ヘブル人への手紙著者に関しては、いろんな推測がなされているけど『著者不明』というのが正しいと思うのです。
それにはいくつか理由があって、まず第一に、もしパウロが書いたのだとしたら、『パウロの手紙』では『キリストのしもべパウロから』という冒頭の書き出しがあるのに、この書簡にはそれがないから。
cf Ⅱ テサロニケ3:17…パウロだという『しるし』がないのです。
でもユダヤ人信者であることは確か!
ヘブル2:3~4によると、イエスから直接宣教を受けたのではなく、弟子たちから伝えられて、メシアを信じるに至ったことがわかります。
また『私たち』とあることから、手紙の受取人も同様の経緯で信仰を持ちました。内容から旧約の知識を持った人たちであることも確かです!
ヘブル5:11~14から、受取人たちはもう『教師』になれるほど長い間信仰生活を送っていたのに、霊的には『幼子』のまま成長していない状態だったことがわかります。
これは現代のキリスト者には耳が痛いですね。教会での学びが常に『初心者向け』のクラスしかなければ、尚のこと当てはまってしまいますね。悔い改めを迫られるみことばです。
ヘブル人の手紙の受取人たちは、10:32~38によると『迫害』によって信仰がゆらいでいたことがわかります。
それはそうでしょう。迫害はイエスを信じることによって起こるのですから。cf 使徒4:1~3、5:27~28,41、9:16、21:13他。
もしイエス以外の名による迫害を受けてるとしたら、それは『カルト』だからです。
新約聖書にある迫害はすべて『イエスの名』によるものでした。『エホバの名』や『教祖的存在の名』ではありません。なぜでしょうか?
答えは、
使徒4:12ーこの方(イエス)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。
*つまり『イエスの御名』だけが救いをもたらすからなのです。だからサタンは敵対するのです。
聖書には、ユダヤ人たちが患難時代を通して『民族的回心』することが預言されており、彼らの民族的回心が『キリストの地上再臨』の条件なのです。
だから『ホロコースト』は、それを阻止するためにサタンが背後で働いていたわけで…今もイスラエルの滅亡を願ったり、反ユダヤ主義の背後にあるのはサタン的惑わしです。
ヘブル人への手紙の受取人とはだれか…?
この点もまたいろいろ言われています。
エルサレムにいた信者…?
ヘブル2:3~4を考えると、エルサレムにはイエスから直接宣教された人々がいたはずだから違うでしょう。
ヘブル6:10、10:34から受取人たちは、思いやりと愛があったことがわかります。
彼らは、物質的にも豊かでした。
ローマ15:25~27、1コリント6:1~8から、エルサレムの教会は貧しくて、ほかの教会から献金を受けていたことがわかりますから、エルサレムにいた信者ではないでしょう。
ヘブル12:4には、受取人たちの中からはまだ『殉教者』は出ていないことがわかります。彼らはまだ『霊的幼子』でしたから。
しかしエルサレムからは、この時までに使徒ヤコブ(使徒12:2)やステパノが殉教(使徒7:59~60)しています。
受取人はローマにいるユダヤ人信者…!?
ローマ1:1~14,15:20でパウロは、ローマの教会は使徒によって設立されなかったと言っています。しかし受取人たちが伝道されたのは、イエスから直接宣教された人たちからでした。
また彼らは、神殿でのささげ物制度に回帰したいと願っていましたから、神殿に比較的近い距離に住んでいたと考えられます。
ローマにいる人々は、長いことエルサレムの神殿から離れて生活していたので、神殿でのささげ物制度に回帰したいという誘惑は少ないはず…。(神殿が見える距離でもないし…)
では、どこの人たちでしょう?おそらく…
①エルサレムの近くに住んでいて、
②強い迫害の中にあって、
③ささげ物制度に回帰したいと思う人々だった…が一番近い、つまり『エルサレムに近いユダヤ地方の人々』だったと思われます。
ヘブル人への手紙は、著者だけでなく、受取人も執筆年代も明らかではありません。でもヒントはあります。
ヘブル13:23から、テモテが生きている時代だということ。(テモテは、パウロがAD50年頃に伝道しました。使徒16:1~3)
受取人たちも信仰を持って長い年月が経っていた。
ヘブル8:4,10:1~2からゾロバベルによって建てられた第二神殿が機能していたことがわかります。
ヘブル3:17ー神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちではありませんか。
*AD30年のイエスの十字架の死から、AD70年の神殿崩壊まで『40年』ー試みの数ーを示唆しています。
つまり、神殿崩壊間近の時に書かれたことになります。
聖書で『救い』とか『助け』と訳されているギリシャ語は『ソゾ』…これは『肉体的』にも『霊的』にも使われています。
たとえば…使徒4:12,16:30~31,エペソ2:8ーこれらは『霊的救い』について述べている。
一方、マタイ14:30,24:13、使徒27:20,31は『肉体的救い』について述べています。
ヘブル人への手紙を読み解くときも、この点に注意する必要があります。
時代背景として、AD70年の神殿崩壊が目前に迫っている中でのことだからです。
霊的救いを意味するのか、肉的救いを意味するのか、そこを混同するから『難解な書』になるのだと思います。
著者は、①ヘブル12:16~17で『エサウ』を例にあげています。
彼は一時的な祝福(一杯の食物)と引き替えに、長子の権利を手放して『回帰不能点』を超えてしまいました。泣いて求めても、時すでに遅しとなったのです。
それと同じように、受取人たちがユダヤ教に回帰してしまっては、AD70年の神殿崩壊時にともに『肉体が滅びる』ことになると、著者は警告しています。
②レビ記1〜7章から『血の生贄』、
③16章からは『贖いの生贄』が例にあげられ、イエスが都の門の外で十字架につけられたことを説明しています。
④民数記12章からモーセの忠実さを解説しつつ、イエスがモーセよりも優れた方であること、
⑤13~14章からはカデシュ・バルネアの罪を例にとり、取り返しのつかない『回帰不能点を越える罪』があることを説明しています。
彼らが再びエジプトに奴隷として戻ることはありませんが、約束の地に入ることは許されなかったのです。
それは『一度宣告された裁きは、個人の霊的救いには影響をきたさないが、その世代が肉体的裁きから免れることはない』ことを教えています。
神は信じ、従うべきお方です。
信者の不従順は、霊的救いを失うことはありませんが、祝福を失う結果を招くのです。
また著者は、創世記14:18~20と詩篇110:4からメルキゼデクを例にあげ、メシアが祭司となることを説明している。
モーセの律法によれば、ある種の罪は『動物の血の犠牲』により贖われるが、ある特定の罪は肉体的死を招きます。
これら旧約聖書からの引用は、ヘブル6:4~8の『難解箇所』を理解するために必要不可欠の情報です。レムナントとなるユダヤ人信者がユダヤ教に回帰することは、霊的に逆行することであり、カデシュ・バルネアのときの世代と同じ過ちをするのならば、神のさばきを免れないことを警告しているからです。
イエスのメシア性を否定し『ベルゼブル』の働きだとした世代も『回帰不能点』を越えました。その結果、AD70年の神殿崩壊となりました。今ここでヘブル書の受取人たちが、ユダヤ教に回帰するということは『その世代の罪』をともに負うことになり、『肉体的救い』(ギリシャ語:ソゾ)を失うことを意味するのです。
使徒2:14~40でペテロは、新しくイスカリオテ・ユダの代わりに選ばれた『マッテヤ』を含む11人とともに立ち、声を張り上げて大演説をしています。
この演説を聞いていた人々は、敬虔なユダヤ人と改宗者(ユダヤ教に改宗した異邦人)たちでした。使徒2:5~11
つまり彼らこそ、イエスのみわざを悪霊のかしらベルゼブルの力だと『メシアを否定』し十字架につけ、その罪を「自分たちと自分たちの子どもたちの上にかかってもよい。」とした人たち(世代)だったのです。マタイ12:22~28、27:24~25
その彼らにペテロが語った内容は、『あなたがたがベルゼブルだと言って拒否したイエスこそ、ダビデも預言したメシアであり、あなたがたが十字架につけたキリスト・イエスなのだ。』というものでした。使徒2:22~36
それを聞いた人々は心を刺され、ペテロ他使徒たちに質問します。「私たちはどうしたらいいのか。」と…。
ペテロの答えは、二つ。ー使徒2:38~39
1)悔い改めなさい…『悪霊のかしらベルゼブル』と呼ばれているイエスこそ、『メシア(キリスト)』として信じるように悔い改めよ!
2)イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい…ユダヤ教からの『分離』を意味するキリストにつく『イエスの名によるバプテスマ』を受けよ!
*それはつまり、イエスのメシア性を拒否したために回帰不能点を超えたAD70年に滅ぼされる『世代』からの『分離』を意味しました。
このように回帰不能点を超えることが、マタイ12:22~45の『赦されない罪』の第一義的意味です。(二義的には、聖霊の働きを否定すること。)
彼らが回帰したいと思ったユダヤ教は、レビ的制度、ラビ的ユダヤ教、イエスのメシア性を拒否したものでした。そのAD70年の裁きが目前に迫っている時に書かれた手紙だったのです。
ヘブル人への手紙の受取人たちが考えていた内容は、
①迫害が止むまで、一時的にユダヤ教に回帰すること。
②迫害が止んだ後に、再びキリストを信じれば良い。
③キリストは、背教の罪を赦してくれる。
④よって、新たに信仰のスタートが切れる。
*自分の都合に会わせて、信仰を持ったり、捨てたりするという姿勢では、神に喜ばれないどころか、この世での祝福を失い『肉体的裁き』に会います。
cf 1コリント5:5ーこのような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が*主の日に救われるためです。*主の日…患難時代のさばき。
確かに彼らには、キリスト教かユダヤ教か選択肢はありました。
しかし、霊的生活を再開するということは、『イエスを再度 十字架につける』ことを意味しました。
『救いを失う』…5つの警告聖書箇所はすべて『肉体的死』について扱っている。
ヘブル2:1~4、10:19~25は、背教の危険性を警告。
肯定的勧めは、ヘブル5:11~14、10:33~39。
『完全(全う)』…罪がないという意味ではなく、未熟に対し『成熟』の意。
cf ヘブル2:10,5:9,6:1,7:11,7:19,10:14,12:1~2
『とこしえ』…律法、捧げ物、レビ的祭司制度等一時的なものに対する概念。
cf ヘブル5:9,6:2,9:12,9:14~15,13:20
『永遠』…とこしえに対する当然の結果
cf へブル1:8,5:6,6:20,7:14,7:26,8:1,9:24,12:25~26
『天からの』…地上に対する対象
cf ヘブル3:1,6:4,8:5,9:23,11:16,12:22
『〜よりもすぐれた』…すでに良いものに対し、“より優れた”の意。
パウロは次のように言っています。
Ⅱ コリント1:13ー私たちは、あなたがたへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。
ペテロもこう言っています。
Ⅱ ペテロ3:16ーその中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
御霊の助けにより、みことばを曲解せずに、文脈、時代背景に沿って理解する者として霊的に成長していけますように。