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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

贖罪の日 〜ヨム・キプール〜

第七の月は一日のラッパの祭り(ロシュ・ハシャナー)に続いて、十日には『贖罪の日/ヨム・キプール』があります。

2016年の『ヨム キプール』は、10月12日。

 

ヨベルの年に当たる年は、この贖罪の日に『ヨベルの年の宣言』がなされます。

 

レビ記25:8~12ーあなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。

あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。

あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。

この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。

種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。

これはヨベルの年であって、あなたがには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。

このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。

 

 

レビ記23:26~28ーついで主はモーセに告げて仰せられた。

「特にこの第七の月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。

その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。

 

*身を戒めて(新改訳)…身を悩ます(口語訳)。苦行をし(新共同訳)。

へブル語:ネフェシュを苦しめる。心(たましい)を苦しめる程の悔い改め。

 

レビ記16章に『贖罪の日』の儀式が命じられています。

*若い雄牛…大祭司自身のための罪のためのいけにえ。大祭司自身と大祭司の家族のための贖い。

*雄やぎ二頭イスラエルの民のためのもの。くじにより一頭はささげられ、もう一頭はアザゼルー取り除く、の意ーとして荒野に解き放たれる。cf レビ記16:21~22

 

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ユダヤ教の伝統では、この『アザゼル』の雄やぎの角に赤い紐(リボン)を結びつけて、荒野に放つそうです。翌年にはその赤い紐が白く変わっているのを見て、自分たちの罪を神が赦してくださったと理解していたとのことです。

 

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しかしある時からその赤い紐が白くならなくなったと言われています。それはAD30年からAD70年までの40年間のアザゼル。あたかも、主の十字架の贖いがなされた後は、動物の血はもはや必要なく、神の小羊の十字架で流された御子の血により、その贖いを信じることによってのみ罪の贖いが完全になされるのだということを示しているかのような伝承です。

 

イザヤ書1:18ー「さあ、来たれ。論じ合おう。」とは言われる。

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。

たとい、紅のように赤くても、

羊の毛のようになる。

*緋、紅…罪。…罪の赦し。

ここから雄やぎの角に赤い紐を結ぶ伝統が始まったようです。

 

ヘブル10:4雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。

*人間の大祭司が年に一度、モーセの律法に従って第七の月の十日『贖罪に日』にささげる雄牛とやぎの血ではなく、神の小羊なる御子イエスの十字架の贖いこそが、私たちの罪を取り除くことのできる『血』なのです。

 

ヘブル9:11~12ーしかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

ヘブル10:18ーこれらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。

*イエスの十字架の贖いを信じるだけで救われるのです。

ささげ物は、十字架で『神の小羊』が一度だけささげられることによって完了したからです。

 

ヘブル13:10~13ー私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。

ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。レビ記16:27

ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

*イエスのみもとに行くこと。伝道。

 

異邦人信者であるクリスチャンが知らなくてはならないことの一つに、イスラエルには、『個人としての罪の赦し』『神に選ばれた民としての国家(民族)としての罪の赦し』とがあるということです。(異邦人には、個人としての罪の赦しだけです。)

 

彼らの責任は、メシアが到来(初臨)したら、メシアを信じ受け入れること。

そして、メシア(キリスト)の福音を全世界に宣べ伝えるというものです。

 

残念ながらイエスの初臨時には、民族としては成就しませんでした。

それが、大患難時代に救われる14万4千人のイスラエル人によって成就し、患難時代前半に彼らが世界中の異邦人へ伝道することにより、大リバイバルが起こります。

 

そして、患難時代後半の終わりになると、生き残っているユダヤ人(レムナント)は全員メシアに立ち返ります。その時の彼らの祈りに応えて、キリストの地上再臨が起こるのです。

 

マタイ23:39ーあなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。

 

現在の大半のユダヤ人はメシアを拒否したままなので、未だにモーセの律法を守ることに一生懸命です。律法を守るためには、どうしてもエルサレムに神殿が必要であり、現在そのための準備を整え、祈りをささげている状況です。

 

その彼らをメシアに立ち返らせるための通過点が、七年間の大患難時代であり、『贖罪の日』は大患難時代の型と言えるのです。

 

 

また、神の御国『千年王国』に入る前に、罪が残る人々を取り除く期間でもあります。

『アザゼル』として私たちの罪を取り除いてくださったキリスト・イエスを信じない者たちが、神によって建てられる都(神の御国、千年王国)から取り除かれる期間となるのです。

 

今ならまだ間に合います。

キリストを信じて、共に神の御国の住民となることができますように。

ヘブル3:15ー「きょう、もし御声を聞くならば、

御怒りを引き起こしたときのように、

こころをかたくなにしてはならない。」

と言われているからです。