サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

聖書の土台を持たない日本人への伝道

使徒2:14~36のペテロの宣教を聞いて、キリストの弟子となった人々は三千人。彼らは、

①悪霊のかしら『ベルゼブル』と呼ばれていたイエスを『メシア』と悔い改め(考えを変え)、

ユダヤ教からの分離を意味する『キリストの名によるバプテスマ』を受けました。

 

何故、ペテロの話をちょっと聞いただけで、1日で3,000人もの人々が信じ、バプテスマを受けたのでしょうか…?

現代の教会では、このようなことは起こりません。


彼らはユダヤ人であり、旧約聖書という『神のいろいろなおことば』を委ねられている人々…メシアを信じる土台のある人々でした。

詩篇147:19~20主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主は、どんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

*おきてモーセの律法(全部で613ある)

*さばき…預言書

 

ローマ3:1~2では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

*割礼アブラハム契約のしるし

 

でも、私たちは日本人であって『ユダヤ人』ではありません。聖書の土台を持たない『異邦人ーユダヤ人以外』なのです。
私たちが伝道する相手は、神について、メシアについて、聖書について、全く土台のないまっさらな人々なので、土台作りから始めないといけないのです。

 

「伝道するには、どう切り出したらいいのかがわからなくて…。」という理由は、ここにあるのではないでしょうか?

『不正な管理人のたとえ http://osusowake.hatenablog.com/entry/2015/02/20/234152

にもあるように、私たちは、この世ツールを用いて『キリストを宣べ伝える』という神の家の管理人としての責務があります。

 

まず目的をはっきりさせること!

『キリストを宣べ伝える』という目的がボヤけてしまっては、忠実なしもべとはなれません。
ポイントは『イエスがどういう方か』を徹底的に紹介することです!

 

聖書的土台のない日本人は…
⚫︎イエス・キリストは、アメリカ人だと思っている人…結構いる💦
⚫︎イエスが名前で、キリストが苗字だと思っている人…私も昔はそうだった😱
⚫︎イエスを “YES” だと思っている人…たまにいる💔
というのが現実。

信仰歴が長くなると、このくらいは知ってるだろうと思ってしまいがちですけどね😅。

 

今年は2015年ですが、『紀元』が何を基準に数えているかを知らない人も多いのです。BCと AD表記を知っていても、何の短縮形か知らない人も意外と多く、BCを『Before Christ』と答えられても、ADを『After death』と答える人はざらにいます。

 

BCは、あと何年で『主が来られる』というカウントダウン方式…と、ここまで説明すると、中には「学生時代に聞きたかったなぁ。そしたら、もう少し世界史に興味持って学べたのに…。」と感想をもらす人がいるのも事実。
社会科の先生方、授業に導入してみては?きっと生徒は興味深々になるはず…!?

 

クリスマス🎄として有名な12月25日は、あくまでも伝統であって聖書的根拠はありませんが、「二千年前の人の誕生をを今でも人々が祝うってすごいことですよね〜」インパクトを与えることも大事。日常生活の中で、キリストに繋がる物に気づくようになります。少しづつ目の覆いが取り除かれていきますから。

 

聖書的📖背景を持たない日本人 (異邦人) の中には、聖書が『神のことば』という認識すら持っていない人も多いのです。
このような人々には、どのように説明したらいいのでしょう…?


自分が読んで良かったと思える本を人に勧める時と同じです。
誰が書いたのか、一貫性のある世界のベストセラーであることを伝えればいいのです。

 

旧約聖書は、主にヘブル語 (一部アラム語)

新訳聖書は、ギリシャ語という三つの言語で、40人以上の人々が、約1,600年という年月をかけて書いた文書の集大成です。

*創世記〜申命記を書いたモーセはBC1,500年頃から、ヨハネが黙示録を書いたのがAD100年頃迄の1,600年。

 

その内容は、時代も言語も職業も異なる筆者たちが、まるで一ヶ所に集まって何度も打ち合わせをしたかのように一貫性を保っているのは何故か…?

Ⅱ テモテ3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

 

書店には『今月のベストセラー』なんていうコーナーがありますが、聖書は今月だけでなく『永遠のベストセラー』なのだ。迫害されても絶版になることもなく、毎年新たな言語に翻訳&増版され、世界中で読まれています。
それを、生涯に1回くらい真剣に学んでみませんか?と、勧めてみよう。

 

〜大雑把な旧約聖書の内容〜 - サザエのお裾分け

〜大雑把な新約聖書の内容〜 - サザエのお裾分け

神が結ばれた「八つの契約」 〜Biblical Covenant〜 - サザエのお裾分け

 

旧約聖書には、人がすべきこと&すべきでないことが書かれていますが、『人間はルールを守れない』ということを明らかにしたのが、『モーセの律法』です。

神は聖なる方ですから、神の命令を守れない人間をそのままの状態で『天の御国』に迎え入れることはできません。そのため、人が神の命令を守れなくても救われるように準備してくださいました。それが『新しい契約』であり、神子イエス・キリストなのです。

 

神が決められた事の善悪の基準に従わず、自分で決めて行なう…これを聖書は『罪』と呼びます。
その『罪』を赦すために、身代わりとなって十字架の死をもって贖ってくださったのが、神のひとり子イエス・キリストです。

 

ヨハネ4:9~10神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

神は、世界を創造されたお方ですから、世界が造られる以前の『永遠の初め』から存在されています。創造主なる神は、死ぬことはありません。聖書が示す神は、永遠に存在される『父なる神様、子なるイエス様、聖霊の三つで一つの『三位一体の神』です。
*『三位一体』は、政治用語ではなく、神学用語です。

 

その中の御子イエスだけが、二千年前に天を離れ、人間の赤ちゃんとなってきてくださり、私たちと同じように『神と人とに愛されて』成長されました。
これを『初臨』と言います。
ルカ2:52イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。

 

そして30歳の時に神の御子キリスト(救い主)として働き始め、罪あるままでは危険だと警鐘を鳴らしたのに、人々は受け入れず、イエスを嫌い、十字架につけて殺したのです。
しかしそれは、人間側から見た結果でした。神様側にはもっと大きく深い意味がありました。

 

旧約聖書の時代、モーセの律法を破り罪を犯した人は動物の犠牲をささげて、神に赦しを乞うことになっていました。しかし今 教会で動物の犠牲をささげる人はいません。それはイエスの十字架の死が『神の小羊』として、全人類の罪すべてを引き受けるほどの犠牲だったからです。

 

死ぬことのない神が、人類の罪を贖うために…『死ぬため』に私たちと同じ肉体を持った『人間』となって来てくださったのです。

ヨハネ3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

私たち人間は神の命令を守れない存在ですが、イエス様は父なる神の決められたことに同意し、十字架の死に至るまで従順でした。

ヨハネ10:18だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。

 

十字架で死なれたイエスは、墓に葬られましたが、三日目に復活されました。

そのことを信じる者は、すべての罪が赦されて『永遠のいのち』が与えられます。


1コリント15:3~5私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。

 

もし信じることなく、罪が残ったままでこの世を去ると、神様の法廷で裁かれることになります。

神の法廷での裁判官と原告は、父なる神です。私たちは被告人として、肉体が生きている間のすべての言動について裁かれます。原告側の完全な証拠物件を前に、「記憶にごさいません。」は通用しません。おそらく反論ひとつできないでしょう。

 

私たちは生まれながらにして、神の命令に従えないという『罪』ある者として生きていますから、その判決は『永遠の無期懲役』、『地獄』という燃える火の池という暗闇の中で苦しむことになります。人生はその『刑』の執行猶予期間ということになります。

 

しかしどのような物証が出されようとも、信じる者には優秀な弁護人として、神の御子イエスがついてくださるのです。どのような重罪判決を求刑されようとも、その御手御足の傷跡により『無罪』を勝ち取ることができるのです。
イエスの十字架は、それを信じた私の罪の身代わりとして有効だからです。

 

それが『仲介者』としてのイエスです。
1テモテ2:5神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

 

信じない者は、自分で無罪を勝ち取らなくてはなりません。しかし、それは不可能です。

 

イエスの初臨は、クリスマスの話しで始まり、十字架の死、葬り、復活、昇天で終わりました。イエスは天に帰られる前、また戻って来ると約束されました。次は裁き主として戻って来られます。これを『再臨』と言います。いつイエスが再臨されるかは誰にもわかりません。今信じることが分岐点なのです。

 

イエスが死から復活されたように、イエスを信じて死んだ者も、天で永遠に生きるための栄光のからだに復活させられます。

ヨハネ6:40事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。

 

それは、今の身体とは違うからだです。その新しいからだに新しい命が宿るのです。
今の身体でイエスの十字架、死、復活を自分の罪のためだと信じる者に、天国での命の保証を与えてくださるのが『聖霊』です。

エペソ1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

私たちの一生は70~80年です。

詩篇90:10私たちの齢は七十年。

健やかであっても八十年。

しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。

それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

 

しかしそれはこの地上での生涯であって、聖書は肉体の死後の世界があることを教えています。神はその永遠の世界として、神と共に過ごすことのできる『天国』を人間に与えたいのです。永遠の滅びと言われる苦しみの場所『地獄』行きから救い出してくださるのが、イエス・キリストであり、天国への道となってくださいました。

 

ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

*『すべての宗教は、同じ神にたどり着く』というように、聖書の神様以外も容認することはありません。

イエスだけが『道』であり、それ以外の『道』を求めることは、聖書の神様が最も嫌う『偶像礼拝』という罪になります。

 

天国では、この地上にあるような思い煩いや苦しみは何もありません。過去の罪に苛まれることもないのです。あるのは、神様の素晴らしい愛だけです。『永遠のいのち』はイエスを信じるだけで与えられるものです。行ないによるのではありません。

 

エペソ2:8~9あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

*賜物とは、神様からの一方的なプレゼントです。

 

しかしいくら『神様からの一方的なプレゼント』だと言っても、地上にいる人々が勝手に考えている基準で、天国に行けるわけではありません。そこは神様の国ですから、神様の基準に従う必要があります。『救い』は、ただイエス・キリストを信じて、罪を許されることによってのみ得られるものです。

ローマ3:23~24すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 

愛の神様だからといって、すべての罪ある人間を無条件に救い、天国に導き入れてくれるわけではありません。

 

聖い神様と人間との間には『罪』という壁があり、その壁がある限り救いたくても救うことができないのです。それは、神に救う力がないからではなく、人間側に『自分が罪人であることを認めようとしない』頑なな心があるからです。人間が自ら神様との関係を遠ざけているのです。

 

神様はすべての人が御子イエス・キリストを信じて、天国への切符を受け取ることを待っておられます。

 

Ⅱ コリント6:2神は言われます。

「わたしは、恵みの時にあなたに答え、

救いの日にあなたを助けた。」

確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 

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