異邦人信者であるクリスチャンは『霊的イスラエル』ではありません!!
神様の選びの民イスラエルが『神の初子』であり『長子』です。
長子としての祝福が二倍なら、不信仰による裁きも二倍…それを忘れてはならないのです。
ヤコブ2:10~11ー律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
なぜなら、「姦淫をしてはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。
律法は全部で613あり、モーセの『十戒』はその内の最初の『十の戒め』です。守るなら613全て守る必要があります。
律法は異邦人信者に与えられたものではなく、奴隷生活から解放されたイスラエルの民に、自由人としての生き方を示したものです。
モーセ契約も新しい契約も神とイスラエルとが結んだ契約であって、異邦人信者だからといって、直接的に結んだわけではありません。
エレミヤ31:31ー見よ。その日が来る。ー主の御告げ。ーその日、わたしはイスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
律法の中に幾つかを現在でも有効のように考える方がいますが、『殺してはいけない』『盗んではいけない』という教えは、現在はキリスト・イエスにある『愛の律法』として有効なのであって、モーセの律法の一部が残っているのではありません。
エレミヤ31:32ーその契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。ー主の御告げ。ー
*エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約…モーセ契約。
エジプト4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。主はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。
申命記21:16~17ーその人が自分の息子たちに財産を譲る日に、長子である、そのきらわれている者の子をさしおいて、愛されている者の子を長子として扱うことはできない。
きらわれている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである。
*イスラエルは神の初子=長子。祝福も不信仰による裁きも二倍。
ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
*私たち異邦人信者は『霊的イスラエル』となったのではなく、恵みにより信仰によって『神の子どもとされる特権を与えられた』に過ぎないのです。
謙遜にこの事実を受け入れる必要があります。
ソロモンが晩年犯した『偶像崇拝の罪』ー十戒の第二戒違反ーにより、イスラエルは『北イスラエル王国』と『南ユダ王国』の二つに分断されました。
北イスラエル王国は、BC721年にアッシリア捕囚となりました。その理由はモーセ契約の破り、偶像崇拝をしたため。
神の民が神以外の偶像を慕う罪の責任は重いのです。
Ⅱ 列王記17:15~16ー彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。
また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。
Ⅱ 列王記17:22~23ーイスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
一方の南ユダ王国が『バビロン捕囚』となった理由は二つ。
①土地の安息を守らなかった罪。
②偶像崇拝の罪。
七年に一度の土地の安息を70回分守らず偶像に仕えたため、神は土地の安息を取り戻すためと、偶像がそんなに慕わしいなら偶像崇拝の中心地バビロンへ行けと、ユダの民を捕囚に出したのです。
バビロン捕囚は、三度にわたって行われました。第一回捕囚…BC605年、第二回捕囚… BC597年、第三回捕囚…BC586年でした。
エレミヤ44:22ー主は、あなたがたの悪い行い、あなたがたが行ったあの忌みきらうべきことのために、もう耐えられず、それであなたがたの国は今日のように、住む者もなく、廃墟となり、恐怖、ののしりとなった。
Ⅱ 歴代誌36:21ーこれは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た。
七年に一度の土地の安息を守るために必要だったのは『信仰』でした。
出エジプト後、40年間の荒野生活において、六日目にマナが二日分与えられ民を養われた民。その先祖たちの経験に目を留め、神に信仰を持って従うべきだったのです。
神の長子であるイスラエルの民は、信仰の歩みをすれば祝福は異邦人の二倍です。しかし、不信仰に陥れば異邦人よりも倍厳しい裁きが待っているのです。
それが『アッシリヤ捕囚』『バビロン捕囚』そしてメシアの初臨を拒否したために『AD70~1,948年までの世界離散』でした。
そのようなことを無視して『ユダヤ人がキリスト・イエスを十字架にかけて殺したから、イスラエルに約束されていた祝福は今や取り去られ、異邦人信者であるクリスチャンに与えられた』とするのなら、私たち異邦人信者も不信仰によっていつその祝福を失うかわかりません。いつまで経っても『救いの確信』など持てないことになってしまいます。
モーセの律法に代わるものとして『新しい律法』(キリストの律法)が与えられました。
新しい契約では、イスラエルの霊的回復が約束されていますから、神がイスラエルを捨てらたわけではないことがわかります。
イザヤ59:21ー「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。
「あなたのうえにあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。
新しい契約の本質は、神を愛し、他の人を自分自身のように愛するという点において一致しています。
出エジプト20:3ー①あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
出エジプト20:4aー②あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
出エジプト20:5aーそれらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
これが『十戒』の最初の二つの戒め。
出エジプト20:7ー③あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
出エジプト20:8ー④安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
*安息日…金曜日の日没〜土曜日の日没まで。『日曜日の礼拝』に適用するのは誤り。
十戒のうち①〜④は、神様に対する戒め。
出エジプト20:12ー⑤あなたの父と母を敬え。
⑤は、人が最初に関係を持つ自分以外の人に対する戒め。
出エジプト20:13ー⑥殺してはならない。
出エジプト20:14ー⑦姦淫してはならない。
出エジプト20:15ー⑧盗んではならない。
出エジプト20:16ー⑨あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
出エジプト20:17ー⑩あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
⑥〜⑩は、自分自身に対する戒め。
神様 (Jesus) 一番、他の人 (Others) 二番、自分自身 (Yourself) 三番の順序。
ガラテヤ5:22~23ーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
①神(Jesus)から…愛、喜び、平安
②他者(Others)に対し…寛容、親切、善意
③自分自身(Yourself)に対し…誠実、柔和、自制
JOY…この優先順序になった時『喜び』となるのです。
私たちも救い主なる神の御子イエスを愛し、神の長子であるイスラエルを愛し、神の民となった他のクリスチャンを愛し、まだ救われていない人々を愛していく者として召されたのです。