サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

メルキゼデクとイエスの類似点 〜創世記14:18~20, 詩篇110:4, ヘブル7:1~3〜

『メルキゼデク』という王の名前を知っている人は多いと思いますが、彼がどこの王で、何をしたのかまではよくわからない…といういう人がほとんどではないでしょうか?

それもそのはず、『メルキゼデク』について、聖書はほんの僅かな記録しか残していないのですから…。旧約聖書では、創世記14:18~20詩篇110:4の二カ所のみ。新約聖書でも、ヘブル書6:107章に出てくるだけです。

しかし、『メルキゼデク』は、キリスト・イエスと比較されており、その類似点は六つもあります。

 

【類似点 ①】…王であり祭司

創世記14:18ーまた、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

 

ヘブル7:1ーこのメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。

 

*シャレム(サレム)の王…『エルサレム』のこと。『平和』の意。

詩篇76:2ー神の仮庵はシャレムにあり、

その住まいはシオンにある。

 

*メルキゼデク…『正義』の意。名前の後半部分『ゼデク』というのは、ダビデ王に征服される以前の『(エル)サレム』に住んでいたカナン人族(エブス人)の王朝時代の名前です。

ヨシュアが約束に地に入って来た時に、『アドニ・ゼデク』という名のエルサレムの王と戦っています。ここから『メルキゼデク』という名前も、カナン人(エブス人)王朝の名前であることがわかります。

ヨシュア記10:1~2aーさて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、

大いに恐れた。

 

*いと高き神の祭司…『メルキゼデク』は、『シャレムの王』であっただけでなく、『いと高き神の祭司』でもありました。つまり、『王』であり『祭司』であったのです。

 キリストも初臨時は『預言者』として、天に帰られた現在は『祭司』、やがて『王の』として再臨されます。

 

ヘブル7:2bーまず彼は、その名を訳すと義の王であり、次にサレムの王、すなわち平和の王です。

『平和』を意味する『シャレム』と、『正義』を意味する『メルキゼデク』というのは、将来現れるメシアに直結する名前です。

イザヤ9:6~7ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。

主権はその肩にあり、

その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、

ダビデの王座に着いて、その王国を治め、

さばきと正義によってこれをささえる。今より、とこしえまで。

 

 

【類似点 ②】…祭司の祝福。

創世記14:19ー彼はアブラムを祝福して言った。

「祝福を受けよ。アブラム。

天と地を造られた方、いと高き神より。

創世記14:20aーあなたの手に、あなたの敵を渡された

いと高き神に、誉あれ。」

 

ヘブル7:1bーアブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。

 

いと高き神の祭司メルキゼデクがアブラムを祝福したように、メルキゼデクの位の祭司であるキリストが、私たちを祝福してくださるのです。

エペソ1:3ー私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

 

 

【類似点 ③】…ささげ物。

創世記14:20bーアブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

十分の一をささげるという行為は、身分の下の者から上の者に対して行なうものです。

アブラムはここで、メルキゼデクが自分よりも優位な身分であることを認識して、戦利品の中から十分の一をささげました。

 

ヘブル7:2aーまたアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。

 

 

【類似点 ④】…大祭司。

創世記14:18bー彼はいと高き神の祭司であった。

ヘブル7:3ー父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。

 

メルキゼデクの位の祭司に限り、先祖の家系は重要ではありません。なぜなら、人間の血筋からは独立した『祭司職』だからです。民数記16~17章の律法から始まった祭司制度では、レビ族のアロンの家系であることを証明できなければ、祭司にはなれませんでした。

しかし、メルキゼデクに関しては、確かに歴史上存在していたにも拘わらず、祭司としての系図に関する記述はありません。 律法が与えられる前の祭司でした。

 

一方 イエスが、祭司となられたのは十字架の死から復活後です。十字架の死をもって、律法は無効となり、律法の時代は終わりました。

イエスは、神の小羊としてのご自身の血を携えて天の聖所に入られ、きよめをなさいました。

ヘブル8:11~12ーしかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

ですから、メルキゼデクとイエスの『大祭司』は、律法とは関係ない祭司制なのです。

 

 

【類似点 ⑤】…永遠の祭司。

詩篇110:4は誓い、そしてみこころを変えない。

「あなたは、メルキゼデクの例にならい、

とこしえに祭司である。」

 

ヘブル7:3bー神の子に似た者とされ、いつまでも祭司ととどまっているのです。

 

メルキゼデクもイエスも『永遠の祭司』です。

律法により定められたレビ系祭司職には、務めの期間が決まっていました。

民数記8:24~25ー「これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。

しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。 

 

 

【類似点 ⑥】…イエス=神の子。メルキゼデク=神の子に似た者とされた。

ヘブル7:3ー父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。

*神の子に似た者とされ…『されている』という新約聖書の記述は、ここだけ。メルキゼデクは『神の子だった』のはなく、『神の子に似た者とされた』のです。

 

旧約聖書に受肉前にキリストが登場することがあるが、創世記14章のメルキゼデクが、受肉前のキリストの顕現なのではありません。受肉前のキリストの顕現は『人のような姿』ではあるけれど、人間になって来たのではありません。

大祭司は『人の中から選ばれ』なくてはならないので、イエスが処女マリヤが聖霊によってみごもる前に人として来たことはありません。

ヘブル5:1大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。

 

また、旧約聖書における神の顕現が、長く任務にとどまることはありませんでした。常に、短期間または一時的な顕現でした。しかしメルキゼデクは、エルサレムの町の王として、町に住み、王と祭司としての地位にあり続けたことから、イエスとは別に存在した人だったことがわかります。メルキゼデクは、受肉前のイエスではなく『キリストの型』だったのです。

 

 

ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

*メルキゼデクは『神の子に似た者とされ』ましたが、今キリストを信じる私たちは『神の子どもとされる特権』が与えられています。そのことを覚え、『神の子ども』としてふさわしく、霊的に成長することができますように。