには罪がなかった

b) パンには、筋が入っていたーイエスのからだに付いた鞭の跡。

c) パンには小さな穴があいていたーイエスのからだに残った釘と槍の跡。

d)「アフィコーメン」は、十字架上のイエスのからだを象徴。

e) このパンを食する=イエスの十字架を信じ、受け入れることを意味する。

 

② 真ん中のパンを取り出し、二つに裂き、半分を亜麻布にくるんで隠すー真ん中のパンは、御子イエス。第二位格の神の御子が、第三の天から地上に来てくださったことを意味します。

*二つに裂きー十字架で裂かれたイエスのからだを象徴。

*半分を亜麻布にくるんで隠すーイエスのからだは、亜麻布に包まれて墓に納められたマタイ27:59~60

 

聖書的には、人間の死はからだとたましいの分離です。亜麻布で巻かれたイエスのからだは、墓に納められー申命記21:22~23ー、霊(たましいの更に内側の部分で、たましいとともにある。生れながらの人間は、御霊の内住がないので空洞状態) において、よみに下り、宣言をされました。ー1ペテロ3:19

 

③ メインコースの後で、それを持ち出して食べるーイエスの復活の象徴

 

(7) ハロセットと苦菜を食べる。この時点で、ユダは去る。cf ヨハネ13:26~30

(そうか!イスカリオテのユダはメインコースの前に席を立ったから、アフィコーメン=デザートも食べてないんだ!! つまり、復活の主に与ることもなく、主を信じ受け入れるという聖餐式に繋がるパンの教えにも与っていない。一方、その場に留まった十一弟子たちもペテロを初めとして全員主を裏切ったけどーマタイ26:56ー全員復活の主に会い、主をメシアとして信じることができたんだ!!)

 

(8) メインコース…子羊の骨付肉(十字架上でメシアであるイエスの骨は折られなかった)

 

(9) 亜麻布にくるんで隠しておいた「アフィコーメン(デザートという意味)」を食べるー復活を象徴

*ここで「これはわたしのからだです」という聖餐式パンの教えがあった。

 

つまり、過越の食事の順序の中に『復活の象徴』があり、その『主の復活のからだ』を覚えて『聖餐式のパン』に与るようにという意味になっているのです。

 

これは『罪のない神の御子のみからだ』によってのみ成せるわざです。

 

(10) 第三の杯ー『贖いの杯』

*ここで「これは、わたしの契約の血です」という聖餐式ぶどう酒の教えがあった。cf マタイ26:26~29

 

(11) 第四の杯ー『賛美の杯』

cf マタイ26:30

 

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教会で聖餐式をする時、食パン等で代用せずにユダヤ式の「種なしパン」で、ひとつひとつの意味をきちんと説明すべきだと思うのです。ただ1コリント11:23~28を読むだけでは、足りないと思うのは私だけなのかな〜?意味を理解しないまま行なうのは、神道の祭と同じになる気がします

 

1コリント11:23~28パウロは、「私は主から受けたことをあなたがたに伝えたのです」と言っています。それを読むだけというのは、いわゆる「また聞き」です。エデンの園で蛇(サタン)の誘惑を受けたエバのように、本来の内容と微妙に違ってくる可能性があるのは当然です。

 

 ましてや、私たちは異邦人であり “過越の食事” という習慣もありませんから、「化体説ー聖餐のパンとぶどう酒が実際にキリストの血肉に化わるという説」が出て来たのでしょう。

 

旧約聖書の出来事は、新約聖書の事柄の『型』だったり、本体であるキリストの『影』だったりします。異邦人の私的解釈ではなく、聖書のみことばから確認し、神様が意図していることを汲み取る努力をすべきですね。

 

このブログを読まれた方が、意味のある聖餐式に与ることができますように。

PS:『過越の祭り』に続き『種なしパンの祭り』が七日間行われます。 それは、罪人の身代わりとして十字架で死なれたイエスは、『罪の無いお方』であり、罪の無いお方として葬られたことの型となっています。 〜種なしパンの祭りとキリスト〜 http://osusowake.hatenablog.com/entry/2015/03/26/205535