1ー長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。
*長老…著者ヨハネは、神のみことばを託された使徒たちの一人として教会の『指導者』であった 。
マタイ28:20aーまた、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
*わたしがあなたがたに…マタイ28:16, 19から第一義的には、『イエスから十一人の弟子たちに』大宣教命令が出されていることがわかります。それを現在のクリスチャンに『適用』するのは、第二義的な意味になります。
マタイ28:16,19ーしかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
*ガイオ…新約聖書には、三人の『ガイオ』が登場します。ここの書簡がどのガイオに当てられているのか、または別のガイオなのかは不明。
①マケドニアのガイオ…使徒19:29ーそして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一段となって劇場へなだれ込んだ。
②デルベのガイオ…使徒20:4ープロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していた。
③コリントにガイオ…ローマ16:23ーわたしと全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワトロもよろしくと言っています。
1コリント1:14ー私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。
2ー愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
*愛する者よ…主に愛されていたヨハネは、ここではガイオに対し『愛する者よ』と主にある愛をもって語りかけています。 そして、ガイオが『すべての点でも幸いを得るように』『健康であるように』と祈っています。
*たましいの幸い…たましいの健康が、全人的な祝福の基となりますから、まず創造主と繋がることが必要となります。
3ー兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。
*兄弟たちがやって来ては…旅をしている主にある兄弟たち。 彼らは福音を伝えるために、巡回伝道をしていました。また、当時はキリスト教が異端扱いされていたこともあり、同じメシアを信じる者たちが巡回伝道者たちを自宅に迎え入れていました。
イエス様ご自身もエルサレム近くのベタにやのマリヤ、マルタ、ラザロの兄弟の家に泊まられています。
4ー私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
ヨハネは自分が伝道して主を信じるに至った者、霊的に育てた者たちが真理に歩んでいることを聞くことが、大きな喜びでした。
あなたにはそのような『私の子(どもたち)』と呼べる信仰の人がいますか?また、あなたのことを祈り、伝道してくれた信仰の先輩を喜ばせるような信仰の歩みをしていますか?
5ー愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たちのために行っているいろいろなことは、真実な行いです。
ガイオの旅人をもてなす行為は、真実な行いだとヨハネは褒めています。
6ー彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。
ガイオの奉仕に触れた人々は、証しをしていました。それは妬みやそねみからではなく、主にあってのもてなしを受けた者たちが素直に喜んで受けていたこと証しでもあります。
7ー彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。
*異邦人…ここでは『異邦人信者』という意味ではなく、メシアをまだ受け入れていない人々『不信者』の意味で使われています。つまり、メシアを信じていない『不信者』たちからは、巡回伝道のために何も援助を受けていなかったということです。
エペソ人への手紙2章でも『異邦人』という言葉が不信者を指して用いられています。
エペソ2:11ーですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
8ーですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。
巡回伝道者たちの必要を満たすのは、メシアを信じる神の家族『信者たち』の奉仕だとヨハネは言っています。彼らは、まだ福音を知らない人々に直接伝える働きをしていますが、その彼らをもてなすことにより、関節的に伝道のみわざを共にすることになるということです。
これは与えられた御霊の賜物を用いて、キリストの体のために働くことです。
できることをする 〜ヨハネ12:1~11〜 - サザエのお裾分け
9ー私は教会に対して少しばかり書き送ったのですが、彼らの中でかしらになりたがっているデオテレペスが、私たちの言うことを聞き入れません。
*デオテレペス…信仰生活において『避けるべき例』として用いられています。
デオテレペスの問題点は、『自分が支配権を握りたい』という権威欲です。
教会は、牧師のものでも、役員会のものでもなく、キリストのものであり、神のものです。
ローマ16:16ーあなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。
マルコ9:35ーイエスはおすわりになり、十二でしを呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに使える者となりなさい。」
10ーそれで、私が行ったら、彼のしている行為を取り上げるつもりです。彼は意地悪いことばで私たちをののしり、それでもあきたらずに、自分が兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人々の邪魔をし、教会から追い出しているのです。
デオテレペスは、巡回伝道者たちを受け入れている人々を、
①意地悪いことばでののしり、
②自分は巡回伝道者たちを受け入れず、
③受け入れたい人々の邪魔をし、
④受け入れようとしている人々を教会から追い出していました。
だから、デオテレペスは『避けるべき事例』として記されているのです。
ヨハネは彼の行為を『問題視』しています。
私たちはどうでしょう?このような兄弟姉妹が教会にいたとしたら、ちゃんと問題視し、教会として問題解決する力を有しているでしょうか?
教会内に問題はつきものです。なぜなら、そこに集う人々は、罪赦された『罪人』であり、『義人はひとりもいない』からです。本当の問題は、問題を解決する力を教会が持ち合わせていないことなのです。
11ー愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。
*悪を行う者は神を見たことのない者…つまり『自称:クリスチャン』だということです。キリスト・イエスを愛する者は、聖書のみことば(キリストのみことば)を守り、行うからです。
12ーデメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。私たちも証言します。私たちの証言が真実であることは、あなたも知っているところです。
*デメテリオ…信仰生活において『見習うべき例』として用いられています。
*証言…聖書では、ふたりか三人以上の証言(証人)が必要ですが、ここでは『みなの人』と『真理(みことば)』もデメテリオが信仰の歩みをしていることを証言しています。
本当の信仰は『愛の行い』が伴うものです。
ヤコブ2:24ー人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコブ2:26ーたましいをはなれたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。
13ーあなたに書き送りたいことがたくさんありましたが、筆と墨でしたくはありません。
*筆と墨…ヨハネは 文字で書き送るより、直接ガイオに会って、交わりを持つことを望んでいます。
私たちもSNSやFBだけでやりとりするのではなく、直接主にある兄弟姉妹たちと会って、交わりを持つことが大切ですね。
14ー間もなくあなたに会いたいと思います。そして顔を合わせて話し合いましょう。
これは、主イエスが望まれていることでもあり、それが『携挙』の時ということになります。そうです!イエス様は『教会の花婿』として、近い将来必ず戻って来られるのです。
あなたは、花婿なるキリストを迎える『花嫁』としての準備はできていますか?
15ー平安があなたにありますように。友人たちが、あなたによろしくと言っています。そちらの友人たちひとりひとりによろしく言ってください。
ヨハネは、対ガイオだけでなく、お互いの主にある友人たちにも挨拶を書き送っています。主にある兄弟姉妹は、キリストのからだとして『一つ』なのです。