養父ヨセフは御使いのお告げを受け、ユダの地ベツレヘムで誕生されたイエスを守るために、ヘロデ大王の魔の手を逃れてエジプトへ妻マリヤと幼子を連れて避難しました。エジプト滞在中にヘロデ大王が死んだという知らせを御使いから聞いて、イスラエルの地に戻って行きました。
モーセに率いられた出エジプトの出来事は、このことの『型』でした。
ホセア11:1ーイスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、
わたしの子をエジプトから呼び出した。
ところが…
マタイ2:22~23ーしかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して、「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。
*「この方はナザレ人と呼ばれる。」…という預言は、旧約聖書にはありません。『預言者たちを通して…言われた事』とあるので、記述ではなくユダヤ人の伝承だと思われます。
エドム人ヘロデ大王によって治められていた王国は、三人に息子たちによって分割統治されました。
①アケラオ…ユダヤとサマリヤ地方を統治。父ヘロデ大王に似て残忍であり、無能な王。AD6年、皇帝アウグストにより流刑されました。
②ヘロデ・ピリポ…パレスチナ北東部を統治。cf マタイ14:3、マルコ6:17ー異母兄弟ヘロデ・アンティパスの娘ヘロデヤが、別な異母兄弟ピリポとの間に生んだサロメとともに、ピリポから奪い、妻としていました。このサロメが、ヘロデの誕生祝いの席で踊りを踊った褒美に、バプテスマのヨハネの首を与えたのです。
③ヘロデ・アンティパス…ガリラヤとペレヤを統治。サロメの母ヘロデヤの父。アケラオ、ヘロデ・ピリポの異母兄弟。
養父ヨセフは、残忍な王アケラオが統治するユダヤのベツレヘムではなく、ガリラヤのナザレという小さな村に住み着いたのです。そこでイエスは、公生涯に入られる30歳まで過ごされました。(30歳は、祭司が宮で奉仕を始める年齢。)
公生涯に入られてすぐ、イエスは一度ナザレに戻られ、ご自身の神の子メシアとしての身分を明かされています。cf ルカ4:14~30。しかしナザレの人々は、イエスを拒絶したのです。
ルカ4:28~29ーこれらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
マルコ6:1ーなぜイエスは、再び故郷ナザレを訪れたと思いますか?
そこには故郷の人々に対するイエスのどのような思いがあるでしょう?
私たちは主と同じように、自分の故郷の人々に対する伝道の重荷があるでしょうか?
マルコ6:2ーイエスはまず、安息日に会堂で教えられました。そこには、どのような人々が集まって来ていると思いますか?神を信じる信仰を持った人々なのか、習慣的に集まって来ている人々なのでしょうか?
イエスの教えや力あるわざ(奇蹟)は、イエスがどのような方だと示していますか?
これらのことに対して、前者と後者の反応の違いは何でしょう?
マルコ6:3ーナザレの人々の反応は、前者、後者どちらだと思いますか?
彼らはイエスの教えや力あるわざをどこから来ていると考えていたのでしょうか?
cf ヨハネ7:16~17ーそこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
cf ヨハネ10:37~38ーもしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。
しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。
ナザレの人々が、イエスの職業や家族のことを引き合いに出して見ている背後には、どのような思いが潜んでいると思いますか?(これと似たようなことが、日本でもあるでしょうか?)
大工…石工や金工にも用いられる言葉。一般的には、どんな小さな仕事でも請け負う『便利屋』のような職業です。
人は何によって、他の人をはかってしまうのでしょうか?
結果、ナザレの人々はどうなりましたか?
cf イザヤ8:13~14ー万軍の主、この方を、聖なる方とし、
この方を、あなたがたの恐れ、
この方を、あなたがたのおののきとせよ。
そうすれば、この方が聖所となられる。
しかし、イスラエルの二つの家には
妨げの石とつまずきの岩、
エルサレムの住民には
わなとなり、落とし穴となる。
cf マタイ21:42ーイエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
『家を建てる者たちが捨てた石。
それが礎の石となった。
これは主のなさったことだ。
私たちの目には、
不思議なことである。』
マルコ6:4ー神の御子イエスが、貧しい大工ヨセフとマリヤの子として私たちの間に住まわれたのは、何のためだと思いますか?民を天の御国に導いてくださるお方が、こんなに低くなって来てくださったことに対してどう思いますか?
マルコ6:5ーなぜイエスは故郷ナザレで何一つ、力あるわざを行なうことができなかったのでしょうか?
それでも少数の病人に手を置いていやしてくださったイエスをどう思いますか?
マルコ6:6ー神の力あるわざを止めてしまうほどの『不信仰』とは、どのような心だと思いますか?
ヨハネ5:17ーイエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
*御父も御子も失われたたましいを捜し出し、救うために働いておられます。
何度も何度も未信者のもとに足を運ばれています。私たちもこの主にならって、神の国のために伝道していけますように。