*エペソ人への手紙2章は『十字架の奥義』が詰っています。
1〜10節は『神と人』という十字架の『縦軸』、11〜22節は『ユダヤ人と異邦人』という十字架の『横軸』、そしてその中心におられるのが『キリスト・イエス』です。
私たちは普段、新約聖書を読む時『あなたがた』と書かれていると、すぐに信仰を持つ『自分たちクリスチャンのことだ』と思い、『私たち』とパウロが書けば、「はいはい、私たちクリスチャンのことよね。」と勝手に読み取ってしまいがちですよね?!
しかし私たちが常に注意しなくてはいけないのは、『誰が』『どの時代の』『誰に対して言われたか』を考えて、聖書のみことばを理解するということです。
ここを間違えると、とんでもない『ああ、勘違い!』を引き起こします。
『私たち』=『書簡の筆者とその仲間』、『あなたがた』=『書簡の受取手』ですから、第一義的には決してパウロやペテロ、ヨハネたち筆者が、直接私たち『今』を生きる信者に向けて書いたわけではないということなのです。
その点に注意して、エペソ人への手紙2章を見ていきましょう。
エペソ2:1ーしょっぱなから『あなたがた』とあります。さて、この『あなたがた』とは誰のことでしょう?
『自分の罪過と罪との中に死んでいた者』だったとあります。パウロがエペソ(現在のトルコ)のクリスチャンたちに向けて書いた手紙ですから、当然エペソの『異邦人信者』のことですね。その彼らもキリストを信じて救われるまでは、自分の罪過と罪との中に『霊的に死んだ者(神との関係を持たない者)』であったということです。
エペソ2:2ー救われる前の生活は『罪の中にあって』…何をどう選択しようとも、そこに神との関係がなければ『自分が』良いと思うことをし、『自分が』いけないと思うことをしないという選択でしかありません。そこには『自分』という損得勘定の基準があり、それを背後で操って誘惑を仕掛けて来るのが『空中の権威を持つ支配者』であり、『今も働いている霊』なのです。
空中の権威を持つ支配者…サタン。
不従順の子ら…キリストを信じない者たち。
今も働いている霊…悪霊。
cf エペソ6:12ーこの暗やみの世界の支配者たち。天にいるもろもろの悪霊。
ヨブ記1:6~7ーある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
エペソ2:3ー私たち…パウロたちユダヤ人信者たちのこと。
ほかの人たち…異邦人たち。
ユダヤ人たちは民族としては『神の選びの民』として、神が契約を結ばれた民ですが、そこに信仰がなければ契約を持たない異邦人と同じように『不従順』な生活をしているのです。
テトス3:3ー私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
コロサイ2:8ーあのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
*“自分に正直に生きる” という哲学は、一見もっともらしく思えますが、裏を返せば『自己中心に生きる』ということなので要注意!!
エペソ2:4ー不従順な者に、神はあわれみにより、大きな愛を示してくださったのです。
1ヨハネ4:9ー神はそのひとり子を世遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
エペソ2:5ーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによる…神が何をしてくださったのかがポイントであり、罪人であった私たちが何をしたかではありません。
エペソ2:6ー旧約時代、聖徒が死ぬと遺体は地に埋められ、霊は『シオール:地の下にある死者たちの場所』に行きました。動物の犠牲によって、地獄の区分に行くことからは免れました。しかし、天に昇るには不十分だったのです。それは、メシアである神の小羊の血によってのみ取り除かれるものだからです。
エペソ2:7ーcf ローマ9:16ーしたがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
ローマ11:6ーもし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくでなくなります。
エペソ2:8ー恵みのゆえに、信仰よって救われた…これが聖書が伝える『救い』です。神の『恵み』がまずあり、その恵みに『信仰によって』応答した結果、救われるのです。
ローマ3:24ーただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
自分自身から出たことではなく…人間は、自分自身から神を求めることはありません。すべての信者は、先に神を知った誰かから神を紹介され、祈られて信仰を持つに至るのです。
ローマ3:11ー悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
エペソ2:9ー人が何か『善い行ない』をしたから救われる、人生において善行の方が悪行より多かったから救われるというのでもありません。
ローマ3:28ー人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
『善い行ない』は救われた者が、みことばに従った結果結ぶ『実』であって、善い行ないによって救われるのではないのです。
エペソ2:10ー神の作品…cf イザヤ43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
良い行ないをもあらかじめ備えてくださった…自分で『善い』と思う行ないではなく、聖書のみことばを読み、理解し、従った結果が『善い行ない』となるのです。
ヨハネ14:15ーもしあなたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
ヨハネ14:21ーわたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。
ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
*聖書は『イエスの戒め、ことばを守るように』と命じています。それが『善い行ない』となるからです。
cf ガラテヤ5:22~23ーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
*逆にイエスのことばを守らない、行ないの伴わない信仰についてはこのように言っています。
cf ガラテヤ5:19~21aー肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。
ヤコブ2:17ーそれと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
ヤコブ2:26ーたましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
ここまでが、十字架の縦軸となる『神と人』、その仲介者となるのが『キリスト・イエス』です。そしてここからが、十字架の横軸となる『ユダヤ人と異邦人信者』について語っています。
エペソ2:11ー思い出してください…異邦人信者が傲慢にならないように、救われる以前の状態を思い出すようにと語っています。
あなたがた…エペソの教会の異邦人信者。血統的には『異邦人』でした。
割礼を受けた人々…ユダヤ人。アブラハム契約のしるしが『割礼』。cf 創世記17:10。
無割礼の人々… 異邦人。ユダヤ人は、割礼を受けていない異邦人を「無割礼の人々」と呼んで蔑んでいました。
エペソ2:12~13aー【異邦人の特徴】ー①キリストから離れ、②イスラエルの国から除外され、③約束の契約については他国人であり、④この世にあって望みもなく、⑤神もない人々(本物の神を知らない人々)、⑥以前は遠く離れていました。
そのような異邦人をキリストがどのように変えられるかが、13節後半以降に書かれています。
エペソ2:13bー①今では『キリストの中』にある、②キリストの血によって近い者とされた。
エペソ2:14ーキリストこそ③私たち(ユダヤ人と異邦人)の平和であり、④二つのもの(ユダヤ人と異邦人)を一つにし、⑤隔ての壁を打ちこわし、
イエスの時代も含む旧約時代、エルサレムの神殿にはユダヤ教の信仰をもった異邦人が礼拝する『異邦人の庭』と呼ばれる外庭とユダヤ人だけが入れる庭との間に『ソレグ』と呼ばれる低い大理石の壁があり、そこに「これより中に入る異邦人は、死刑に処す」と書かれた警告の札が付けられていました。
これが『隔ての壁』です。
エペソ2:15ーキリストの肉において、⑥敵意を廃棄されました。つまりこの『隔ての壁』そのものが、ユダヤ人と異邦人の間を切り離し、モーセの律法に基づくさまざまな戒めによる『敵意』でした。
二つのもの…ユダヤ人信者(メシアニックジュー)と異邦人信者。
新しいひとりの人…cf Ⅱコリント5:17ーだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
エペソ2:16ー⑦両者(ユダヤ人信者と異邦人信者)を一つのからだとして…『隔ての壁』が取り去られ、キリストのからだである『教会』には、ユダヤ人信者と異邦人信者が共に『一つのからだ』となるのです。
⑧十字架によって神と和解させるため…ここに『神と人』との仲介者としての役割、人が守ることのできなかった律法の要求をすべて満たし、十字架の上で自らが『神の小羊』として犠牲となることにより神と和解させました。
エペソ2:17ー遠くにいたあなたがた…エペソの教会の異邦人信者。
近くにいた人たち…ユダヤ人信者。
エペソ2:18ー両者…ユダヤ人信者と異邦人信者。
『隔ての壁』によって分けられていた両者が、キリストの十字架によって『新しいひとりの人』となり、十字架の血により『神と和解』させました。
このようにキリストの十字架は、『神と人』とを和解させ、『ユダヤ人と異邦人』の間にあった『敵意』を取り除き、『平和』を与えてくれるものとなりました。これが『十字架の奥義』です。私たちは十字架の意味を深く理解し、聖書が伝える『二つのものが一つとなる、本当のキリストのからだとなる教会』を築く必要があります。
キリスト、御霊、父…三位一体の神。
エペソ2:19ーあなたがた…(エペソの)異邦人信者。
聖徒たち…ユダヤ人信者。
同じ国民…cf ピリピ3:20ーけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
神の家族…cf ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
エペソ2:20ー使徒…十二使徒=ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、小ヤコブ、タダイ、シモン、マッテヤ。
*使徒…キリストの公生涯、十字架の死、復活の目撃者であること。
*パウロは『異邦人の使徒』。
預言者…ここでは、新約(初代教会)時代の預言者。
cf 1コリント12:28ーそして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
1コリント13:8ー愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
*使徒も預言も初代教会の時の賜物であり、『使徒職の復活』はあり得ません。
エペソ2:20~21ーキリストが『礎石』であり、使徒と預言者という『土台』の上に、教会時代の信者は信仰の家を建て、主にある聖なる宮となるのです。なぜなら、さまざまな規定から成る戒めの『律法』である敵意を、キリストが廃棄されたからです。エペソ2:15。
エペソ2:22ーキリスト、御霊、神…三位一体の神が信者のうちに住まわれ、信者ひとりひとりが神の聖なる『宮』となるのです。cf ヨハネ14:16~17&23。
1コリント6:19~20ーあなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことをしらないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。