十二弟子の中でもペテロと並んで『一番弟子』のグループに入っていたのが、ゼベタイの子ヤコブとヨハネの兄弟でした。
cf マタイ4:21ーそこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベタイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
ヤコブとヨハネの母サロメは、イエスの母マリヤと実の姉妹でした。つまり、ヤコブとヨハネの兄弟は、イエスの従兄弟でもあり、弟子でもあったのです。
cf マルコ15:40ーまた、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤ、またサロメもいた。
cf マタイ27:56ーその中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベタイの子らの母がいた。
cf ヨハネ19:25ー兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
マタイ20:20ーゼベタイの妻サロメは、ヤコブとヨハネを連れてイエスのもとに来て、何をしていますか?cf マタイ20:17~18
マタイ20:21ーサロメは何を懇願していますか?
*ここでは『右大臣・左大臣』的意味。
右…同列、同等の立場、権威、力を表わします。
cf 1列王記2:19ーバテ・シェバはアドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女におじぎをして、自分の王座に戻った。王の母のためにほかの王座を設けさせたので、彼女は彼の右にすわった。
cf 詩篇16:8ー私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。
cf マルコ16:19ー主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
cf 使徒7:56ーこう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
私のふたりの息子が…これは誰の願いなのでしょう?
ヤコブとヨハネも(『右大臣・左大臣』になりたい。)と思っていたのなら、なぜふたりだけでイエスのもとに来なかったのでしょう?
そこに『イエスの親族』という関係があると思いますか?
ここに母親として、サロメのどのような思いがあるのでしょう?
成人した息子の仕事面にまで このように口を出してくる母親についてどう思いますか?
ヤコブとヨハネ、母サロメが、どの弟子たちよりも先にこのような願いを持って主のもとに来たことから、彼らの根底にある願いは何でしょうか?
マタイ20:22ーこのような願いと思いを持ってやって来た彼らのことを、イエスはどのような思いで対応したと思いますか?
イエスが飲もうとしている『杯』とは何のことでしょう?
イエスの質問に彼らは何と答えていますか?
マタイ20:23ー御国(千年王国)での立ち位置は、だれが決めるのでしょう?
彼らの願いはいつ実現するのでしょうか?
*千年王国では、再臨の主が世界の『王の王』として君臨し、専制君主国となります。
その下にイスラエル統一王国と異邦人諸国ができ、イスラエルの王となるのが、復活したダビデ王です。cf エレミヤ30:9、エゼキエル37:24~25、ホセア3:5
*十二使徒は、ダビデ王の下でイスラエルの12部族を統治します。cf マタイ19:28、ルカ22:28~30
*このヨハネは晩年、主からの啓示によりこの時に明らかにされていた『千年王国』だけでなく、『天の都エルサレム(完成された天の御国)』の知らせを受けています。それを書き記したものが『ヨハネの黙示録21~22章』です。
cf 黙示録21:14ーまた、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
*十二使徒の名…cf マタイ10:2~4のイスカリオテ・ユダを除く11人と、使徒1:26で選ばれた『マッテヤ』の12人の名。
マタイ20:24ー彼らの申し出(抜け駆け!?)を聞いた他の10人の弟子たちは、どうしていますか?彼らのどのような心が現われていますか?
マタイ20:25ーその弟子たちにイエスはどういう対応をされていますか?
イエスは『異邦人の支配者たちや偉い人たち』は、どうすると言われてますか?*異邦人…神の契約、律法を持たない人。
マタイ20:26ーイエスを信じる弟子たちに対する教えは、どのようなものですか?
偉くなりたいと思う人は、どうすべきですか?
マタイ20:27ーイエスは『神のしもべ』としても手本を示してくださいました。
そのイエスの弟子であるということは、どのように仕えるべきなのでしょう?
マタイ20:28ーイエスはどのくらい『人のしもべ』となられましたか?
cf ピリピ2:8ーキリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまでも従われたのです。
ヤコブとヨハネの父ゼベタイは、聖書に名前だけが登場します。母サロメと違い、彼が何をしたか(息子たちと一緒に網を繕っていた、とはありましたが…)、彼の人となりについては沈黙しています。
母サロメが息子たちの将来を案じて、イエスのところに懇願しに来たことから察すると、今日の多くの母親たちと同様、夫に失望していたのかもしれません。
妻たちは、自分の思いや感情を夫たちに話し、共有したいのに、仕事で遅かったり、妻の気持ちに無頓着だったりすると、だんだんと夫から息子や娘に自分の存在価値を求めて行くようになります。その母親の思いに応えようとする子もいれば、負担に感じて反抗する子もいます。
先にヤコブとヨハネが『右大臣・左大臣』になりたいと思ったのか、母サロメがそれを望んだのかはわかりませんが、三人とも同調していたことは確かです。
創世記2:24ーそれゆえ、男はその父と母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
*息子は両親から、精神的・経済的に自立しない限り、一人前にはなれません。親に依存するのではなく、心を妻に向ける必要があるのです。