サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

⑹ 生まれつきの盲人の癒し(1) 〜ヨハネ9:1~7〜

ヨハネ福音書には、イエスが行なった『七つの奇蹟』があります。

1)ヨハネ2:1~11ーカナの婚礼、水をぶどう酒に変える。

2)ヨハネ4:46~54ー王室の役人の息子の癒し。

3)ヨハネ5:1~18ーベテスダの池の病人。

4)ヨハネ6:1~14ー5,000人の給食。

5)ヨハネ6:16~21ー水の上を歩く。

6)ヨハネ9:1~38ー生まれつきの盲人の癒し。

7)ヨハネ11:1~44ーラザロのよみがえり。

 

『生まれつきの盲人の癒し』は、六番目の奇蹟であり、『メシア的奇蹟、メシア預言』の一つです。

cf イザヤ42:7こうして、盲人の目を開き、

囚人を牢獄から、

やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

 

十字架につかれる半年前の仮庵の祭りで、『姦淫の現場で捕まえられた女』を赦した時、神殿はヘロデ大王によって大補修工事が行なわれていました。イエスとの会話で『神に対する冒瀆罪』を理由に、パリサイ人たちが石をとって投げつけようとしたその石は、補修工事に使うためのものでした。

 

ヨハネ8:59ーしかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

*それは、十字架の時がまだ来ていなかったからです。サタンは常にイエスをメシアとして失脚させようとしました。つまり、『過越の祭り以外の時に』『十字架以外の方法で』殺そうとしたのです。

 

ヨハネ9:1ー宮から出て行かれたイエスは、道の途中で生まれつきの盲人を見られました。

見られた…“注目した”の意。

この盲人の人生の苦しみとは、どんなものでしょうか?

また、この人に『注目された』ときのイエスの眼差しはどのようだったと思いますか?

 

ヨハネ9:2ー弟子たちは、この盲人のことをどのように見ているでしょうか?

弟子たちは、この人の『運命』をどのように捕えていますか?

盲人を目の前に、(聞こえていることも気にせずに)このような質問をする弟子たちに対しどう思いますか?また、この盲人は、どう感じたでしょうか?

 

*弟子たちの質問の根本には、『罪を犯した結果、障害者になる』という考え方があります。

cf ヨブ記

cf 出エジプト記20:5ーそれらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

 

ヨハネ9:3ーイエスは、弟子たちの質問に対し、どのような思いで答えられていると思いますか?

神のわざがこの人に現われるため…cf エゼキエル18:4ー見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。

 

ヨハネ9:4ーわたしを遣わした方…天の父なる神。

だれも働くことのできない夜…半年後の十字架の死。

 

ヨハネ9:5ー4〜5節のイエスのことばは、この盲人にとってどのような意味があると思いますか?

私たちが住んでいる現在の世界は、神を神としない『罪(やみ)の世』ですが、そこにイエスがおられることが『世の光』とは、どのような意味でしょうか?

 

ヨハネ9:6ーイエスは何をしておられますか?

盲人にとって、どのような意味があるのでしょう?

 

…最初の人間アダムは、地のちりから造られました。

cf 創世記2:7ーその後、神であるは、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

 

ヨハネ9:7ーイエスと弟子たち、盲人がいた場所から『シロアムの池』までは1kmくらいありました。盲人にとってその距離を歩いて行くのは大変なことですが、この距離はこの盲人にとってどのような意味があるのでしょう?

 

もし、あなただったら「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と言われたら、素直に従うと思いますか?

なぜこの盲人は素直に従えたのでしょう?

彼は道中、何を思っていたと思いますか?

 

エスのことばに素直に従った結果、何が起こりましたか?

何がこの人の目を開いたと思いますか?

暗やみの中を歩んでいるひとりひとりの人を、取り扱ってくださるイエスをどう思いますか?