過越の祭りは『神の小羊』としてのイエスの十字架の死で、種なしパンの祭りは『罪のない者』として墓に葬られたことによって、初穂の祭りは復活によってそれぞれ成就しました。
あまり耳に馴染みのない『七週の祭り』とはどんな祭りで、何によって成就したのでしょう…?
出エジプト記12:1~2ー主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。
「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
*この月…宗教暦新年。ニサンの月。過越の祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭りを祝う月。
出エジプト記23:16ーまた、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。
*初穂の祭りで祝う、その年の最初の収穫は『大麦』。
出エジプト記34:22ー小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない。
*七週の祭り…小麦の収穫祭。大麦の収穫が終わると小麦の収穫が始まる。
民数記28:26ー初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を主にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。
*新しい穀物…小麦。大麦の収穫を祝う初穂の祭りから数えて七週後、小麦の収穫の感謝を捧げるのが七週の祭り。
申命記16:9~12ー七週間を数えなければならない。かまを立穂に入れ始める時から、七週間を数え始めなければならない。
あなたの神、主のために七週の祭りを行い、あなたの神、主が賜る祝福に応じ、進んでささげるささげ物をあなたの手でささげなさい。
あなたは、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、あなたがたのうちの在留異国人、みなしご、やもめとともに、あなたの神、主の前で、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、喜びなさい。
あなたがエジプトで奴隷であったことを覚え、これらのおきてを守り行いなさい。
*七週の祭り…喜びと楽しみの祭り。『喜びなさい。』という命令が伴う。
出エジプト記23:16~17ーまた、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。
年に三度、男子はみな、あなたの主、主の前に出なければならない。
*過越、七週、仮庵の祭りの年三度の礼拝。
ユダヤ人の伝承によれば、出エジプトの後『七週目』に律法が授与されたと言われています。奴隷生活から解放されたイスラエルの民に、神が新しい啓示を与えられた。
そのため、七週の祭りはZaman Matan Torahとも呼ばれています。
出エジプト記19:7~8ーモーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。
すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行います。」それでモーセは民のことばを主に持って帰った。
*確かに民は誓いました。
出エジプト記32:1ー民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているの見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」
*律法授与時の民は、もう既に「主が仰せられたことを、みな行います。」という誓いの言葉を忘れてしまっています。
出エジプト記32:3~4ーそこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。
彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。
*アロンは民の要望に応えて『金の子牛』を造り、エジプトからイスラエルの民を連れ出した『神』としたのです。
この時、シナイ山の上では、モーセが神から『十戒』を授かっていました。
その中の『第二戒』でこう命じられています。
出エジプト記20:4~5
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
それらを拝んではならない。
しかし山の麓では、アロンをはじめイスラエルの民はこの命令に違反していたのです。
出エジプト32:27~28ーそこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」
レビ族は、モーセのことばどおりに行った。その日、民のうえち、おおよそ三千人が倒れた。
ローマ5:13ーというのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
*律法により罪が明らかになり、罪により死が入ったため、この時偶像を伏し拝んだ民が『三千人』倒されました。
後に『七週の祭り』は、過越の祭りの後の安息日の翌日から数えて49日目…安息日を足すと50日目にあたることから、『五旬節』と呼ばれるようになりました。
使徒2:1ー五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。
使徒2:2~4ーすると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
*聖霊降臨の出来事。
ギリシャ語で『50』を『ペンテコステ』ということから、今日 キリスト教では『聖霊降臨日』を『ペンテコステ』と呼んでいる。
*この時、人々が話したのは『他国のことば』でした。
使徒2:14aーそこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。
2:14b~39節まで、ペテロの大宣教演説が続きます。それを聞いた人々はその場で悔い改め、メシアを受け入れた。
使徒2:41~42ーそこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
*律法授与日に違反により三千人が倒れましたが、五旬節の時に聖霊により三千人が救われ、永遠のいのちを得たのです。
ヨハネ14:16ーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
*イエスのこの約束が、ペンテコステで成就したのです。
*聖霊は『もうひとりの助け主』として働かれます。
ヨハネ16:7ーしかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
【聖霊の働き】
ヨハネ14:26ーしかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネ16:8ーその方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
秋のラッパの祭りまでの約4ヶ月間、夏の間は端境期になります。
神の国イスラエルには、祭りと祭りの端境期に神が律法によって定めた『生活保護法』があります。
レビ記19:9~10ーあなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。
またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。
貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
*畑の隅の穀物、落穂、畑に置き忘れた束は、『在留異国人』、やもめ、孤児たちのものとなったのです。ー申命記24:19
*この律法により守られたのが、ルツ記のユダヤ人の姑ナオミ(やもめ)とモアブ人の嫁ルツ(在留異国人)です。
興味深いことに、ユダヤ教では『七週の祭り』の時に読まれるのが、この『ルツ記』だそうです。たった4章のルツ記は『美しい嫁姑物語』として知られていますが、実は『教会時代の型』となっているのです。
ユダヤ人の姑ナオミと異邦人の嫁ルツが『家族』となる…ユダヤ人信者(メシアニックジュー)と異邦人信者(クリスチャン)が、ともにメシアを信じる信仰により一つの『神の家族』となる…それが本来の『教会』です。
ルツ記 1章 - サザエのお裾分け…エリメレク、マフロン、キルヨンはー滅びゆくユダヤ人の型。ナオミーレムナントの型。ルツー異邦人信者(クリスチャン)の型。オルパー異邦人の不信者の型。
ルツ記 2章 - サザエのお裾分け…大麦の『落穂拾い』とボアズとの出会い。
ルツ記 3章 - サザエのお裾分け…ルツ、ボアズに求婚。
ルツ記 4章 - サザエのお裾分け…ボアズよりも近い『買い戻しの権利のある親戚』ー律法学者、パリサイ人の型。ルツとボアズの結婚とダビデ王の祖父オベデの誕生。
祭りの間の端境期は、異邦人の救いの『教会時代』で今まさに 成就しているのです。
613ある律法により罪が明らかになりました。律法を守る『行ないによる義』ではなく、罪による永遠の滅びから救い出すために、キリストは十字架で贖ってくださったのです。『信仰による義』の道を開いてくださったのです。
ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
後に、七週の祭りは今の『教会時代』の始まりとなり、祭りで読まれる『ルツ記』は教会時代の型であることを知ると、神様のご計画の素晴らしさに目を見張りますね。
このブログを読まれたお一人お一人が、素晴らしい五旬節を過ごされますように…祈。
† 栄光在主 †