サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イエスの三大命令 〜マタイ28:16~20〜

マタイ28:19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父・子・聖霊の御名によってバプテスマを授け、

 

宣教師になる決心に導くことが多い、このみことば。

第二義的な意味での『適用』としてはもちろん正しいのですが、そこで止まってしまって本来の『第一義的意味』を無視していては、聖書を与えてくださった神様の御心を知ることはできません。

 

御心を知るには、19節だけを抜き出して自分に当てはめるのではなく、文脈に沿って読む必要があります。

 

 

マタイ28:16しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。

 

*有名なイエスの『三大命令』は、現代の読み手である『私たち信者』に語ったのではなく、『十一弟子たち』に出された命令です。

イスカリオテ・ユダは十字架の前に脱落し、その代わりとなるマッテヤはまだ選ばれていませんから、復活した主に会うためにガリラヤに行ったのは十一弟子たちでした。

 

マタイ28:17そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。

 

*ある者は疑った…主イエスに出会った時、彼らは礼拝しましたが、復活については半信半疑だった者もいたのでしょう。まだ聖霊が下る前でもあり、この時の弟子たちはまだ弱い信仰でした。

 

マタイ28:18イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。

 

*イエスは近づいて来て…この時も『イエスの方から近づいて来て』くださいました。

復活の主に会うためにガリラヤまで来た(主を求めて来た)弟子たちに、イエス様の方から近づいて来てくださったのです。

 

1歴代誌28:9bもし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。

 

 

マタイ28:19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

 

*あなたがた…現代のクリスチャンに当てはめて理解している人が圧倒的に多いですが、第一義的には『十一弟子たち』のことです。

彼らはイエスと同じユダヤでした。

 

*あらゆる国の人々…(ユダヤ人を含む)異邦人たち

 

*弟子としなさいユダヤ人である十一弟子たちが行って、あらゆる国の人々(異邦人)に福音を宣べ伝え、信者(ただ信じる者)ではなく『弟子(キリストを信じ、従う者)』とするように、という命令を受けたのです。

 

ローマ3:1~2では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にはどんな益があるのですか。

それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

*現代を生きる異邦人信者は、この点の重要性に気づいていないのではないでしょうか?

 

マタイ28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 

*あなたがたに命じておいたすべてのこと十一弟子たちこそイエスの公生涯3年半の間、一番御側にいて、イエスの行い、教え、愛、たとえ話の解き明かしを聞いていた人たちです。

その(ユダヤ人の)十一弟子たちに、異邦人でキリストの弟子となる人たちに、イエスが命じられていたすべてのことを守るように教えるということを託したのです。

 

*この三大命令には順番があり、その順番を守ることもまた非常に重要です。

 

①行って…信者は『この世の中』に出て行かなくてはなりません。教会の中で信者だけで固まりどんなに祈っていても、未信者の方から教会に足を踏み入れることはまれです。

弟子とする…伝道することです。私たちも信仰の先輩から伝道され、祈られて救われたことを忘れないようにしましょう。今度は、私たちが誰かのために伝道し、祈る番です。

 

②父・子・聖霊の御名によってバプテスマを授ける…キリストを信じ、キリストに従う決心ができた者が、最初に従うべき命令が『バプテスマを受ける』ということです。

『滴礼』と『浸礼=バプテスマ』の違い - サザエのお裾分け

 

③わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい…イエスの最初の命令である『バプテスマ』に従った者に、弟子訓練をしなくてはなりません。ここを疎かにしてしまうと、いつまで経っても霊的幼子の信仰のままということになり、教会としての力もつかなくなってしまいます。

バプテスマが信仰のゴールではなくスタートであり、弟子訓練を通して『キリストの忠実なしもべ』になっていくのです。これが信者の歩み『聖化』です。

 

弟子の一人、ヨハネはこう記しています。

ヨハネ21:25イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

 

ですから、四福音書に記されたイエス様に関する記述は、ごく一部だということがわかります。それらのことも含めて、十一弟子たち(使徒たち)と後に主によって『異邦人の使徒』として選ばれたパウロによって、使徒の働き以降の書簡に彼らが伝えたことが書き記されているわけです。

 

私たち現代を生きる信者は、使徒の働き以降に記された使徒たちの教えに従うことが、キリスト・イエスに従うことになるのです。

人が多く集まる異邦人の教会を模範にするのではなく、一世紀当時の初代教会を模範にすべきです。

 

キリストを信じるひとりひとりが、みことばから第一義的な意味をくみ取り、キリストに聞き従うことができますように。