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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 1:9~12 〜試練と身分、試練と報酬〜

著者ヤコブはまず、9~11節で『試練と身分(境遇)』の関係について語っています。

ヤコブの手紙は、イエスの『山上の垂訓』との類似点が多くあり、その中の一つが次の9節です。

 

ヤコブ1:9ー貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。

*貧しい境遇にある兄弟…貧困の中にいるユダヤ人信者のこと。

*誇り…『誇る権利があるものを持っている』ということを大声で公言する、という意味。

肉体的に貧しい境遇の中にある信者にとっては、霊的身分を『誇り』とすることができます。それは神の恵みによって持っている『霊的な富』を誇りとする権利があるということです。

 

主イエスもこのように教えられました。

マタイ5:3ー心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

 

神は信者を試すために、一部の信者を貧しい境遇に置かれます。

私たちが神の愛を行動で示したい時、愛を必要とする者がいなければできません。

キリスト教は『御利益宗教』ではありません。

「神はすべての信者が裕福になることを望んでいる。」というのは、聖書の真理ではありません。

神は信者が『裕福になることを唱え、それを主張し、目指すこと』を望んではおられません。

残念ながら、それは『繁栄の神学』の影響を受けた、神よりも金に仕えるという間違った信仰の歩みに誘い込む教えです。

 

 

次の10~11節でヤコブは、裕福な信者たちについて述べています。

ヤコブ1:10ー富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。

*富んでいる人…『繁栄している』という境遇が、その人にとっての信仰のテストです。

『富んでいる人』もまた誇ります。しかしその『誇り』は、物質的繁栄ではなく、『自分が低くされること』を誇るのです。富んでいる人は、屈辱を誇らなくてはならないのです。

 

なぜでしょう?

その人がどれほど罪を認め、救いを求めたとしても、その救いをお金で買うことはできないからです。

富んでいる人であっても貧しい人と同じ原則で、神に近づかなくてはならないからです。それは『神の恵みによって、信仰によって救われる』からです。

 

エペソ2:8~9ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

・神はすべての人の救いのために御子を遣わされた…恵み
・福音を受け入れ、御子を信じる…信仰による決心
・神は、信仰による応答した者を選ぶ…救い

 

 

ヤコブ1:11ー太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。

ヤコブはここで、イザヤ書のみことばを引用します。

イザヤ40:6b~7ーすべての人は草。

その栄光は、みな野の花のようだ。

主のいぶきがその上に吹くと、

草は枯れ、花はしぼむ。

まことに民は草だ。

 

ここもイスラエルの背景を知ることが、理解の助けになるでしょう。

イスラエルの地では、3月下旬〜4月上旬にかけてさまざまな野の花が咲き、5月には熱風を伴う東風が吹くので、燃え尽き枯れてしまうのです。

このように富める人も、その財産も一時的なものに過ぎないということを教えています。

富める人は神よりも信じるに足るものとして、そのような財力に頼るうぬぼれを認めなくてはならないのです。

 

花の外見的美しさ、いのちがはかないように、富める人の肉体のいのちのはかなさに適用し、そのようなものは『一時的である』ことを教えています。

『永遠のいのち』は富める者も、貧しい者と同じ方法で神から与えられるものなのです。

 

 

ヤコブ1:12ー試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

ヤコブはここで『試練と報酬』の関係について述べています。

2~11節で外側から来る試練について述べ、その試練を耐え抜いた人に与えられる特別な祝福が約束されます。

 

報酬は二つあります。

一つは『この世』で、もう一つは『次の世(千年王国)』での報酬です。

 

*幸い…感情的な意味ではなく、内側に起こる主にある『幸福感』を指す。

この世での『報酬』は、内側の祝福です。このような幸福は、外側の状況に左右されません。

 

人は試練なくして祝福されることはありません。主イエスも山上の垂訓でそのことを教えています。忍耐強さにより、人生における内側の幸せを楽しむことができるのです。

マタイ5:1~12ーこの群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。

そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

 

*いのちの冠…将来の千年王国で受ける報酬がこれです。

12節によれば、外側から襲ってくる試練の中での霊的戦いに勝利した者に与えると、主が約束された冠です。

 

黙示録では、患難時代の殉教者たちにも、同じ冠が与えられることが約束されています。

黙示録2:10ーあなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちにある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、私はあなたにいのちの冠を与えよう。

 

幸いにも、『殉教』はこの冠を受けるための唯一の方法ではありません。

『いのちの冠』は、キリストの御座の裁きで与えられる五つの冠の中の一つです

信者に授けられる五つの冠 - サザエのお裾分け

 

これらの冠は、外側からの試練の苦しみに耐え、神に知恵を祈り求め、忍耐を持って試練を乗り越えた信者に、キリストの御座の裁きにおいて与えられます。

それは、神に『良しと認められた時』『信仰のテストが終わった時』です。

この冠の目的は、受取人がキリストの王国(千年王国)で行使する権限の程度を決めるためのものであり、千年王国のどこで、どのようにキリストとともに支配するのかを決めるためです。

これは福音書には記されてないイエスの約束であり、異父兄弟のヤコブに知らされた約束です。

 

主イエスを本当に愛する人々は、忍耐強く外側からの試練に耐え抜きます。

このような人々には、この世において『内側の幸せ』が保証され、千年王国という次の世で『いのちの冠』が保証されています。

このような報酬は、この世での霊的生活の活力となるのです。