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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

『滴礼』と『浸礼=バプテスマ』の違い

【新共同訳】マタイ28:19~20

だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

 

『洗礼』と漢字で書いてあるのに、わざわざ『バプテスマ』とカナがふってあるのは???って思ったことありません?

何がどう違うんでしょう?

 

それはね、バプテスマ=浸礼』を強調するため。

バプテスマ』とは、ギリシャ語で『浸める』ことを意味します。

 

主イエスご自身もバプテスマのヨハネから受けられた洗礼も、全浸礼『バプテスマ』でした。このようにしなさいと、模範として示されたのです。ですから、私たちが従うべき聖書的洗礼は、全浸礼である『バプテスマ』です。

 

教会によっては、滴礼(ギリシャ語:ランティスマ)のところもあるけれど、聖書は一貫して『バプテスマ』と言っているのです。

 

みことばによって確認してみるとどうなんでしょ…?例えば…

 

使徒8:36ー道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」

 

ピリポと宦官は『水のある所に来ました。』

【滴礼】水は、受洗者のところに運ばれて来ます。

バプテスマ受洗者が『水のある所』へ行かなくてはなりません。

 

バプテスマ(浸礼)の方が、聖書と一致します。

 

 

ヨハネ3:23ー一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマで授けていた。そこには水が多かったからである。

人々が次々にやって来て、バプテスマを受けていた。

 

そこには『水が多かった』

【滴礼】水は少しあれば足ります。

バプテスマたくさんの水を必要とします。

 

*水の量もバプテスマ(浸礼)の方が、みことばと一致します。

 

 

使徒8:38ーそして、馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。

 

ピリポも宦官も『水の中へ降りて行き』

【滴礼】『水の中に降りて行く』必要はありません。

バプテスマ『水の中へ降りて行か』なくてはなりません。

 

*これもバプテスマ(浸礼)の方が、聖書的です。

 

 

マタイ3:6ー自分の罪を告白して、ヨルダン川彼からバプテスマを受けた。

 

ヨルダン川『で』…ギリシャ語の意味『〜の中で』『〜の中に』

【滴礼】水の中で、やる必要がありません。

バプテスマ『水の中で』行ないます。

 

バプテスマ(浸礼)の方が、原語の意味により忠実です。

 

 

使徒8:39水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。

 

水から『上がって来た』時

【滴礼】水から『上がらない』で済みます。

バプテスマ『水から上がり』ます。

 

バプテスマ(浸礼)の方が、一連の動作の流れがみことばと一致します。

 

 

コロサイ2:12ーあなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

 

【滴礼】バプテスマという聖書的定義は取り去られ、埋葬も復活も意味しません。

バプテスマ…罪に死に、葬られ、よみがえったことをあらわします。

 

バプテスマ(浸礼)の方が、人の内側で『霊的に』起こった出来事を正確に表します。

 

マタイ28:19~20【イエスの三大命令】

1)あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

2)父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい。

3)わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

 

【三大命令…(1) 伝道。(2) バプテスマ。(3) 弟子訓練。】の中で『バプテスマ』は二番目の命令です。

しかし今日多くの教会が、『バプテスマ』の前に『洗礼準備会』と称して弟子訓練を入れ、バプテスマをもって『霊的成人式』のように即 自立させるというのもまた聖書的とは言えません。

 

バプテスマ』はイエスを救い主と信じた者が、最初に従う命令であり、主の命令に対する新しく弟子となった者と教会の従順を試みるものなのです。

 

では、『浸礼』と『滴礼』とどちらに従うべきでしょう?

パウロは次のように記しています。

 

エペソ4:5ー主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

*主イエス・キリスト

*信仰…キリストは私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、聖書に従って三日目によみがえられたと信じる信仰。

バプテスマ…浸礼。滴礼は『ランティスマ』ですから、はっきりと区別されています。聖書が命じる洗礼は『バプテスマは、一つ』なのです。

 

バプテスマが『救われた日』または『救いの条件』として理解している方もいるようですが、救いの条件や救われた日ではなく、『救われて神の家族の一員となったこと、みことばに対する信仰とキリストに対する従順を証しするためのもの』です。

 

既に『滴礼』で受洗された方が、聖書を土台にしっかりとキリスト・イエスに結びついているのなら、再び『バプテスマ』を受ける必要はないでしょう。

しかしもし『滴礼』しか受けてない方が、『牧師』や『宣教師・伝道師』として召命を受け献身されるなら、全浸礼である『バプテスマ』を受けられることをお勧めします。

 

そしてこれから受洗される方々には、先輩クリスチャンとして『バプテスマ』の意味をきちんと聖書から説明できる者である必要があります。そのためにはみことばの学びが必要不可欠なのです。

 

みことばで確認することなく、教会の伝統や慣習、人のことばだけを信じるのは、神のみことばよりもそれらを上に置くことになりなります。神よりも優先順位が高いものはすべて『偶像』になってしまいます。

 

使徒17:11ーここのユダヤ人たちは、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

私たちも聖書を『通読』するだけの者ではなく、ベレヤの信者たちのように、神について聞いたことが『はたしてそのとおりかどうかと聖書を調べる』者になれますように。

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