サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ローマ総督ポンテオ・ピラト 〜マタイ27:11~26〜

「あなたは、イエスを誰だと言いますか?」と問われたら、何と答えますか?

「『自分をユダヤ人の王だ。』と言った嘘つきである。」?

「自分を神と等しくした『気違い』だ。」?

「私の自己中心の罪のために十字架に死なれ、葬られ、復活してくださった『神の御子、キリスト』です。」

 

「あなたは『聖書』とは何だと思いますか?」と問われたら、何と答えますか?

「キリストが死んで何年の経ってから、つじつまを合わせるようにして書かれた本。」?

「より良い人生を送るための指南書。」?

「よいお話。物語。」

「イエスが神の子キリストであることを、私たちが信じるため、また、私たちが信じて、イエスの御名によって永遠のいのちを得るために、神様が与えてくださった愛の書。」

 

時のローマ帝国ユダヤ地方総督ポンテオ・ピラトは、ユダヤ人に対する政策で何度か失敗し、ユダヤ人から信用を失っていただけでなく、そのやり方がユダヤ人の感情を逆撫でするような政策だったため、ユダヤ人からは嫌われていた総督でした。

 

彼は通常『カイザリヤ』に住んでいましたが、この時はユダヤ人の『過越の祭り』だったため、治安維持のためにエルサレムに上って来ていたのです。

 

また、姦淫の現場で捕えられた女がイエスのもとに連れて来られた時や、イエスの昇天後、最初の殉教者となったステパノの時は、ユダヤ法の死刑法『石打ちの刑』は有効でしたが、イエスの十字架の頃だけ一時的にユダヤ法での死刑執行権は剥奪されていました。cf ヨハネ8:3~11、使徒7:54~60、ヨハネ18:31

 

マタイ27:11ーなぜ、ユダヤ人(祭司長、長老たち、パリサイ人たち)は、ローマ総督ピラトのもとにイエスを連れて行ったのでしょう?

彼らの目的は何ですか?

 

ピラトは直接、主イエスに向かって『あなたは、ユダヤ人の王ですか?」と質問しました。

*この言葉は『あなたはユダヤ人の王ですか?あなたが?』という意味です。

 

ポンテオ・ピラトは、どのように目の前にイエスを見ていたと思いますか?

この時のイエスの姿はどんなだったでしょう?

 

この問いに対し、イエスは『そのとおりです。』とだけ答えられました。

*直訳:「あなたが言っている。」

どのような思いでイエスは、このように答えられたのでしょう?

 

cf マタイ26:67ーそうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、

 

マタイ27:12ー祭司長、長老たちは、イエスの何を訴えているのでしょう?

その時のイエスはどうしていますか?

 

もし自分が無実の罪で捕えられ、偽証をもって訴えられていたらどう対応しますか?

 

マタイ27:13ー夜が明けるとすぐにローマ総督のもとへ押し掛け、裁判を求めてきたユダヤ人たち、その裁判に人々がまだ寝ている時間帯にも関わらず応じるポンテ・ピラト…殴られ、嘲笑されて、顔が腫れ上がっている状態で沈黙を守られるイエス…この光景をどう感じますか?

 

ピラトはユダヤ人たちの訴えをどう受け止めていますか?

 

マタイ27:14ーなぜイエスは何も答えられなかったのでしょう?cf ヨハネ18:33~38

cf ルカ9:22ーそして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」

 

ピラトはこのイエスをどう思ったのでしょうか?

 

マタイ27:15ー何も答えられないイエスに対し、ピラトはどうしようと思い始めていますか?

 

マタイ27:16~17バラバ…新共同訳、フランシスコ会訳聖書などでは「バラバ・イエス」マタイ27:16-17)と訳されている。イエス・キリストとは同じイエスという名前であったことになる。本文批評学上は、イエスの名前がバラバと同じであることに対する不快感から「バラバ・イエス」の、「イエス」を意図的に取り除いたとされる。原典に「イエス」の言葉がないのに書き写したクリスチャンが付け加えるということはありえがたいことであるからである。さらに、「イエス」とはありふれた名前であり、少しも不自然ではない。「バラバ」とはアッバスの子」を意味するが、アラム語の発音での「バラバ・イエス」は「御父(アバ)の御子(イエス)」に非常によく似ている。同じイエスという名を持った2人の人物がいるなら、「どちらのイエスの釈放を望んでいるのか? アッバスの子のイエスか? それとも、自称メシヤのイエスか?」という読み方ができる。Wikipediaより引用。

 

バラバの罪名は『暴動と人殺し』ーcf ルカ23:25、『強盗』ーcf ヨハネ18:40 でした。

 

マタイ27:18ー ピラトは何に気づいていましたか?

 

マタイ27:19ーなぜピラトはこのような提案をしたのでしょう?

そこには誰が働かれていますか?

 

夢で…ピラトの妻へ神が告げられた『証言』。

あの正しい人…イエスが『無罪』であることを強調。

 

マタイ27:20ー祭司長、長老たちはどうしていますか?

 

マタイ27:21ー総督ピラトは、何とか妻の助言をもとにした自分の提案と、ローマ帝国の恩赦を使って、イエスを釈放しようとしました。

それに対し、群衆はどう答えていますか?

 

あなたは無実の人を死刑にし、強盗、暴動、殺人罪の男を釈放して欲しいと思いますか?

この時の群衆は自らの意志で、そう願ったのでしょうか?

 

マタイ27:22ーピラトはどうにもならなくなり、自分に決定権があるにも関わらず『では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。』と群衆に決定権を委ねてしまいました。

このような総督をどう思いますか?

 

群衆は「十字架につけよ。」と異口同音に叫んでいます。

群衆に決定権を委ねた結果、ピラトはどのような決断を迫られることになりましたか?

 

マタイ27:23ーそれでもまだ決定できずに困惑しているピラトに対し、どう思いますか?

彼は『総督』という立場上、裁判の『決定権』を持っていました。しかし、『正しい善悪の基準』を持っていなかったのです。

あなたは『事の善悪の基準』となるものを持っていますか?それは何ですか?

 

マタイ27:24水を取り寄せ、手を洗って…この行為は、ユダヤ人が死体が発見された時やその近隣の町が無実であることを証明するために行なわれました。

cf 申命記21:6~8ー刺し殺された者に最も近い、その町の長老たちはみな、谷で首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、

証言して言いなさい。「私たちの手は、この血を流さず、私たちの目はそれを見なかった。

主よ。あなたが贖い出された御民イスラエルをお赦しください。罪のない者の血を流す罪を、御民イスラエルのうちに負わせないでください。」彼らは血の罪を赦される。

 

ピラトは異邦人であり、この律法においても『自己流』で用いただけでした。

それは、イエスの十字架の死に関して『自分の無罪』を自分で主張するためでした。

 

神のみことばをこのように引用するやり方について、どう思いますか?

自分もピラトのように神のみことばを引用したことはありませんか?

 

自分の罪に対し、自分で『無罪』を証明しても、神の御前に『無罪』とならなければ、その罪は永遠に残ります。

ピラトの罪は今日でも、世界中の教会で覚えられているのです。

 

『使徒信条』には、次のような一文があります。

cf 使徒信条…ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、

死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、

天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。

 

マタイ27:25ーここで当時のユダヤ人たち(指導者も群衆も)は、重大な過ちを犯すことになりました。

 

「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

私たち…当時の成人たち。

子どもたち…その子孫。

 

*これが40年後の『神殿崩壊』への引き金となったのです。

この時の『世代』にとって、この瞬間からAD70年の神殿崩壊、エルサレム滅亡、世界離散へのカウントダウンに入りました。彼らにとって『悪霊のかしらベルゼブル』と呼ばれるイエスこそ『メシア』だと悔い改めなければ、エルサレムと神殿ともに滅びることになるのです。

 

ですから十二使徒たちは、必死になって『イエスこそメシアである。』と宣教して歩きました。御霊も信者のうちに内住し、賜物を送り、その助けをしてくださいました。それが使徒の働き2章以降に書かれています。

 

彼らは40年後に立派な神殿が崩壊し、自分たちがともに滅びたり、1,900年近くもの長期にわたり離散の民となるなどとは、夢にも思っていませんでした。

現在の私たちも同じです。

『携挙が近い。』などどは思ってもいない人々が、クリスチャンの中にも大ぜいいます。しかし『その日』は突然くるのですから、霊的覚醒して備えていたいと思います。

みことばの学びにより、御霊に満たされて、日々歩めますように。