読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イエスと幼子 〜マルコ10:13~16〜

日曜日の礼拝には家族揃って出席し、新しい週をスタートさせたいですよね。願わくば、幼い頃からみことばによって霊的にも成長して欲しいと願うのが、信仰を持った親なら共通した思いでしょう。

 

しかし、長時間じっと座っていることのできない小さいお子さんを持った親御さん(特にお母さん)たちは、母子室で子どもたちの声にまぎれて聞こえてくるスピーカーからのメッセージを必死に聞こうとしています。

母子室のない教会だと、子どもがぐずったり騒ぎ出したりすると、周りに迷惑が掛からないようにそっと礼拝堂を抜け出し、外であやしたりしています。

 

3人の息子たちがまだ幼かった頃、私も(何のために教会に来ているんだろう…?何も聞けないし、賛美もままならないのに…。)と何度も思いました。

独身者やお子さんのいない方には、理解してという方が難しいのかもしれません。また、お子さんがいても、大きく成長してしまうと忘れてしまうことかもしれません。

 

この聖書箇所は、そんな弟子たちたちの姿と対照的な主イエスの姿が記されています。

 

 

マルコ10:13ー親たちはどのような思いで、子どもたちをイエスのもとに連れてきたのでしょう?何をして欲しかったのでしょうか?

 

*子どもたち…cf ルカ18:15ーイエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。

 

なぜ弟子たちは、この親たちをしかったと思いますか?

 

マルコ10:14ー幼子を連れて来ようとした親たちをしかった弟子たちを見て、なぜイエスは憤られたのでしょう?

 

憤られた…この言葉がイエスに使われているのは、聖書の中でここだけです。

それだけここには、イエスの特別な思いが詰っている箇所です。それはどのような思いでしょう?

 

イエスは子どもたちを拒んでいますか?

それはイエスのどのような心を表わしていると思いますか?

 

イエスご自身も人として『みどりご』として誕生されました。母マリヤにすべての世話をお任せになり、養父ヨセフの守りと愛情の中で成長されました。

だからこそ、幼子の気持ちもお分かりになり、また神として親の気持ちもお分かりになられるお方です。

 

マルコ10:15ー『神の国』とは、どのような所だと思いますか?

『このような者たち』とは、どのような者(心)のことを言っているのでしょう?

 

cf ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 

cf マタイ18:3ー言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」

悔い改めて…直訳:向きを変えて。

 

小さな子どもは親に絶対的な信頼を置いています。体調を崩した時、親から与えられる薬の成分や効き目など、確認することなく口にします。

誕生日やクリスマスなどプレゼントをもらえば、すぐに喜んで受け取ります。

それと同じように、神に絶対的な信頼を置き、頂く恵みや賜物を素直に受け取り、活用すれば良いのです。親に遠慮する子どもはいないのですから…。

 

それを弟子たちのように『妨げる』のは、何でしょう?

プライドですか?自分の経験ですか?知識ですか?周りの目ですか?

 

cf ローマ8:38~39ー私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 

マルコ10:16ーイエスのもとに連れて来られた子どもたちを、イエスはどうされていますか?

 

知らない人に抱っこされると、子どもは不安になるものですが、この時の子どもたちは『不安になり、泣きわめいた。』とは書かれていません。

子どもたちの様子を想像してみましょう。

 

大人がまず子どもたちに心を開いて受け入れると、彼らは安心して、すぐに懐いてきます。

イエスに抱かれている子どもたちは、どのような思いだったでしょう?

 

 

イエスを救い主だと信じる私たちは、神に受け入れられた『神の子ども』となりました。cf ヨハネ1:12

ですから、神の子どもとして相応しく、天の父から与えられるみことばの乳を飲み(1ペテロ2:2)、いのちのパンを食べ(ヨハネ6:35)、父の戒めを守り(ヨハネ8:47)、矯正され(Ⅱ テモテ3:16)、霊的にキリストの身たけにまで成長して(エペソ4:13)いきましょう。

 

<参照聖書箇所>

1ペテロ2:2ー生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみことばの乳を慕い求めなさい。それによって救いの中で成長し、完全な者となるためです。(_部原語訳)

新改訳聖書の誤訳箇所 http://osusowake.hatenablog.com/entry/2014/05/04/073026

 

ヨハネ6:35ーイエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 

ヨハネ8:47神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。

 

Ⅱ テモテ3:16ー聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

 

エペソ4:13ーついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。