普段、聖書通読をする時、さほど気にしない『執筆年代』ですが、聖書理解には欠かせない情報の一つです。手紙が書かれた時、著者は『どこまで情報を知っていた』のかを吟味せず、思い込みで理解してしまうことが多々あるからです。
そこで、今回は新約聖書を執筆年代別に並べてみることにしました。
こうして見ると、AD70年に神殿が崩壊してして以降、80年代に入るまで聖書に収められた書簡がないことに気づきます。迫害が強く、激動の時代だったのでしょう。
1)ヤコブの手紙…AD45~50年頃
ヤコブは主イエスの『異父兄弟』ーマルコ6:3、エルサレム教会の初代監督。
使徒の働き15章の『エルサレム会議』よりも前に書かれた可能性があり、ユダヤ人の書簡だということを考慮すると、さらに前のAD34~35年頃の教会時代初期に書かれたことも考えられる。新約聖書の中で一番先に書かれた書簡。
2)ガラテヤ人への手紙…AD49~55年頃
ユダヤ主義者たちが『救われるためには割礼を受ける必要がある』と惑わしたり、パウロの使徒職に対する攻撃に対処する手紙。
3)マルコの福音書…AD50年代
四福音書の中で一番先に書かれた。『王』であるキリストを紹介。
『福音書』は、私たちの注意を神の御子に向けさせます。
4)1テサロニケ人への手紙…AD51年頃
キリストの『空中再臨/携挙』を強調。
5)Ⅱテサロニケ人への手紙…AD51年頃
終末時代に対する警告と勝利の主について。
6)1コリント人への手紙…AD55~56年
15:52ー『終わりのラッパ』をヨハネの黙示録に書かれている『七つのラッパの裁きの第七のラッパ』と結びつけて、「携挙は、患難時代中期(または後期)」という解釈をする人がいますが、黙示録は1コリントの手紙が書かれた40年後に書かれているので、パウロが『ラッパの裁き』を知る由はありません。
7)ローマ人への手紙…AD56年頃
新約聖書の書簡で、ローマ人への手紙〜ピレモンへの手紙までは『異邦人の使徒』となったパウロが、異邦人の教会、もしくは異邦人信者に宛てたもの。
ガラテヤ2:8ーペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
8)Ⅱコリント人への手紙…AD56~57年
パウロの証しや苦悩、感情の他、教会に対する祝祷が書かれています。
パウロはコリントの教会に全部で四通の手紙を書き送っています。
①厳しい手紙…1コリント5:9ー私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行 な者たちと交際しないようにと書きました。
②1コリント人への手紙
③涙の手紙…Ⅱコリント2:4aー私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。
④Ⅱコリント人への手紙
9)ルカの福音書…AD59~60年
『しもべ』としてのイエスを紹介。
多くの人が著者の名前から『ルカは 、聖書筆者中唯一の異邦人』と言われいますが、神はみことばをユダヤ人に託したことを考慮すると、ルカだけ『異邦人』という説には疑問が残ります。『ユダヤ人』とするのが妥当です。
イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主はどんな国にも、このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知ってはいない。
ハレルヤ。
ローマ3:1~2ーでは、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。
福音の優先順位も、異邦人より先にユダヤ人にあるのです。
使徒13:46ーそこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。 しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。
ですから、パウロたちは行く先々でユダヤ人の会堂に入り、まずユダヤ人たちに福音を語りました。
使徒14:1ーイコニオムでも、二人は連れ立っってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も大ぜいの人々が進行にはいった。
10)エペソ人への手紙…AD61年頃
エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンへの手紙の四書簡は、パウロがローマの獄中生活をしていた時に書かれたため『獄中書簡』と呼ばれています。
コロサイの教会に異端が起こったため、周囲の小アジアの教会にも神の救いのご計画や教会について手紙を書き送っています。
エペソ2:8~9ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
11)ピリピ人への手紙…AD61年頃『喜びの手紙』と呼ばれています。
ピリピ3:20ーけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
12)コロサイ人への手紙…AD61年頃
コロサイの教会に入ってきた異端は『グノーシス主義』は、霊は善であり、物質は悪であるとする二元論。さらに、誤ったユダヤ教的教えや御使い礼拝、禁欲主義、だましごとの哲学などの惑わしに対処する手紙。
コロサイ1:18ーまた、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自
身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。
13)ピレモンへの手紙…AD61年頃
パウロ書簡の中で一番短い手紙。
オネシモが主人であるピレモンの物を盗んでローマに逃亡し、そこでパウロと出会い、キリストの福音を聞いて回心した。そのオネシモを主人であるピレモンへ送り返すにあたり、彼の罪を赦し、主にある兄弟として受け入れてくれるようにと懇願する手紙。
ピレモンに与えた損害をパウロが負担しようと申し出ているオネシモに対するパウロの愛は、キリストの愛を暗示しています。
ピレモンはかなり裕福であったと思われる。自分の家を解放して神の家族のために家の教会を開いていました。
ピレモン16ーもはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
14)使徒の働き…AD61年頃
初代教会時代(AD30〜100年頃)の最初の30年間を記しています。
著者は、ルカの福音書と同じく『ルカ』。強調点は、ユダヤ教との分離です。
15)1テモテへの手紙…AD63年頃
テトスへの手紙と並び、教会生活には欠くことのできない『牧会書簡』。
使徒16:1ーそれからパウロはデルべに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父としていたが、
16)1ペテロの手紙…AD64~65年頃
*ペテロ…ギリシャ名:ペトロス。『石』または『小石』の意。
*シモン…ヘブル名:シメオンの変化形。『聞く』または『傍聴』の意。
*ケパ…アラム語名:『岩』の意。
17)Ⅱテモテへの手紙…AD64~67年頃
テモテの信仰は、ユダヤ人である母方から継承されたもの。(父親がギリシャ人のため、聖書的には異邦人となります。)
Ⅱテモテ1:5ー私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。
18)テトスへの手紙…AD65年頃
テモテへの手紙と並ぶ『牧会書簡』。牧師の資質や執事の資質、教会内における人間関係などを記しています。
19)Ⅱペテロの手紙…AD66年頃
『離散の民』となったメシアニックジューに、異端への喚起を呼びかけています。
20)マタイの福音書…AD60年代
マタイ1章の系図は、養父ヨセフの系図であり、イエスとヨセフは血縁関係にないことを証明しています。
21)ヘブル人への手紙…AD65~69年頃
ヘブル人へ手紙〜ユダの手紙までは、メシアニックジューに宛てた書簡。
ヘブル人への手紙の著者は『不明』、パウロだとか言われることもありますが、断言することはできません。
22)ユダの手紙…AD67~68年頃
イエスの『異父兄弟』の一人で、ヤコブの手紙の著者ヤコブとは兄弟、 マリヤとイエスの養父ヨセフの子。イエスの復活前は全員不信者でしたが、ヤコブとユダの二人は後に信者となりました。
ユダの手紙には、Ⅱペテロの手紙(将来起こることとして喚起)からの引用が13ヶ所(既に起きた事として記述)あります。
世界中の人々へ『神の子』としてのキリストを紹介。
24)1ヨハネの手紙…AD80年代後半〜90年代前半
25)Ⅱヨハネの手紙…AD80年代後半〜90年代前半
26)Ⅲヨハネの手紙…AD80年代後半〜90年代前半
Ⅰ〜Ⅲヨハネの手紙は『公同書簡』と呼ばれます。三通の手紙の中に『真理』は20回、『愛』は60回以上書かれています。
イエスがキリストであることや神の御子であることを否定する、異端的教えに警告を与える手紙。
27)ヨハネの黙示録…AD95年頃
旧約聖書の預言書に記された預言のうち、550箇所以上を時系列にまとめたもの。
新約聖書における『預言書』。
今最もクリスチャンが学ぶべき書です。
黙示録22:10ーまた、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。