サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 1:1 〜イントロ〜

新約聖書の書簡を読む時、比較的忘れがちなのが

①誰が

②誰に宛てて

③どのような状況の中で書いた手紙なのか?ということです。

 

これらのことを意識せずに読むと、『あなた(がた)』も『私たち』もすべて現代のクリスチャンであると『勝手に思い込み、すべて自分に当てはめて理解』してしまいます。

もちろん『適用』としては必要なことですが、この読み方だけでは本来神様が意図していることに至ることは難しくなってしまいます。

 

異邦人の使徒となったパウロが書いた書簡は、ローマ人への手紙〜ピレモンへの手紙まで、すべて『異邦人の教会』または『異邦人の個人の信者』宛てです。

ガラテヤ2:8ーペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。

*ペテロ…割礼を受けた者(ユダヤ人)の使徒。

 

そして、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、1&2ペテロの手紙、ユダの手紙の五つの書簡は、ユダヤ人信者(メシアニックジュー)に宛てた手紙です。

 

中でもヤコブの手紙は、ヤコブが殉教したAD62年よりも前、使徒の働き15章のエルサレム会議よりも前に書かれたとも言われ、新約聖書の中で一番先、AD45~50年の間(学者によっては、更に前のAD34~35年頃)に書かれました。

 

*ヘブル人への手紙ユダヤ人信者の会衆宛て。

*ヤコブの手紙…一つの会衆宛てではなく、その他の地域に住むユダヤ人信者宛て

 

 

ヤコブ1:1ー神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。

*ヤコブ…イエスの異父弟、ヤコブ。

マタイ13:55ーこの人は大工の息子ではありませんか。かれの母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

 

創世記に登場する『ヤコブ』と同じ “Jacob” (ヘブル語:Yaakov)。

 

十二使徒の中にも『ヤコブ』という名を持つ弟子が二人いたように、よくあるヘブル語の名前。

マタイ10:2~4ーさて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

 

主の兄弟ヤコブ は、『初代エルサレム教会の指導者』としてはよく知られていますが、『使徒』の一人であったことはあまり知られてないようです。

異邦人の使徒パウロが、ヤコブが使徒であったことをガラテヤ人への手紙の中で証ししています。

ガラテヤ1:19ーしかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかに使徒にはだれにも会いませんでした。

 

『使徒』には、二つのカテゴリーがあります。

①イエスの公生涯〜復活の目撃者十二使徒たちが、このカテゴリーです。

使徒1:21~22ーですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、

すなわち、ヨハネバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。 

 

②復活の主の目撃者…パウロ、ヤコブ、バルナバなど。

1コリント9:1ー私には自由がないのでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないのでしょうか。 

 

ヤコブは、イエスの復活の結果、信者となりました。

1コリント15:7ーその後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。

 

イエスの全生涯の間は、他の異父兄弟たちと同様にヤコブも不信者でした。

ヨハネ7:2~5ーさて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた。

そこで、イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。「あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。

自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うのなら、自分を世に現しなさい。」

兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。

 

 

*国外に散っている十二の部族へ…宛先。

ギリシャ語本文における『散っている』とは、『約束の地』以外に住むユダヤ人たちを指す専門用語であるため、著者ヤコブは一般的なユダヤ人に向けて書いているのではなく、イスラエル国外に暮らすユダヤ人に向けて書いています。

また『十二部族へ』とあることから、受取人であるユダヤ人信者たちはイスラエルの十二部族から来ている者たちであり、彼らが自分がどの部族に属しているかアイデンティティーを持っていたことがわかります。

この手紙が書かれた時はまだ、AD70年のエルサレム、神殿崩壊前だったということも、この手紙を理解する上で覚えておきたいことの一つです。

一般的に散っていた人々もいたでしょうし、ステパノの殉教をきっかけに、迫害によってイスラエル国外に散って行った人々もいたでしょう。

使徒8:1ーサウロはステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

使徒8:4ー他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら巡り歩いた

使徒11:19~20ーさて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。

 

*あいさつ…語源は『喜び歌う』『嬉しい』の意。

ギリシャ語では、『喜び歌い続ける』『嬉しがっていなさい』という命令形で、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの中では、ごく一般的に使われていた言葉。

 

この書簡が書かれた主な目的は、迫害にあっているユダヤ人信者たちの信仰を強めることでした。また、迫り来るAD70年の裁きを警告し、裁きに備えさせるためでした。

新約聖書の中で一番、命令口調な傾向が強い書で1〜5章までの108節中54もの命令形を含んでいます。

ヤコブ書が苦手な方が多い理由はこういうところに原因があるのかもしれませんね。 でも、その命令形は『一世紀のイスラエル国外に散らされたユダヤ人信者たちに対してだった』ということを、まず思い出してください。

この書簡のテーマは、『信仰のテスト』です。 信仰の成長のために、神は試練を通して私を練り、更なる祝福へと導かれるのです。