最後の晩餐のただ中で、イエスはイスカリオテ・ユダが裏切ることを予告されました。
どのタイミングで予告されたのかは、こちらから⇩
これは、十字架にかかる10時間ほど前の出来事です。
ヨハネ13:21ー過越の食事の途中で、イエスは「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」と予告しています。この時、イエスはどのような思いで弟子たちに告げられたと思いますか?
まことに、まことに、あなたがたに告げます…原文では『アーメン、アーメン』。これから話すことは、とても大切なことなのでよく聞くように、の意。
霊の激動を感じ…cf ヨハネ11:33ーそこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、*霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
*新共同訳:心に憤りを覚え。
裏切ります…あるいは、引き渡します。
イエスはユダが裏切ることを知っておられました。この時、特にユダに対してどのような思いだったか、ちょっと想像してみてください。彼も3年半の公生涯をともに過ごしてしてきた弟子のひとりでした。
ヨハネ13:22ーイエスの裏切りの予告を聞いた弟子たちは、どうしていますか?
『顔を見合わせる』という反応は、どのような心の現われでしょう?
ヨハネ13:23ーイエスが愛しておられる者…本福音書の著者、ヨハネのこと。
でも、弟子たちはみな、『自分は、イエスに愛されている』と感じていたのでしょうね。
右側で席に着いていた…直訳:御胸のそばで(食事のために)からだを横にしていた。
ヨハネ13:24ーなぜシモン・ペテロは、イエスの右側で席に着いているヨハネに合図を送ったのでしょう?
なぜ直接、イエスに尋ねなかったのでしょう?
ヨハネ13:25ーヨハネは席に着いたまま、イエスに質問しています。
ヨハネ自身はどのような思いで質問したと思いますか?もし、主を裏切るのは自分かもしれないという思いが少しでもあったら、直接質問することができると思いますか?
ヨハネ13:26ー「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」…ユダの席は、イエスがパン切れを手渡せる距離のところにありました。ヨハネがイエスの右側の席だったので、左側にいたと考えられます。
仮に左側の席だったとすると、『主人の左側の席』ということになり、『親しい友人の席』ということになります。親しい友人には、主人が食事を取って与えました。
また、このことを示唆するかのように、ゲッセマネの園にイエスを引き渡すために現われたイスカリオテ・ユダに対し、イエスは『友よ。」と呼びかけておられます。cf マタイ26:50
ユダがイエスをすでに裏切る手はずを整えていながら、イエスの左側の席でともに食事をする行為(その心)をど思いますか?
それは私たちに何を教えているでしょう?
イエスはパン切れを浸し、取って、ユダに渡されました。
イエスのこの行為から、ユダに対してどのような心をあらわしていますか?
浸す…ギリシャ語:バプテゾー。布を染料の中に浸して、同じ色に染めるという意味があります。私たちがイエスを信じてまず従う命令が、この語源からくる『バプテスマ』。それは、主と一体となることを意味します。
この『パン切れを浸す』という行為から、イエスはユダに何を悟らせようとしたと思いますか?
ヨハネ13:27ーサタン…『反対する者』『敵』(悪魔…『糾弾する者』『訴える者』『中傷する者』)の意。
イスカリオテ・ユダはこの時、『サタン憑き』になったのです。
この時点ではまだ、キリストの十字架の死、葬り、復活、昇天前ですから、誰にも聖霊の内住は起きていません。そのため、イスカリオテ・ユダにサタンが入ったと考えられます。
キリストの初臨時は、メシアの十字架の贖いを妨害(過越の祭り以外の時に殺そうとしたり、十字架以外の方法で殺そうとしたり)するため、世界中の悪霊たちがイスラエルに結集していました。
そのため、多くの悪霊に憑かれた人々がおり、イエスのもとに連れて来られては追い出していただいていました。
しかし、サタンの手下である悪霊が憑いただけではイエスを裏切るには不十分です。
イエスは神の御子=第二位格の神さまですから、神に敵対するサタン本人がイスカリオテ・ユダに入ったのです。
cf ルカ22:3~6ーさて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった。
ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。
彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。
ユダは承知した。そして群衆のいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。
いくら十字架前であったとはいえ、本当に信者が主を裏切ることができるのでしょうか?
十二弟子の一人、ヨハネだけが見抜いていたことがあります。
cf ヨハネ12:4~6ーところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろう(引き渡そう)としているイスカリオテ・ユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。*三百デナリ…労働者の10ヶ月分の賃金。
cf マタイ26:14~16ーそのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。*銀貨三十枚…シェケル銀貨だと考えられます。
そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。
cf ゼカリヤ11:12ー私は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うなら、私に賃金を払いなさい。もしそうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。*銀三十シェケル…奴隷一人の値段。
cf 出エジプト記21:32ーもしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺さなければならない。
また、イエス様ご自身もイスカリオテ・ユダのことをこのように言っています。
cf ヨハネ6:64ーしかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」――イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである――
このことから、イスカリオテ・ユダは初めから、信じない者であったことがわかります。
だから、信者にサタンがはいったのではなく、不信者だったからサタンが利用したのだとわかります。
現在の信者には御霊の内住がありますから、第三位格の聖霊の内住する人の中に、サタンや悪霊が同居することはありません。
信者に対し「あなたの内にいる悪霊を追い出す祈りをさせてください。」などと言う人は、御霊の内住やみことばを理解していないということになります。
「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」…イスカリオテ・ユダが何をしようとしているのかを知った上で、こう言われたイエスの気持ちはどのようなものだったでしょうか?
ヨハネ13:28ーイエスのことばを理解した弟子はいませんでした。
なぜ彼らは理解出来なかったのでしょう?
ヨハネ13:29ー彼らは、ユダの行為をどのように捉えていますか?
信仰的にイエスのことばが理解できておらず、表面的なこの世のことにのみ心が向いていると、私たちも真理が見えなくなりますね💦
でも、たからといって御霊の内住がなくなったわけではありません。内住の御霊が信者の内から出たり、入ったりを繰り返すことはありません。
御霊が天に帰られる時は、信者もいっしょに天に引き上げられます。それが教会時代の終わりに起こる『携挙』です。
ヨハネ13:30ー皆が過越の食事をしている最中に途中で席を立って、外の暗やみの中へと去って行くユダの姿は、何を意味していると思いますか?
『世の光』であるイエスに背を向けて、罪の暗闇の世界に向かって去っていく…そんなユダに、イエスは思いとどまり悔い改める機会を与えたと思いますか?
それはどのような方法だったのでしょう?
なぜユダは悔い改めることが出来なかったのでしょう?
悔い改めを阻止する秘訣は、何だと思いますか?