ヤコブ3:1ー私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
*私の兄弟たち…この表現で再び新しいセクションが始まります。
*私たち教師は…ヤコブは『教師たち』に向けて、彼らが頼りにしている『ことばの用い方』について述べています。
*多くのものが教師になってはいけません…『教師』としての働きは、ことばを用いることによってなされます。教会の中での『導き手』としての地位は、異なる教理を普及するのにことばを用いるため、ヤコブは『教える賜物のない者、または訓練されていない者、もしくはその両方に当てはまる教師たち』に焦点を当てています。
礼拝という公共の場で集会を導くには、教える賜物を持った者に限られるべきであり、賜物に対する応答であるという確信が必要だとヤコブは言っているのです。
当時多くの者が教師になるという傾向があり、それを阻止する必要が背景にありました。何人かはヤコブが認めるような『教える賜物』があり、その『賜物に対する応答という確信』のもとに教師になっていましたが、『多くの者がなってはいけません』とあるように、教える賜物のない者までもが教師になっていることを示唆しています。
*格別きびしいさばきを受ける…多くの者が教師になってはいけない理由。この判決は、将来の『キリストの御座の裁き』で行われます。教師たちに対する『さばき』は、その地位が与える影響力のゆえに『格別きびしい』のです。
ヤコブ3:2ー私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
*私たちはみな、多くの点で失敗をする…そこには『教師たち』も含まれます。『教師』だけが、失敗しないということはありません。『私たち』と言うことにより、ヤコブは失敗する者の中に自分自身も含んでいます。
*失敗する(つまずく)…文字通り、だれかの足元に障害物を置いたり、足を引っ掛けたりして転ばしたり、倒したりすること。しばしば『道徳的な過ち』をも意味します。
『私たちはもみな』とあるように、教師たちを含む『私たち』は、職務怠慢、間違い、また罪を犯し、失敗します。
現在時制が使われているということは、この失敗は繰り返されることを意味します。
*完全な人…『罪のない、霊的成熟に達した人』の意。
ヤコブは『霊的成熟に達した人は、ことばでつまずくことのない人』だと言っています。
*からだ全体を制御できる人…言い換えると、舌を制御するということは、信仰の産物であり、信仰が舌を制御できるなら、すべてを制御できるということです。
からだ全体の自制ができるようになって初めて『舌』の制御もできるようになったとして『教師』として承認されるということです。
ヤコブ3:3ー馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
*くつわ…『くつわ』や『はみ』は、馬の口にかける小さな金属製の部品であり、正しい位置にかけることにより、馬をコントロールすることができます。正しい位置にかけられた『くつわ』により、馬のからだ全体の方向性をコントロールすることができるのです。
ヤコブ3:4ーまた、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
4節では『船とかじ』という二つ目の例をあげています。
*見なさい…注意して見なさい、の意。
*かじ…大きな船と比較すると極ちいさな『かじ』が、船の方向をかじをとる人の思い通りのところへコントロールします。
ヤコブは『小さなかじをコントロールする者は、大きな船全体を動かす』と言っています。
ヤコブ3:5ー同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
*舌も小さな器官…『くつわ』や『かじ』の応用。
*誇る…舌で自分の功績を宣言する、の意。
からだ全体と比較すると小さい舌が、人生を通して大きな結果をもたらします。くつわは馬を、かじは船をコントロールするように、舌もその人の人生を霊的成長と報酬、また逆に言えば神からの訓練と報酬減へと導くのです。
*ご覧なさい…『見なさい』と同じように、特別な注意を促す呼びかけ。
*あのように小さい火があのような大きい森を燃やします…ギリシャ語の文字通りの語順では、『どのくらいの多くの木が燃えるのか?どれほどの小さな火で』となっており、小さい火の粉が森全体を壊すことができるということ。
ヤコブ3:6ー舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。
*舌は火である…手に負えない火は破壊的であるように、制御されない舌も同じように破壊的だということ。
*世界…ギリシャ語:コスモス。整然としたシステムの世界を強調。
『舌』はサタンの支配下にある『コスモス』の不正と関連した巨大なシステムの一部だということ。私たち信者の器官の一つとして、悪を引き起こす可能性のない他のからだの部分とは違って『舌』はユニークな存在です。自然のままの状態では『汚す』ものであり、道徳的な汚れのシミの原因となります。舌を誤って使うと、結果として『からだ全体を汚す』ことになります。
*人生の車輪を焼き…罪を犯す手段として、舌に許可を与えることによる結果。
『車輪』と訳されているギリシャ語は、『コース』という意味にとることも可能であり、『循環ランニングコース』を強調します。この『車輪』は、出生時に動き始め、人生を通して動き続けます。
この場合、人生の価値ある人間関係は、制御されない舌によって燃やされてしまうということ。誹謗中傷はコミュニティーを刺激し、プロパガンダのような組織的な宣伝は社会全体を刺激します。憎悪のこもった国家主義的な言葉は、暴動、虐殺、大量虐殺へと繋がっていきます。これらすべてのことを『舌』がやれるのです。
*ゲヘナ…『地獄』を意味するギリシャ語。福音書以外で使われているのは、ここだけ。
『火の池』であり『第二の死』とも言われます。舌が破壊的な火となれば、その火は地獄の火で焼かれることになります。なぜなら制御されない舌が、常にサタン的『悪』のために用いられることを許してきたからです。制御されない舌は、サタンのツールであり、地獄の火を撒き散らす悪魔の手先であり、コスモス(この世)のシステムの一部として、その人の心の中の悪をからだ全体で証明するのです。
ヤコブ3:7ーどのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。
*制せられる…家畜化するという意味ではなく、『支配する』『征服する』『抑制する』という意味。人は、動物界コントロールすることができると、ヤコブは述べていますが、ここでのギリシャ語の意味は『自然界の性質』です。
創世記9:2ー野の獣、空の鳥、ー地の上を動くすべてのものーそれに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。
ヤコブが言及した『種類』は、四つー『歩き回る獣』『空を飛ぶ鳥』『地の上を這い回るすべてのもの』『海の中を泳ぎ回るすべてのもの』です。ギリシャ語では、動物界の被造物のすべての『性質』は、人間の『性質』によってコントロールされるという点が強調されています。
ヤコブ3:8ーしかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
動物界の四つのカテゴリーを制せられても、『舌を制することはでれにもできない』とヤコブは断言しています。
*できません…『舌を制御することは継続的にできない』ということに注意。
人類は、舌を抑える能力を備えてはいないのです。
しかし、このことはまた、神が舌を制御することに介入する機会を開くということ!
ありのままの人間にはできないことでも、神には不可能はないからです。
ルカ18:27ーイエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
*じっとしていない…ポイントは、舌は気まぐれであり、矛盾しているものだということ。ここでの舌の定義は、『手に負えず、制御できず、不正のツールであり、制止されることなく、常に悪意あることばを話す』ということ。
“じっとしていない” と言うことにより、ヤコブは『舌は落ち着きがなく、変わりやすく、人の支配を逃れ、常に悪意あることばを話す』と言っています。
*死の毒に満ちている…ギリシャ語では『死をもたらすもの』として文字通りの意味。
舌のインパクトは致命的です。比喩的には『蛇』として用いられています。
詩篇58:4ー彼らは蛇のような毒を持ち、
耳をふさぐ、耳の聞こえないコブラのよう。
詩篇140:3ー蛇のように、その舌を鋭くし、
そのくちびるの下には、まむしの毒があります。
ヤコブ3:9ー私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
*私たち…『人』の複数形。
*賛美…「神の祝福があるように」と言うのは、舌があがめる最高の言葉です。
*のろう…誰かが病気になるように望むことを意味し、私たちは神に似せて、神にかたどって造られた人をのろうのです。結果的に、神に対しても同じように『のろう』ことになるのです。これは、舌の最低の使い方です。
ヤコブ3:10ー賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。
*賛美とのろい…人の同じ口から二つの異なるものが出てきます。
*私の兄弟たち…こう記すことにより、ヤコブはこの矛盾が信者同士の中で実際にあったことを示しています。そのため『このようなことは、あってはなりません』と記しているのです。
ヤコブ3:11ー泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。
同じ口から異なった二つのものが出るという矛盾を、湧き水のたとえを説明しています。
*甘い水…クリアで飲み水に適した水。
*苦い水…塩気が強く飲料水としては不適切な水。
この質問には、『まさか!そんなことはあり得ない!』という否定的な答えを要求しています。湧き水や泉、このような矛盾はあり得ません。
ヤコブ3:12ー私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。
この節でも繰り返し、自然界は不自然なものを供給することはできないことをあげています。これらの質問はすべて、否定的な答えを要求しています。ヤコブのポイントは、自然界は首尾一貫しているということです。
神の恵みにより、イエスの十字架の贖いを信じ、救われた者となった私たちの口から『賛美とのろい』という異なることばがでませんように。
主より頼む信仰によって、舌をコントロールすることができる者となりますように。
ヤコブ3:13ーあなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
*知恵ある、賢い人はだれでしょうか?…ヤコブはこの質問を『自己調査』を促すためにしています。
*知恵のある…言動を決めるスキルを通しての道徳的な洞察を意味。
*賢い人…深い知識を特定の状況に適用する専門家の能力を指す、知的プロ個人に対して使われる言葉。
*良い…立派である、美しい、魅力的な、の意。
*柔和…謙遜、忍耐と愛に密接に関係しており、ここでは特に『謙遜』との関係を強調しています。『柔和』は、優しさ、従順さ、温和を暗示し、傲慢とでしゃばりの正反対の意味です。
知恵は、実際の問題に具体的なアドバイスをもたらします。ヤコブは『知恵』を抽象的な単なる知識の蓄積というギリシャ語的概念で用いているのではなく、ユダヤ的概念で用いているのです。
『知恵』の本当の意味でのテストは、言葉ではなく『良い生き方』で示すことだと。
ヤコブの手紙2:14~26で既に述べたとおり、知恵は信仰と同じように『行い』によって立証されます。
ヤコブ3:14ーしかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
ここでヤコブは『この世の知恵』について三つのことをあげています。
①苦いねたみ…他の人の成功をねたみ、憤慨し、無情な態度を取ること。
②心の中の敵対心…争い、競争、利己的な野心を含む派閥主義。非常識な自己的関心へとみちびくことを意味。道徳的、常識的行動を決める心の中の問題。
③誇ってはいけない、真理に逆らって偽ることになる。
*誇る…何かに対して威張ること、だれかに対してほくそ笑むこと、尊大であること、優勢を装うこと、の意。
*真理に逆らって偽る…『福音の真理』に言及。
『苦いねたみ』や『敵対心』などの性質を維持することは、真理に逆らって偽り、神の真理(福音)に同意せずに人生を送ることになります。したがって、『偽りの知恵』はもともと制御不可能な『舌』から始まり、非常識へと進化していくのです。
ヤコブ3:15ーそのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
ここでヤコブは『偽りの知恵』の源を取り扱っています。14節で記された間違った『知恵』は、ヤコブの手紙1:17で記したものとは対照的であり、上から来る『知恵』ではないと言っています。
ヤコブ1:17ーすべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から降るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
*この世のもの…天からではなく、神からのものでもなく、 世界的にこの地上に属する人からのもの。
*肉に属し…自然なことを意味する、人の堕落した罪の性質から出てくるもの。
1コリント2:14ー生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
ユダ19ーこの人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
*悪霊に属する…『サタン的な知恵』の意。
偽りの知恵は、この世、肉、悪魔、これら三つの霊的な戦いから来ます。
ヤコブ3:16ーねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
ここでヤコブは、『偽りの知恵の結果』を述べています。
*秩序の乱れ…ひどく乱れた無政府状態、騒動、またはカオス、の意。
ヤコブの手紙1:8では、秩序の乱れは、『二心の結果』として述べられていました。
ここでは、『制御不可能な舌の結果』として述べられています。
*あらゆる邪悪な行い…特に不道徳、非常識な行動、またすべての悪い行いに言及。
ヤコブ3:17ーしかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
*しかし…対比させる接続詞。『真の知恵の結果』は、舌を制御すること!
『真の知恵』の七つの特徴。
①純真…汚れがなくて、きよいこと。
知恵の内部的品質として、最も重要であり、土台となるもの。
他の六つの特徴は『外部的』なもの。
1ヨハネ3:3ーキリストに対するこの望みをいだくものはみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
②平和を好む…『純真』の代価ではなく、分裂を解決させるように促進すること。
③寛容…優しい、思いやりのある、礼儀正しい、合理的な、親切な、の意。
自分自身の権利を主張するのではなく、他者の感情に配慮し、公正性をもたらす。
④温順…人との関わり。聞く耳があり、譲歩する意思があり、簡単に説得されることを意味。
⑤あわれみ…同情、哀れみ、親切な行動、役に立つ行為、の意。
あわれみの結果として、『良い実』ー親切な行為、役に立つ行為と関連ーを結びます。
『実』は複数形で書かれており、結果としての行いが多岐に及ぶことを意味しています。
⑥えこひいきがない…好みや偏見がないこと。
『分け隔てがないこと』を意味し、一貫性を強調します。
⑦見せかけのないもの…偽善的ではなく、誠実であり、心からのものであること。
ヤコブ3:18ー義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
ヤコブはここで、真の知恵の結果を宣言しています。
*義の実…平和をつくる人の働きの実。
ガラテヤ5:22~23ーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる法律はありません。
ヤコブの手紙3:16では、偽りの知恵の結果を、
ヤコブの手紙3:17~18では、上からの知恵の結果を述べています。