ヨハネ19:25ー十字架のもとでイエスの着物を分け合うローマ兵とは対照的に、イエスの母マリヤと母の姉妹サロメ(マルコ15:40、マタイ27:56)、クロパの妻マリヤ、マグダラのマリヤ、そして弟子のヨハネが人々といっしょに立っていました。
苦しむイエスを見上げる人々の心境はどのようなものだったでしょう?
母マリヤはどのような思いだったでしょう?
もしその場にいたとしたら…裸で血を流しながら十字架で苦しむ主を見つめることはできると思いますか?
ヨハネ19:26ー愛する弟子…ヨハネ。ヨハネは自分が一番イエスに愛されていると感じていたのでしょうが、おそらく他の弟子たちもそれぞれそう思っていたと思うのです。
cf ヨハネ11:3ーそこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
cf ヨハネ11:5ーイエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
イエスは母マリヤに十字架の上から何と声をかけておられますか?
女の方…ギリシャ語:ギュナイ。日本語では何故か冷たい意味に感じ取れてしまいますが、女性に対してとても尊敬を込めた表現です。
鞭打ちの傷や手足の釘の傷が痛み、呼吸もままならない十字架の上から、母マリヤを気にかけるイエスについてどう思いますか?
イエスには異父兄弟が4人いました。なのになぜ、マリヤと養父ヨセフとの間に与えられた血のつながりのある弟たちに、母マリヤの老後を託さなかったのでしょう?
cf マタイ13:55ーこの人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
*ヤコブとユダ…異父兄弟であるヤコブは、後にエルサレム教会の重要な指導者となり『ヤコブの手紙』を書いた。またユダも『ユダの手紙』を記して、異端の教えに対して警鐘を鳴らしている。
cf マタイ12:50ー天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。
このみことばから、どんなことがわかりますか?
十字架の死に臨まれる時点で、イエスの兄弟たちはイエスをメシアと信じていたのでしょうか?
ヨハネ19:27ー弟子のヨハネには何と声をかけておられますか?
イエスの十字架のもとで、母マリヤと血のつながりのない弟子ヨハネが『母と息子』として結び合わされることに、どのような真理があるのでしょう?
ヨハネは主のことばを聞いて、どのように応えていますか?
家庭の中心にキリスト・イエスがおられ、聖書があり、みことばによる会話があったら、どのような家庭、家族の絆が生まれると思いますか?
cf 伝道者の書(コヘレト)4:12ーもしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
使徒16:31ーふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
*自分がイエスを信じれば、自動的に家族全員が救われるというものではありません。
しかし、自分が家族の中でクリスチャンとしての初穂になることにより、家庭の中に福音のみことば、祈りが入り、キリスト者としての香しい香を放つことができるのです。
それにより、家族も変えられて主を信じる者となるという意味です。ですからまず自分自身がしっかりと救い主イエスと聖書のみことばに根を張ることができますように。
cf ルカ19:9~10ーイエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」