サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

復活の主に出会った女たち 〜マタイ28:1~10〜

ユダヤ人社会は13歳以上の成人男子中心です。成人男子が10人以上いれば『シナゴーグ』ができます。新約聖書でもイエスを信じる者たちに対し『兄弟たち』と呼びかけられていますが、『姉妹たち』という呼びかけはありません。

 

この『姉妹たち』に相当する言葉がギリシャ語で『グネー』、主に『女たち』『婦人たち』と訳されています。

*余談ですが、聖書はイエス・キリストのことを『神の子=Son of God』御使いたちを『神の子ら=Sons of God』(墮天使か聖なる天使かは文脈で判断)御子を信じる者たちを『神の子どもたち=Children of God』と呼んでいます。

 

イエスが十字架に付けられたのは午前9時でした。神殿では過越の子羊がほふられる時刻であり、エルサレムの都の外のゴルゴダの丘では、神の小羊が十字架についた時刻でした。12時〜3時までは全地がまっ暗になり、この時イエスが神に向かって叫ばれたことばが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」=『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』です。

 

神の御子であるイエスは常に『父よ』と神に向かって祈られていました。しかし、この時だけは『父よ。』と呼べずに『わが神、わが神。』と呼びかけています。この3時間だけは、イエスは神を信じない人間と同じように『霊的に死んだ』状態だったために、「父』と呼ぶことのできない関係でした。この神との断絶を『杯』として、取りのけてくださるようにと、ゲッセマネの園で血の汗を流して祈られたのです。

 

ある人々は『イエスも人として来られたのだから、十字架の肉体的苦痛を取りのけて欲しかったのだ。』と言いますが、イエスはまさに十字架で死ぬために人として来てくださったのですから、この解釈はあり得ません。

cf ヨハネ10:18だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からそれを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。

 

イエスが息を引き取られたのは、午後3時でした。その直前、再び神を『父』と呼ばれ、神との関係が『御父と御子』に戻ったことが分かります。つまり、霊的に復活してから肉体の死を迎えられました。

cf ルカ23:46ーイエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

 

午後3時は、一般家庭で過越の子羊をほふる時刻です。そしてこの日は安息日の備えの日、金曜日であり、あと3時間程で日没となり安息日が始まるため、イエスの遺体は埋葬の準備もそこそこに、近くにあったアリマタヤのヨセフの墓に葬られました。

 

マタイ28:1~10は、安息日があけた『週の初めの日』(日曜日)の早朝の出来事です。

 

マタイ28:1ーなぜマグダラのマリヤとほかのマリヤたちは、こんな早朝に墓にやってきたのでしょう?

cf ルカ23:55~56aーガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たち(ギ:グネー)は、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。

そして、戻って来て、香料と香油を用意した。


 女たちはイエスの墓の場所を確認すると、大急ぎで香料と香油を買いに行ったのでしょう。 それは、イエスの葬りの準備があまりに慌ただしかったため、手厚く葬るための準備でした。

 

マタイ28:2ー女たちが墓に来たとき、何が起こりましたか?

このようなことが実際に起こると思いますか?

cf ルカ1:37神にとって不可能なことは一つもありません。

 

マタイ28:3ー明らかに人間とは違う『天の御使い』の姿を見たら、どう感じると思いますか?

 

マタイ28:4ーその場にいたローマの番兵たちは、どのような反応をしていますか?


ローマの番兵たちの反応は、『罪ある人間の反応』でしょう。

 

マタイ28:5ー女たちは番兵たちとは違う反応をしていますが、それは何故だと思いますか?

御使いは、どのようなことを女たちに告げていますか?

 

マタイ28:6ー十字架で死んだイエスのからだは、どうなったのでしょう?

 

マタイ28:7ー御使いはさらに、どのようなことを女たちに告げていますか?

 

マタイ28:8ー女たちはどのように思い、どのような反応をしていますか? どのような行動をとっていますか?

 

マタイ28:9ー女たちが御使いのことばを信じ、行動に出たとき、何が起こりましたか?

もし、女たちが御使いのことばを信じても、行動が伴わなかったとしたら、どうなっていたでしょう?

御使いはどこで復活したイエスに会えると伝えていましたか?

なぜ、ここで彼女たちは復活の主に出会えたのでしょう?

*出会って…『会いに行く』『出迎える』という意味でもあります。

 

復活の主に出会ったとき、彼女たちはどのような反応をしましたか?

cf マタイ4:10ーイエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。

 

イエスは女たちが『御足を抱いて、拝んだ。』ことを拒まれませんでした。このことから、イエスはどういうお方だということがわかりますか?

 

 

マタイ28:10ーイエスは御使いのメッセージと同じ内容を命じられました。

ガリラヤに行く前に女たちに先に復活されたご自身をあらわされることにより、弟子たちに伝える彼女たちの言葉にどのような変化があると思いますか?

 

イエスは、十字架の上で12時〜午後3時まで『霊的な死と復活』を経験され、午後3時に『肉体が死に』、三日目に『肉体が復活』されました。肉体の復活があったのは、イスラエルの七大祭りの一つである『初穂の祭り』です。

『初穂』というのは、後に続く者があることを意味します。そしてその復活の後に最初に続くのが、教会時代の信者たちなのです。


その後、旧約時代の義人たちや患難時代の聖徒たちの復活が続き、千年王国へ入っていきます。

千年王国後は、完成した天の御国『天の都エルサレム』で、永遠に神と共に住まうことになります。


しかし、肉体が生きているときにキリストの福音を拒み続け、霊的に死んだまま肉体の死を迎えた人々の復活は、千年王国の終わりの『白い大いなる御座の裁き』の時に復活となります。彼らは千年王国の恵みを失い、その間『地獄』で苦しみ続け、復活後は『硫黄と燃える火の池』で永遠に苦しみ続けることになるのです。

ですから、先に救われた私たちが、愛する家族や友人に『今』伝道する必要があるのはこのためです

 

cf ヨハネ11:25~26ーイエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。

また、生きていて私を信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 

*わたしを信じる者は死んでも生きる…肉体が生きている間にイエスを信じる者は、霊が復活するので、肉体が死んでも霊的には生きる、の意。

 

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