教会によっては『受難節』を説くところもありますが、Wikipedia(青字表記部)によるとそれは、
“四旬節(しじゅんせつ、ラテン語:Quadragesima)は、カトリック教会などの西方教会において、復活祭の46日前(四旬とは40日のことであるが、日曜日を除いて40日を数えるので46日前からとなる)の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のこと” とあり、
受難節のスタートとなる『灰の水曜日』とは、
“灰の水曜日(はいのすいようび、 英: Ash Wednesday、西: Miércoles de Ceniza、仏: Mercredi des Cendres、独: Aschermittwoch)は、キリスト教カトリック教会をはじめとする西方教会の典礼暦年のうちの一日。四旬節の初日(復活祭の46日前)に当たる。元来はカトリック教会の行事であるが、その流れを汲むプロテスタント教会(聖公会、ルーテル教会など)でも行われる。東方教会では行われない。” とあります。
『受難節=四旬節』がカトリック教会(及び、その流れを汲む聖公会やルーテル教会など)のみで行われ、それ以外のプロテスタントの教会や東方教会で行われない理由は、“「40」という数字は旧約聖書の中で特別な準備期間を示す数字であった。例えば、モーセは民を率いて40年荒野を彷徨っている。ヨナはニネヴェの人々に40日以内に改心しなければ街が滅びると預言した。イエスは公生活を前に40日間荒野で過ごし、断食した。四旬節の40日間はそのような伝統に従い、キリスト教徒にとってはイエスに倣うという意義のある準備期間となっている。” という理由に同意していないからではないでしょうか?
『40』という数は、聖書ではむしろ『試みの数』として記されています。
モーセがシナイ山で最初の律法を受け取るために40日間山頂にとどまっていると、待ちきれなくなった民は、山の麓では金の子牛の像を拝んでいました。
モーセがイスラエルの民の中から十二人の斥候を出し、約束の地を偵察させたとき、戻って来た斥候の十人は不信仰な方向をし、信仰にたった報告をしたのはカレブとヨシュアのふたりだけでした。イスラエルの民は、十人の不信仰な報告を信じました。彼らは出エジプトする前からの様々な神のみわざを見ていながら、神の約束を信じなかったために、斥候たちが偵察に費やした40日を一日を一年とみなして、不信仰な世代がみな死に絶え、世代交代するまでの40年間荒野を放浪することになったのです。
イエスは悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれ、40日間荒野で断食され、肉体的に弱ったときに悪魔の試みにあわれました。
イエスの十字架の死・葬り・復活から約40年後に、ローマ軍による神殿崩壊、エルサレム陥落が起こりました。この間は、イエスを十字架につけた世代がユダヤ教にとどまるのか、イエスをメシアとして信じて、ユダヤ教と決別するのかを問われた期間でした。
イエスの公生涯は『バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時』から始まりました。
聖書はキリストの公生涯の最初と同じように十字架までの最後の一週間を記していますから、私たちは『受難週』を強調すべきでしょうね。
受難週に起きた出来事自体は一致していますが、四福音書に記述に微妙な『時間的ズレ』があります。
①マルコの福音書、②ルカの福音書、③マタイの福音書、④ヨハネの福音書の順で書かれ、このうちマタイとヨハネの二人が公生涯を共に過ごしたイエスの『内弟子』であり、公生涯を共に過ごした目撃者であり、のちに『十二使徒』となる著者たちです。
特に、マタイはユダヤ人向けに福音書を記しているので、ここでは『マタイの福音書』を中心に『受難週の出来事』を見ていきたいと思います。
『受難週』は、週の初めである『日曜日』から始まりますが、ヨハネがその前日の『安息日』(十字架にかかる過越の六日前)の出来事を記しているので、それにも触れておきたいと思います。
ヨハネ12:1ーイエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
*ベタニヤ…エルサレムから約3km、徒歩で1時間弱ほどの距離にある村。イエスはラザロ、マルタ、マリヤの兄弟と親しくしておられ、エルサレムに上られる時は、彼らの家に泊まられていました。
この日の晩餐前に、マリヤが高価なナルドの香油をイエスに塗りました。マリヤを責めたイスカリオテ・ユダに対し、イエスはマリヤの行為を次のように評価されました。
ヨハネ12:7ーイエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
*この出来事を『マタイ26:6~13』では、ニサンの月の十三日(水)受難週四日目の出来事として記しています。
マタイの福音書では、マリヤの行為に憤慨したのは、イスカリオテ・ユダだけでなく
『弟子たち』と複数人いたことがわかります。
【一日目】日曜日(しゅろの主日)ニサンの月の十日
・ろばの子に乗り、エルサレム入城…マタイ21:1~9,マルコ11:1~10, ルカ19:28~44, ヨハネ12:12~19
『受難週の始まり』のこの出来事は、四福音書すべて一致しています。
・神殿訪問と宮きよめ…マタイ21:12~13, ルカ19:45~48では、エルサレム入城後、イエスが神殿に行かれ、公生涯最後の宮きよめをされたと記していますが、マルコの福音書では、この時は宮で『すべてを見て回った』となっており、『宮きよめ』をされたのは『翌日』の月曜日になっています。
マルコ11:11ーこうして、イエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。
・祭司長、律法学者たちの反応…マタイ21:15ーところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
マルコ11:18ー祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。
*イエスの周りに人々が大勢いたため、祭司長、律法学者たちはイエスに手を出すことはできませんでした。
・ベタニヤ泊…マタイ21:17ーイエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。
【二日目】月曜日 ニサンの月の十一日
(・宮きよめ…マルコ11:15~19)
・実のないいちじくの木を呪う…マタイ21:18~19では、イエスがいちじくの木を呪うと『たちまち木は枯れた』ー19節とあるが、マルコ11:12~14では、翌火曜日の朝に『いちじくの木が根まで枯れていた』と記されています。
・枯れたいちじくの木の説明…マタイ21:20~22では、いちじくの木は『たちまち枯れた』ので、イエスの説明もその場で行われています。
・ユダヤ教に改宗したギリシャ人の訪問…ヨハネ12:20~36
ヨハネ12:23ーすると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
*栄光を受ける時…十字架にかかる時、の意。キリストの十字架の贖いは、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも『信じるすべての者』に有効です。
【三日目】火曜日 ニサンの月の十二日
(・枯れたいちじくの木の説明…マルコ11:20~26)
この日の朝もベタニヤからエルサレムに向かう途中、前日に呪われたいちじくの木が『根まで枯れていた』を見て、弟子たちは驚いていました。
・イエスの権威への質問 (神の小羊としての吟味)…マタイ21:23~27, マルコ11:27~33, 12:13~40, ルカ20:1~8
過越の子羊は、ニサンの月の十日に選ばれ、傷などがないかどうか十四日まで吟味されました。
この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
出エジプト記12:6ーあなたがたはこの月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
イエスは『神の小羊』として、ニサンの月の十日にエルサレムに入城され、十四日まで吟味されました。
①祭司長と民の長老たちによる吟味…マタイ21:23~27
②パリサイ人とヘロデ党の者たちによる吟味…マルコ12:13~17
③サドカイ人たちによる吟味…マルコ12:18~27
④律法学者による吟味…マルコ12:28~31
⑤イエス自ら群衆に対する質問による吟味…マルコ12:35~40
・神殿で教える…マタイ21:28~22:45, ルカ20:9~44
・律法学者、パリサイ人を非難…マタイ23:1〜36, マルコ12:37~40, ルカ20:45~47
・やもめの献金を賞賛…マルコ12:41~44, ルカ21:1~4
・神殿崩壊と世の終わりについての預言…マタイ24:1~44, マルコ13:1~37 ,ルカ21:5~36