サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ルツ記 2章

ルツ記2:1ーボアズは、誰の親戚でしょう?また、どのような人物でしょう?

 

ナオミの亡夫エリメレクの親類であるボアズの名には『力ある者』という意味があります。エス様もまた「『力ある神』と呼ばれる」と、イザヤは預言しています。

イザヤ書9:6ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。

主権はその型にあり、

その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

その名のように彼は、多くの畑を所有し、神を畏れ、律法に長けた、人望を集めた人だったんでしょうね。理想の男性だと思ったら、ボアズはエスさまの『型』なんですね〜♡そしてナオミは『ユダヤ人の放蕩娘』…><

 

ルツ記2:2ーなぜルツはナオミに「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」と言ったのでしょう?それは何に基づいていると思います?

 

『落ち穂拾い』…当時のイスラエルにおいて生活保護』的律法だったのです。cf レビ記19:9~10、23:22、申命記24:19。

落ち穂だけでなく、畑の隅や束を畑に置き忘れた場合も、貧しい者、在留異国人、みなしご、やもめのものとなりました。神様の律法は、弱者に優しいのだ。

 

イスラエル人自らのエジプトでの奴隷生活の経験を思い起こし、社会的弱者に対する憐れみの心を示すようにとの神様の教えです。

 

ルカ6:36ーあなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

 

ヤコブ2:13ーあわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

 

後に預言者たちが『落ち穂』や『取り残された実』という表現は、イスラエルの滅亡のを象徴的に預言するのに用いられました。イザヤ17:6,ミカ7:1他

 

この『律法』があったことにより、モアブ人ルツとボアズの出会い♡があるのです。

ルツが落ち穂拾いを義母ナオミに申し出た時、ナオミは感謝を持って「娘よ。行っておいで。」と送り出しています。神の命令に従うこと(または教会での奉仕)は、強制によるのではなく、感謝を伴う自発的行為なのです。

 

ルツ記2:3ーここでの『はからずも』とは、どういうことでしょう?

その背後にあるのは何でしょう?

 

『はからずも』『ちょうどその時』…神様の摂理ですよね〜。その時は分からなくても、後になって気づくものです。

 

ルツ記2:4ー『ちょうどその時』という言葉に、何を感じますか?

ボアズと刈る者たちとの会話に何を感じますか?そこにあるのは、どのような思いでしょう?ボアズと刈る者たちとの会話は、雇用主と従業員の挨拶というより、主にある者同士の愛を感じますよね。日本もそうなったらいいのに…ね。

ボアズは神を崇拝し、、しもべたちはそのボアズを尊敬しています。

 

ルツ記2:5ー他にも落ち穂拾いをしていた人たちはいたはずですが、なぜボアズはルツに目を留めたのでしょう?

 

おそらくルツの働きぶりが、一生懸命だったことが伝わったのでしょう。

 

ルツ記2:6~8ールツがモアブ人だと知って、刈る者たちやボアズの態度に変化は見られますか?また、それは何故でしょう?

 

ルツ記2:7ーボアズのしもべたちも主人のボアズの影響もあって、律法に従う良いしもべだったことが伺えます。彼らもまたルツに対して好印象を持っていることが分かります。

 

ルツ記2:8イスラエルの律法だけでなく、さらにボアズによる保護が増し加わります。「ほかの畑に落ち穂拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。」

 

労働者たちの間で良い評価を得、受け入れられたこの畑から出ないように、というボアズの指示でした。

 

ルツ記2:9ー更にボアズは配慮を見せます。

「私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。」

若者たち…8節では『若い女たち』と言っていることから、ここでは『若い男性たち』という意味

じゃまをしてはならない…原語では『触れてはならない』の意。

厳しく命じておきました…『厳しく警告しました』の意。

 

つまり、ボアズはルツを性的誘惑からも守ろうとしたのです。民数記25:1~3から、モアブの地では性的に不道徳なことが偶像崇拝との関係で横行していましたから、若い男性からそういう目で見られる可能性があったと思われます。

 

一日中落ち穂拾いという重労働をするルツに対して、わざわざ水汲みに行かなくてもいいように、若者たちが汲んだのを飲むようにという気配りもボアズはしています。

 

上司が部下やパート、アルバイトの人たちのことを、このように細部まで気配りできたら、皆喜んで一生懸命働いてくれるでしょうね。部下をお持ちの方は、是非試してみてね。

 

ルツ記2:10ー地面にひれ伏して…ルツの態度や言葉から、ただの外国人としてだけではなく、モアブ人としての立場をわきまえていたのかもしれません。

 

cf 申命記23:3ーアモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、はいることはできない。

 

ルツ記2:11ー後にボアズがこのことを『先の真実』-ルツ記3:10-と言っています。

 

ルツ記2:12ーあなたが翼の下に避け所を求めて来た…cf マタイ23:37ーああ、エルサレムエルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

 

ボアズはイスラエルの神に保護を求めて来たルツを高く評価して、豊な祝福の言葉をかけています。ボアズは異邦人ルツの信仰を喜んでいるのです。

 

ルツ記2:13ールツはおごり高ぶることなく、ボアズが与えてくれた恩恵を素直に受け取っています。そしてちゃんと自分の立場をわきまえて『はしためのひとりでもない』と謙遜な応答をしています。

 

私たちもルツと同じ『異邦人信者』なのです。決して『霊的イスラエル』などとおごり高ぶらないように注意すべきです。

 

箴言16:18ー高ぶりは破滅に先立ち、

心の高慢は倒れに先立つ。

 

ルツ記2:14ー酢…酸いぶどう酒(ワインビネガー)のこと。労働者の飲み物。

ボアズはパン切れを酢に浸して食べるようにルツに勧めています。

これはルカ1:53『マリアの賛歌』ヨハネ13:26最後の晩餐を思い起こさせますね。

 

ルツは十分食べてから、余りを義母ナオミのために残しておきました。ここにルツの優しさをみますね。

cf ルカ1:53ー飢えた者を良いもので満ち足らせ、

富む者を何も持たせないで追い返されました。

 

cf ヨハネ13:26ーイエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスはパン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。

 

口をつけたパンを再度酢に浸すことから、パン切れを浸すという行為は、深い交わり、親しい関係を意味します。ボアズはルツと、イエスは最後までイスカリオテ・ユダと親しい交わりを持たれたのです。

 

ルツ記2:15ー食事を終えたルツは、午後も落ち穂を拾いに畑へと向かいました。するとボアズは若者たちにルツに対する配慮を命じます。

 

ルツ記2:16ー束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい…私たちが願い求める以前に、主の配慮が既になされているのです。なんという愛♡でしょうか!!

 

ルツ記2:17ー朝から夕方まで丸一日働いたルツは、大麦23 ℓ も集めることが出来ました。その影にはもちろんボアズの暖かい配慮がありました。

 

ルツ記2:18ーその収穫を家に持ち帰り、ナオミに見せ、尚かつ昼に残しておいた分を取り出して、彼女に与えました。

 

cf ローマ15:27ー彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 

ルツ記2:19ー普通の落ち穂拾いでは考えられない程の量の大麦を見せられたナオミはびっくりして、どこの畑で落ち穂拾いをしてきたのかと訊きます。その畑の所有者を祝福するためでした。

ルツからそれがボアズの畑であることを聞いて、ナオミは更に驚きます。

 

ルツ記2:20ーなぜなら、それが亡き夫エリメレクの親戚だったからです。

 

近親者…へブル語:カローブ

買い戻しの権利のある親類(新共同訳:買い戻す義務を負う親戚。口語訳:近親者)…へブル語:ゴエール。cf 申命記25:5~10

しかもナオミが知る限りにおいて、ボアズはただの親戚ではなく、『ゴエール』つまり、亡き夫エリメレクの地所を買い戻す(贖う)権利を有する親戚のひとりだったのです。

 

 ルツ記2:21ーここでのルツの言葉『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない。』に注目!

ボアズに言われたこととしてナオミに伝えていますが…ボアズが8節で言った内容と比べてみてください。

 

 cf ルツ記2:8ーボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。」

 

 ルツ記2:22ーしかしナオミは、さずがのユダヤ人女性です!! さりげなくルツの間違いを訂正してこう言っています。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」と。

*いじめられる…外国人というだけでなく、ルツの場合はモアブ人だったからです。

 

ルツは異邦人モアブの女でしたから、ボアズの『若い女たちのそばはなれないで』という言葉の意味には、民数記25:1~3の歴史的背景があるというところまで深く理解できずに、自分なりに解釈してしまったのでしょう。

それを理解しているのはユダヤ人の姑ナオミです。速やかに『若い女たちといっしょに』と、ボアズが言わんとした元の意味に言い直しているのです。

 

AD70年の神殿崩壊以降、1948年のイスラエル国家再建までの長い歴史の中で、異邦人クリスチャンは聖書理解から旧約聖書という神のことばの土台を託された『ユダヤ人』を除外してきました。ユダヤ人の国が無いことを理由に、高慢にも『イスラエル』という新約聖書の言葉を『霊的イスラエル』と置き換えて、自分たち異邦人クリスチャンを指す言葉として理解してきました。

その結果、みことばに覆いが掛かり、本来の意味から遠く離れた解釈や多くの比喩的解釈、様々な説があり、どれが正しい解釈なのかがわからなくなってしまったのです。

 

それをユダヤ人姑ナオミがしたように、メシアニックジューたちのバランスの取れた解釈が最近になって広がってきました。(メシアニックジューだからといって、「すべてのメシアニックジューの教えが正しい」という意味ではなく、みことばによる裏付け、解釈の一貫性があることを確認しないとダメなんですけどね💦)

頭ごなしに否定するのではなく、使徒17:11に立ち返って、今までの解釈とバランスの取れたメシアニックジューたちの解釈とどちらが聖書全体の中で矛盾のない解釈かを確認する作業が今、異邦人クリスチャンには求められているのだと思うのです。

 

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

みことばに聞き従う意志を持って、ニュートラルな心で御霊の導きに従うクリスチャンが増えますようにー祈ー。

 

ルツ記2:23ー収穫の最初は、大麦です。そして小麦と続きます。すべての収穫を終えるには、1〜2ヶ月かかります。 

ナオミとともにユダヤの地に入ったのがちょうど七週の祭りの頃ですから、3〜5月にかけてボアズの畑で落ち穂拾いをしたことになります。収穫が終わる前には、ルツはボアズと結婚することになるわけですから、ちゃんと神様の守りの御翼がルツとナオミを覆っていたのです。

 

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