サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヨナのしるし マタイ12:39~40

ヨナ書の内容を『実話』と理解していますか?それとも、教会学校の子どもたちが大好きな『お伽話』として受け止めていますか?

主イエスは、ユダヤ人たちに向かい、彼らがよく知っている旧約聖書のヨナ書から引用して、次のように言われました。

 

マタイ12:39~40ーしかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。

ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

*時代…英語:this genelation、『世代』の意。

 

『世代』には、三つ期間があります。

①一番短い期間は、40年…カデシュ・バルネアの時もイエスを十字架につけた世代がAD70年に裁かれるまでも『40年』でした。

 

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 ②70〜80年詩篇90:10ー私たちの齢は七十年。

健やかであっても八十年。

しかも、その誇りとするところは

労苦をわざわいです。

それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

 

③一番長い期間は、100年創世記15:13, 16ーエジプトでの奴隷生活は、四世代で400年間。

千年王国で誕生する異邦人の人々の生涯は、全員100歳です。

 

イザヤ65:20ー そこにはもう、数日じか生きない乳飲み子も、

寿命の満ちない老人もない。

百歳で死ぬ者は若かったとされ、

百歳(*にならない)で死ぬ者は、 

のろわれた者とされる。

*にならないで死ぬ者千年王国のほとんどの異邦人の肉体の寿命は、百歳まで保証されています。言い換えれば、百歳までが肉体の死までの執行猶予だということです。百歳までにイエスが御国の王の王であることを認めれば、百歳になっても死ぬことはありません。ただ一つの例外は、千年王国の終わりにサタンがアビスから解き放たれた時に生きている百歳未満の者たちはふるいにかけられ、サタンに組みして王の王であるメシアに敵対する者が天から降って来る火に焼かれて滅ぼされます。これは次に来る永遠の秩序=完成した天のエルサレムに入る人を選ぶための選別となります。

 

黙示録20:7~9ーしかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、

地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを招集する。彼らの数は海辺の砂のようである。

彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

 

『ヨナのしるし』って何でしょう?

ある人々は「“ヨナが三日三晩魚の腹の中にいた” が『イエスの十字架と復活のしるし』であるのなら、イエスの十字架は金曜日ではなく、木曜日のはずだ。」と考えます。

 

本当に、そう考えられるでしょうか?

エス様がこのとき意味した『ヨナのしるし』は、二つあります。

 

⑴イエスご自身の十字架の死から復活まで。

 

 

ヨナは、旧約聖書に登場する預言者で、アッシリヤ帝国の首都、ニネベに神の裁きを告げるように命じられました。

ヨナ1:1~2ーアミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。

「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

 

ヨナは、イスラエルの神を礼拝していたにもかかわらず、

ヨナ1:9ーヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主を恐れています。」 

 

不従順にも神の命令を無視し、船でタルシシュに向かいますが、嵐に逢い、水夫たちにより海に投げ込まれてしまいます。

ヨナ1:12ーヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」

 

預言者にとって従うべきは、神の命令であり、神に託されたみことばは余すことなく伝えねばなりませんでした。それを怠り、逃走を図ったヨナを戒めるために神は嵐を送られたのです。

 

海に投げ込まれたヨナは、どうなったのでしょう…?

 

ヨナ1:17主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

 

大きな魚の腹の中…と聞くと、絵本や動画で有名な『ピノキオの冒険』を思い出しますね。物語の中でピノキオは、魚の腹の中で生きていました。だから、私たちの中で自然と『ピノキオの冒険』と『ヨナ書』が重なり、ヨナも魚の腹の中で生きていたと理解してしまうのです。

聖書をよく読み解くと…。

 

ヨナ2:1~2ーヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、

言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、

主は答えてくださいました。

私がよみの腹の中から叫ぶと

あなたは私の声を聞いてくださいました。

 

*よみ…死後の世界。肉体とたましいの分離が、聖書が教える『肉体の死』です。

 

*よみの腹の中から叫ぶとヨナのたましいは、死後の世界『よみ』に行きましたが、肉体はまだ魚の腹の中にありました。

 

ヨナ2:5ー水は、私ののどを絞めつけ

深淵は私を取り囲み、

海草は私の頭にからみつきました。

 

*深淵、海草…ヨナは海に投げ込まれ、魚に飲み込まれるまでに溺死したことを、たましいは覚えているのです。

 

ヨナ2:6b~7aーしかし、私の神、主よ。

あなたは私のいのちを

穴から引き上げてくださいました。

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、

私は主を思い出しました。

 

*穴…滅び。死後の世界。人間の不信者が行くところは『ハデス/苦しみの場所』、信者が行くところは『アブラハムのふところ/パラダイス』 堕天使たちが閉じ込められている『アビス』のことを『底知れぬ穴』と言われています。cf 黙示録9:1~2

 

*たましいが私のうちに衰え果てたとき…たましいと肉体との分離。肉体の死。

ヨナは死んでから主を思い出しました。

 

ルカ16章の『金持ちとラザロ』の金持ちのようです。金持ちとの違いは、ヨナは1:9にあるように『主を恐れる者』でしたが、金持ちは『不信者』でした。

 

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ですから、この箇所から死後にも救いのチャンスがあるという『セカンドチャンス論を唱えることはできません。

 

ここでの強調点は、ヨナが海に投げ込まれた時、確かに肉体からたましいが離れ、よみからたましいが悔い改めた (考え方を変えた) 、ヨナは神を恐れる者だったので、神がヨナの悔い改めを聞き入れ、三日後に蘇生させてくださったということです。

 

このことを指してイエスは『ヨナのしるし』と言われました。

では、この『ヨナのしるし』がどのようにイエスと関係するのでしょう?

 

ポイントは、ヨナは死に、肉体は三日三晩魚の腹の中に、たましいはよみに下ったということです。つまり、ヨナ書の内容は『実話』であるからこそ、イエスが『ヨナのしるし』として引用しているのです。

 

 

マタイ12:40ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

 

ヨナと同じようにイエスも十字架で死に、からだは三日間、墓に葬られました。

しかし、イエスのたましいはよみに下り、宣言されました。

 

1ペテロ3:18~19ーキリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、*みことばを語られたのです。

 

ギリシャ語本文には、『みことばを』という言葉はありません。

『語られた』という語は、『宣言する』という意味です。

 

*三日三晩…ヘブル的表現では、文字通りの72時間ではなく、日本での旅行の日程を数える時のように、足掛け三日を意味を意味します。

エステル記4:16ー「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

 

*王妃エステルはここでユダヤ人に対して、『三日三晩』断食をするようにと命じています。ところが、エステル記5:1を見ると、それが『足掛け三日』であることがわかります。

 

エステル記5:1ーさて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。

 

*同じように、主の十字架は金曜日、復活は三日目の日曜日(初穂の祭り)となります。

 

ヨハネ2:19ーイエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」

 

もし、マタイ12章でイエスのことばを聞いた人々がヨナ書の内容を理解していたら、イエスの十字架の贖い、葬り、よみがえりという出来事をリンクさせて、イエスこそ『メシア/キリスト』だと信じることができたでしょう。

 

これが、主が言われた『ヨナのしるし』…つまり、『キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられた』という福音の三要素を指すのです。

 

ヨナのしるしを『私たちも神のみことばに従順になるようにと教えている』とだけ理解すると、それはキリストを抜いた理解になってしまいます。

キリストに焦点を当てて理解すると、聖書の深さに驚かされるのです。

 

⑵ベタニヤのラザロの復活ヨハネ11:1~46

エスがラザロをよみがえらせたのは、死後四日目のことでした。

ヨハネ11:39ーイエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」

 

*四…完全な破壊を意味。ここでは、蘇生の可能性がなくなったことを意味。

つまり、ラザロの死体は『三晩』墓の中に納められていたことになります。

 

そして、将来の患難時代のユダヤ人たちに与えられる『ヨナのしるし』は、患難時代中期に、復活した反キリストに殺される『ふたりの証人』の復活です。

黙示録11:3ーそれから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」

 

黙示録11:7ーそして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。

 

黙示録11:9ーもろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。

 

黙示録11:11ーしかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。

 

このように、教会時代の信者である私たちに与えられている『ヨナのしるし』は、全部で三つあることになります。

⑴ベタニヤラザロの復活

⑵イエスの復活

⑶患難時代のふたりの証人の復活

 

 

みことばをみことばで確認して、惑わされない信仰を築いていけますように。ー祈りー