オバデヤ…『ヤハウェのしもべ』の意。
でも、個人的には『ヤハウェ』は使いたくないなぁ。御父の名前の発音はわからないんだから…。
『【主】のしもべ』の意、とした方がいい気がするのは私だけかなぁ。
ともかくこの『オバデヤ』が、『オバデヤ書』を記した預言者だけど、名前以外 彼に関する情報は一切ありません。
どの王の時代に活躍した預言者なのかを示す情報がないので、その内容から執筆時期を検証する必要があるのです。
*オバデヤがエレミヤの預言を引用したとする説がありますが、ヘブル語の文法上の理由で、『エレミヤがオバデヤの預言を引用した』とした方がいいとのこと。
*以下、エレミヤによる引用箇所。
オバデヤ4節ーあなたが鷲のように高く上っても、
星の間に巣を作っても、
わたしはそこから引き降ろす。
―主の御告げ―
➡︎エレミヤ49:14~16ー私は主から知らせを聞いた。「使者が国々の間に送られた。『集まって、エドムに攻め入れ。戦いに立ち上がれ。』
見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、
人にさげすまれる者とするからだ。
岩の住みかに住む者、丘の頂を占める者よ。
あなたの脅かしが、あなた自身を欺いた。
あなたの心は高慢だ。
あなたが鷲のように巣を高くしても、
わたしは、そこから引き降ろす。―主の御告げ―」
オバデヤ5~6節ー盗人があなたのところに来れば、
夜、荒らす者が来れば、
あなたは荒らされ、
彼らは気のすむまで盗まないだろうか。
ぶどうの収穫をする者が
あなたのところに来るなら、
彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
ああ、エサウは捜し出され、
その宝は見つけ出される。
➡︎エレミヤ49:9~10ーぶどうを収穫する者たちが、
あなたのところに来るなら、
彼らは取り残しの実を残さない。
盗人は、夜中に来るなら、
彼らの気のすむまで荒らす。
わたしがエサウを裸にし、
その隠し所をあらわにし、
身を隠すこともできないようにするからだ。
彼の子孫も兄弟も隣人も
踏みにじられてひとりもいなくなる。
オバデヤ8節ーその日には、―主の御告げ―
わたしは、エドムから知恵ある者たちを、
エサウの山から英知を
消しさらないであろうか。
➡︎エレミヤ49:7ーエドムについて。
万軍の主はこう仰せられた。
「テマンには、もう知恵がないのか。
賢い者から分別が消えうせ、
彼らの知恵は朽ちたのか。
オバデヤ9節ーテマンよ。あなたの勇士たちはおびえる。
虐殺によって、エサウの山から、
ひとり残らず絶やされよう。
➡︎エレミヤ49:22ー見よ。彼は鷲のように舞い上がっては襲い、
ボツラの上に翼を広げる。
その日、エドムの勇士の心も、
産みの苦しみをする女の心のようになる。
*エレミヤがエドムについて預言する時、エドムのことを『彼ら』と呼んでいます。しかし、オバデヤからの引用箇所では、オバデヤと同じように『あなた』に切り替わっている。
*またヨエルもオバデヤ書から引用しているため、オバデヤの活動時期はエレミヤやヨエルよりも前ということになる。
オバデヤ17節ーしかし、シオンの山には、
のがれた者がいるようになり、
そこは聖地となる。
➡︎ヨエル2:32ーしかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。
主が仰せられたように、
シオンの山、エルサレムに、
のがれる者があるからだ。
その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。
*問題は、オバデヤ書10~14節の『エルサレムの略奪事件』が、どの事件を指すのか…?
A) BC586年のバビロン捕囚?…オバデヤの活動期間が、エレミヤやヨエルよりも前だとすると、あり得ない選択となります。
B) BC845年のユダのヨラム王の治世?…この時、エルサレムは、ペリシテとアラブによる略奪を受けました。
Ⅱ 歴代誌21:16~17ー主はクシュ人の近くにいたペリシテ人とアラビヤ人の霊を奮い立たせて、ヨラムに敵対させられたので、
彼らは、ユダに上って攻め入り、王宮の中で目に留まったすべての財産と彼の子や妻たちを奪い去った。その結果、彼には末子のエホアハズのほか、男の子はだれも残らなかった。
この時、エドムはユダの支配に背いていた。そのため、ペリシテとアラブを助けたと考えられます。
Ⅱ 列王記8:20~22ーヨラムの時代に、エドムがそむいて、ユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。
ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試み、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを打ったので、その民は自分の天幕に逃げ帰った。
しかしなお、エドムはそむいて、ユダの支配から脱しようとした。今日もそうである。リブなもまた、その時にそむこうとした。
Ⅱ 歴代誌21:8~10ーヨラムの時代に、エドムがそむいて、ユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。
ヨラムは、彼のつかさたちとともに、すべての戦車を率いて渡って行き、夜襲を試み、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを打った。
しかしなお、エドムはそむいて、ユダの支配から脱しようとした。これは彼がその父祖の神、主を捨て去ったからである。
*これらの理由から、オバデヤの活動また執筆時期は、BC845年かその少し後だと考えられる。
*オバデヤ書は、主に『エドムの運命』について預言している。
常にイスラエルに対し敵対心を抱き、兄弟愛を実践しなかった。
エドムは将来、完全に崩壊する。
【オバデヤ書の概要】
①1b〜4節…エドムの高慢が破壊される。
②5〜9節…エドムの完全な滅亡。
③10〜14節…裁きの六つの理由。
エゼキエル書35:1~5でも言及される。ー次のような主のことばが私にあった。
「人の子よ。顔をセイルの山に向け、これについて預言して,
*人の子…福音書では『イエス』のことを指しますが、エゼキエル書での『人の子』は『エゼキエル自身』を指して使われています。
*セイルの山…当時、エドム人が住んでいた死海南端〜アカバ湾に延びる山脈。
言え。
神である主はこう仰せられる。
セイルの山よ。
わたしはおまえに立ち向かい、
おまえにわたしは手を伸ばし、
おまえを荒れ果てさせ、荒廃した地とする。
わたしがおまえの町々を廃墟にし、
おまえを荒れ果てさせるとき、
おまえは、わたしが主であることを知ろう。
おまえはいつまでも敵意を抱き、イスラエル人が災難に会うとき、彼らの最後の刑罰の時、彼らを剣に渡した。
それゆえ、ーわたしは生きている。神である主の御告げ。ーわたしは必ずおまえを血に渡す。血はおまえを追う。おまえは血を憎んだが、血はおまえを追いかける。
わたしはセイルの山を荒れ果てさせ、廃墟とし、そこを行き来する者を立ち滅ぼす。
民数記20章では、モーセに率いられたイスラエルの民が、エドムの領土を通過するのを、二度にわたり拒否しました。
④15~16節…【主の日】ー七年間の患難時代のこと。
⑤17~21節…メシア的王国。
完全な滅亡を迎えるエサウの子孫、エドムとは対照的に、ヤコブの子孫であるイスラエルには『残りの者』として1/3が起こされ、民族的回心後、メシア的王国に入ります。
彼らがイスラエルの『レムナント』であって、異邦人信者であるクリスチャンのことではありません。
ゼカリヤ13:8~9ー全地はこうなる。
ー主の御告げ。ー
その三分の二は断たれ、死に絶え、
三分の一がそこに残る。
わたしは、その三分の一を火の中に入れ、
銀を練るように彼らを練り、
金をためすように彼らをためす。
彼らはわたしの名を呼び、
わたしは彼らに答える。
わたしは「これはわたしの民。」と言い、
彼らは「主は私の神。」と言う。