サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

産みの苦しみの始まり

私も含めて世間では『終末論』的な発言が増えている昨今ですが、今回はなぜそう言われるのかを、聖書預言の上に立って歴史的出来事を見ていきたいと思います。

 

マタイ24:5ー私の名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

 

現在、実に多くの『異端』(偽りのキリスト教)が蔓延っています。『私こそキリストだ。』と再臨のキリストを装う者がいても、その者が地から出ているのであれば、彼らはすべて『偽キリスト』です。

 

*本物の再臨のキリストは、天から『雲に乗って来られる』からです。

使徒1:11ーそして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見た時と同じ有様で、またおいでになります。」

 

黙示録1:7ー見よ。彼が、雲の乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

 

マタイ24:6ーまた、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ずおこることです。しかし、終わりが来たのではありません。

 

主イエスは地上生涯の中で、小規模な戦争は必ず起こるし、戦争のうわさを聞くと言われています。そして、それらは『終わりが来たことのしるしではない。』ときっぱりと言われました。

 

マタイ24:7~8ー民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

 

これは内戦というような規模ではなく、『国際間の戦争であり、民族間の戦争』です。そして飢饉地震が伴うと…。それこそが『終わりの初め』であり、次に来るイエスを王とする新しい世『メシア的王国への産みの始まり』だと言っておられます。

 

これが1914~1945年の第一次・第二次世界大戦で成就しているのです。

第一次大戦シオニズム運動に弾みがつき、第二次大戦でのホロコーストの結果、イスラエルの再建への道が備えられました。

 

1920年には中国で、翌21年にはロシアで大飢饉が起こっています。地震も記録に残るほどの大地震のほとんどが1900年以降に起こっています。

 

マタイ24:8で、『そのようなことはみな、産みの苦しみの初め』だと言われています。つまり『終わりの始まり』である陣痛が始まったということです。

 

ダニエル9:27終わりの時に現れるとされる『反キリスト』は、イスラエルと契約を結ぶわけですから、イスラエルという国が再建された1948年以降、いつでも契約は可能になったわけです。

 

言い換えれば、1948年以降『終末時代』に入ったと言えるわけです。

 

1948年5月14日、イスラエル国家再建。

AD70年に、ローマ軍により国が崩壊してから1878後のこと。

一度滅びた国が再び再建したのは、歴史上『イスラエル』だけ…そのことに霊の目を留めた時、イザヤ11:11~12を思います。それはまた契約の民の不信仰な状態での帰還を意味します。

 

イザヤ11:11~12ーその日、主は再び手を伸べて、その民の残れる者をアッスリヤ、エジプト、パテロス、エチオピヤ、エラム、シナル、ハマテおよび海沿いの国々から贖われる。 主は国々のために旗をあげて、イスラエルの追いやられた者を集め、ユダの散らされた者を地の四方から集められる。

 

これはAD70年に離散の民となった後、世の終わりの前に一度『約束の地』に集められることを預言しています。

 

しかしエゼキエル書20:33~38を見ると、それは不信仰による帰還であり、神の裁きを受けるためであることが分かります。

その裁きというのが、七年間の患難時代です。

 

彼らは再び、患難時代の中間に迫害によって散らされることになります。ダニエル9:27の預言を引用して、主イエスも言われました。

 

マタイ:24:15~16ー預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば(読者はよく読み取るように。)

そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 

その『山』とは、エドム人の地 ボツラです。(現在のヨルダン、ペトラ。) 

 

患難時代を生き延びる1/3のユダヤ人の残りの者レムナントが、ボツラに避難し、そこで悔い改め、イエスをメシアとして信じ、受け入れます。

ゼカリヤ13:8~9ー全地はこうなる。

ー主の御告げ。ー

その三分のニは断たれ、死に絶え、

三分の一がそこに残る。

わたしは、その三分の一を火の中に入れ、

銀を練るように彼らを練り、

金をためすように彼らをためす。

彼らはわたしの名を呼び、

わたしは彼らに答える。

わたしは「これはわたしの民。」と言い、

彼らは「は私の神。」と言う。

 

と同時に、反キリストの軍隊がイスラエルを根絶しようと南下して来るのです。1/3のレムナントが全員、イエスをメシアとして信じ受け入れた時に、キリストの地上再臨が起こり、反キリストの軍勢を滅ぼします。

 

イザヤ63:1~6ー「エドムから来る者、

ボツラから真紅の衣を着て来るこの者は、だれか。

その着物には威光があり、

大いなる力をもって進んで来るこの者は。」

「正義を語り、

救うに力強い者、それがわたしだ。」

「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」

「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。

国々の民のうちに、

わたしと事を共にする者はいなかった。

わたしは怒って彼らを踏み、

憤って彼らを踏みにじった。

それで、彼らの血のしたたりが、

わたしの衣にふりかかり、

わたしの着物を、すっかり汚してしまった。

わたしの心のうちに復讐の日があり、

わたしの贖いの年が来たからだ。

わたしは見回したが、だれも助ける者はなく、

いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。

それで、わたしの腕で救いをもたらし、

わたしの憤りを、わたしのささえとした。

わたしは、怒って国々の民を踏みつけ、憤って彼らを踏みつぶし、

彼らの血のしたたりを地に流した。」

 

 

ハルマゲドン(メギドの平野)に結集した反キリストの軍隊は、ユダヤ人根絶のために、ボツラ目指して一気に南下して来たところを、再臨のキリストお一人が敵を滅ぼします。イザヤ34:5~6, 63:1~6

 

その時、敵が流す血は、馬のくつわに届くほど、300kmにも及ぶと聖書は言っています。

黙示録14:20ーその酒ぶねは都の外で踏まれたが、血はその酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。

 

イスラエルのレムナント(残りの者)は、ボツラから信仰を持って再度約束の地に帰還します。これが、神の『約束の地』を受け継ぐための『信仰を持っての帰還』ですエレミヤ31:7~9, エゼキエル37:21~25

 

エレミヤ31:7~9ーまことに主はこう仰せられる。

「ヤコブのために喜び歌え。

国々のかしらのために叫べ。

告げ知らせ、賛美して、言え。

よ。あなたの民を救ってください。

イスラエルの残りの者を。』

見よ。わたしは彼を北の国から連れ出し、

地の果てから彼らを集める。

その中にはめしいも足なえも、

妊婦も産婦も共にいる。

彼らは大集団をなして、ここに帰る。

彼らは泣きながらここに帰る。

わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。

わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、

彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。

わたしはイスラエルの父となろう。

エフライムはわたしの長子だから。」

 

*つまり現在のユダヤ人の帰還は、一度目の帰還であり、患難時代を通過させ、民族的な新生をもたらすためだというのがわかるのです。ダニエル12:7, ローマ11:26

 

マタイ24:20ー「ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。」

 

冬になると川が増水し渡れなくなったり、安息日にあたると口伝律法により900m以上歩行できなくなるからです。

 

これは新約聖書に書かれている命令です。ユダヤ教を信じる現在の彼らは新約聖書を読みません。だからこういう命令が出されていることを知らないのです。

 

では誰が祈るのでしょうか…?

クリスチャンです!!

メシアを信じる異邦人の『とりなしの祈り』なのです!! 

イスラエルを祝福するものは、祝福される。』

患難時代は想像を絶する時代なのですから…私たち異邦人信者が彼らのためにとりなしの祈りをする必要があるのです!

 

信仰がなく携挙の恵みにもれた、患難時代を通過させられる異邦人たちは、迫害時代のユダヤ人たちに対し、『親ユダヤ派』(羊)か『反ユダヤ主義』(山羊)かによって、患難時代の終わりに裁かれることになるのです。マタイ25:31~46

 

その中でどれだけの人が、杉原 千畝さんのような決断ができるでしょうか…?

 

使徒5:29ーペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」