ルツ記は昔 歴史書ではなく、預言書に分類されていたんだそうな…。メシアや神に通じる記述が多いので、それはそれで納得。歴史書に分類された時、士師記のすぐ後という位置にも納得。分類される時も御霊の導きがあったのね。
ちなみに、ヘブライ語聖書では『諸書』に分類されてます。
ルツ記に登場する人物、それぞれの名前の意味は?
①エリメレク…私の神は王である。
②ナオミ…喜び、快い。マラ…苦しみ。
③マフロン…病める者。
④キルヨン…消え失せる者。
⑤オルパ…うなじ。
⑥ルツ…友情。
⑦ボアズ…力ある者。cf Ⅱ歴代誌3:17。
⑧オベデ…仕える者。
*この名前の意味を理解しておくと、ルツ記を深く理解する助けになるのです。
①ルツ記の背景は、どのような時代でしょう?
ルツ記1:1ーさばきつかさが治めていたころ…cf 士師記21:25ーそのころ、イスラエルには王はなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。
*物事の善悪を自己中心に決めていた時代です。現代みたい…。
②『モアブの野』のモアブの地の起源は? どのような地でしょう?
時間があったら、モアブ人に対する律法も調べてみると更に役に立つのです。
創世記19:29~37。モアブ人は、アブラハムの甥ロトと姉娘の間に生まれたモアブの子孫です。『モアブ』という名は、へブル語の「メーアーブ(お父さんによって)」と語呂合わせになってます。
モアブ人たちは豊穣神バアルを崇拝していました。そしてイスラエルはシティムにとどまった時、モアブ人の娘たちと偶像崇拝の罪を犯しました。cf 民数記25:1~3、申命記23:3 & 17。
めいめいが自分の目に正しいと思うことを行なう時代だったからこそ、ベツレヘムの人エリメレクは、家族を養うために実り豊かなモアブの地へと移り住んだのです。
*エフラテ…ミカ5:2、ヨシュア19:15。
食物が豊富な国に移り住んでも、一家の大黒柱である夫を失ってしまっては、生活は大変だったでしょうね。
ルツ記1:4ー夫亡き後、ナオミは女手一つで10年間二人の子を育て、嫁を貰い、やっとこれからという時に…。
申命記23:3をよく理解していれば、モアブ人の嫁をもらうことはしなかったでしょうが、マフロンはルツと、キルヨンはオルパと結婚しました。ナオミは母として一安心…だったはず。人間的にはね…。
二人の息子マフロン(病める者、の意)とキルヨン(消え失せる者、の意)を失いました。残されたのはイスラエル人のナオミとモアブ人の嫁、ルツとオルパのみ…ちょうどその頃、風の噂が耳に入りました。
ルツ記1:6ー神がイスラエルを顧みてくださり、パンを下さったと。
①ルツ記1:7~8でナオミの心境に変化が見られますが、なぜでしょう?
ナオミは最初、家族として暮らしてきた二人の嫁を連れ立ってユダの地を目指しましたが、道々帰国してからの生活をいろいろ考えたのでしょう。二人の嫁はモアブ人です。申命記23:3が気になります。
それに二人共まだ若いのです。異国の地でやもめとして生活させるのはしのびなかったのでしょう。ナオミの義母としての愛情が、二人をそれぞれの実家に帰すことを決断させました。
ルツ記1:9ーナオミは二人に自国に留まり、再婚するように勧めています。ナオミの言葉には、愛が溢れています。ナオミの人柄を知っている二人は、声をあげて泣き、
ルツ記1:10ーナオミとともに行くと願います。
* 姑(ユダヤ人)と嫁たち(異邦人)の関係は、敵意ではなく愛で結ばれているのです。
②ルツ記1:11~13のナオミの言葉の背景にあるのは?
ナオミの説得の背景にあるのは、モーセの律法の一つ『レビラート婚』です。申命記25:5~6。
ルツ記1:14ーこのナオミの説得を聞いてオルパ(うなじ、の意)は実家に帰り、ルツ(友情、の意)はナオミにすがりついていました。二人共連れて帰れば、偶像神バアル崇拝から真の神を礼拝することになるのに…。
…と思うところですが、ユダの地に帰ればモアブ人(異邦人)としての生活は厳しいものです。そこで生き抜くには嫁たちの自発的な選択が必須なのです。真の神を礼拝するのも、強制ではなく人間側の自発が必要です。
『うなじ』の意味を持つ『オルパ』は、ユダの地と自国モアブでの生活を天秤にかけた時、偶像に満ちたモアブの地に留まることを選択しました。ここが彼女にとっての分岐点でした。彼女の名はこれ以降登場しません。命の書に名が残ることもありませんでした。
一方のルツは、のナオミの説得(ルツ記1:15)にも応じず、ユダヤ人である姑ナオミに「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」と信仰告白をし、逆に姑を説得しました。そのため一度はアブラハムから別れ、『異邦人』となったロトの子孫が、ルツを通してキリストの系図に戻ることになるのです。cf マタイ1:5。
ルツ記1:19ーふたりは旅をして…ナオミも一人旅よりもずっと心強かったと思います。
*ユダヤ教の『タルムード』では、ルツが士師記に登場するモアブの王の娘だったと見なしています。(注:他の史料による裏付けはありません。)
…だとすると、女性だけの二人旅、ユダの地での生活は、ルツにとっては本当に大きな変化だったことでしょう。それでもルツは自国モアブの生活より、ユダの地でナオミとナオミの民ユダヤ人と暮らすこと、偶像神よりも真の神を礼拝することを、信仰によって選び取ったのです。
ベツレヘムの町の人々は、十年以上離れていたナオミのことを覚えていました。ナオミとは『快い』という意味です。しかしモアブの地で、夫も息子たちも失って帰国した彼女は『マラ=苦しみの意』と呼んでくれと言います。たとえ自分が望んでも、彼女がマラと呼ばれた記録はありません。常にナオミです。
ルツ記1:22ー彼女たちがモアブの地からベツレヘムに帰り着いた時期は、『大麦の刈り入れの始まったころ』だと聖書は記しています。
これはどういう意味があるのでしょうか?
ルツ記1:22ー大麦の刈り入れの始まった頃…だいたい4月頃、過越の祭りの頃です。
まず最初に収穫されるのが大麦、そして小麦の収穫と続くので2〜3ヶ月間の収穫期に初めの頃に、ナオミとルツはユダの地に帰って来たことになります。
ユダヤには今で言う『生活保護』に当たる『落ち穂拾い』の律法がすでにありましたから、このタイミングでの帰国は、神様の御手により守られていることがわかります。cf レビ記19:9~10。
またモーセがシナイ山で律法を与えられたのは、七週の祭りの時です。
ユダヤ教のタルムードには『ノアの七戒律』というのがあり、また異邦人ルツの名前をへブル語に換算すると『606』になります。ノアの七戒律の『7』とルツの名の『606』を足すと『613=モーセの律法の数』となります。
そのため七週の祭りの時に読まれるのが、この『ルツ記』です。
神様の緻密性には、本当に驚かされますね。こういう奥深い所を知る度に、喜びが沸き上がると同時に、真の神様に出会えた恵みを感謝せずにはいられなくなります。この神様に栄光が帰されますように。