サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 5:7~11 〜忍耐の必要性〜

ヤコブ5:7ーこういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。

*こういうわけですから…5:1~6で既にユダヤ人の不信者について述べたことの上に立てられています。

 

*主が来られるまで…信者は『耐え忍ば』なくてはなりません。『主が来られるまで』と期限付きですから、短気であってはいけないのです。キリストの再臨が、迫害と抑圧と不正を終わらせるからです。

 

ヤコブが『主が来られるまで』と言っているのは、危急の強い感覚があったからであり、キリストの再臨がヤコブの生涯のうちに来るかもしれないということを意味するのであり、『ヤコブの生きている間に、キリストの再臨が来なければならない』という意味ではありません。

 

*耐え忍ぶギリシャ語の意味は『短気とは反対に、長期の性質のもの』。

自己の態度を指し、挑発に対して早急な報復を控え、難しい人々を我慢すること。

 

この論議は、ヤコブ1:2~4の発展となっています。

ヤコブ1:2~4ー私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な物となります。

 

7節後半でヤコブは、忍耐の例を提示しています。

*見なさい…何度も出て来る『特別な注意を呼び掛ける』言葉。

 

*農夫…日雇い労働者ではなく『小作人』。

 

*大地の貴重な実りを〜耐え忍んで待っています小作人は種を植え、種を蒔くが、成長し収穫するのを確実にするために、雨のような『外部的な力』に依存しているのです。彼らは、悪天候や疫病のような不確実性にもかかわらず、期待する態度を忍耐強くとっています。

 

ギリシャ語の語順は『忍耐』を強調しています。

小作人たちが『秋の雨や春の雨が降るまで、期待し、耐え忍んで待つ』ように期待し、耐え忍んで待つのと同様に、霊的収穫もまた『神の介入』に依存しています。

 

*秋の雨や春の雨イスラエルでの主な雨量である『秋の雨』は、10~11月頃に降り、『春の雨』は3~4月頃に降ります。『秋』から始まるこの表現は、この手紙がイスラエルに起源があることを再度明らかにしています。イスラエルの新年は、秋のラッパの祭り『ロシュ・ハシャナー(年頭)』から始まります。

ラッパの祭り 〜ロシュ・ハシャナー〜 - サザエのお裾分け

 

雨のタイミングは、畑に直接影響を及ぼします。農夫ができることは一歩下がって、雨がもたらす恵を信頼して待つことです。

 

 

ヤコブ5:8ーあなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

ヤコブは二つのことを述べています。

①農夫たちが耐え忍んでいるように『あなたがたも耐え忍びなさい』

『心を強くしなさい』…何かを強化する、の意。堅く不動の物の上に立つこと。

 

信者は、周りからの迫害によって振り回されるよりは、むしろ内面的な安定性を発達させるべきです。

 

*主の来られる…内面の安定性は、キリストの再臨の希望の祝福です。

 

*近いからです…この出来事は『近いが、まだ起こっていない』ことを示しています。

危急性を意味し、期待の態度をもたらします。ここで言う『キリストの再臨』とは、『地上再臨』のことではなく、いつでも起こり得る『携挙』のこと。

 

『キリストの地上再臨』は、『携挙』とは対照的に、先行して起こる幾つかの出来事があります。『携挙』と『地上再臨』の違いはこちらからどうぞ。

携挙〜患難時代〜再臨〜復活 - サザエのお裾分け

 

 

ヤコブ5:9ー兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。

*互いにつぶやき合ってはいけません…『舌の管理における忍耐』についての助言。 

ギリシャ語の意味は、『ため息をつくこと』『不平を言うこと』。

 

仲間の信者に対してつぶやいたり、不平を言ったり 、文句を言うべきではないという命令は、外に現れる受け入れがたい行動は、批判と誤ちを見つけ出すことによる結果としての不満から来ているのです。

 

*さばかれないため…互いにつぶやき合ってはならない『理由』。

自分を基準に『人をさばく』という行為は、イエスの戒めに違反する『罪』です。

マタイ7:1ーさばいてはいけません。さばかれないためです。

 

ルカ6:37ーさばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

さばいてはいけません…!? 〜マタイ7:1~5 - サザエのお裾分け

 

キリストの再臨(携挙)は、いつでも起こりうる出来事ですから、『戸口のすぐ前に立っておられる御子によってさばかれないため』です。御子イエスが、『キリストの御座の裁き』の座に立つ裁判官だからです。

Ⅱコリント5:10ーなぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 

終末における『神の裁き』は三つあり、信者が受けるさばきが『キリストの御座のさばき』です。

終末における三つの裁きの座 - サザエのお裾分け

 

 

ヤコブ5:10ー苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。

 

*兄弟たち…この書簡の受取人・読者たちを『兄弟たち』と呼び掛けることにより、彼らが今『旧約聖書』を思い出さなけばならない『ユダヤ人信者』であることを再び強調しています。

 

10~11節でヤコブは、耐え忍んだ二つの例をあげています。

①苦難と忍耐の例として、預言者たち。 

主の御名によって語った預言者たちは、困難の苦しみに根気よく『耐え忍んだ』人々です。

 

マタイ5:10ー義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

 

ヤコブ5:11ー見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

 

*見なさい…耐え忍んだ人々のこの例に読者たちの注意を集めています。

 

②あなたがたは『ヨブの忍耐』のことを聞いています。

新約聖書の中で、ヨブを例にあげた唯一の例がここです。パウロもヨブ記5:13を引用していますが、ヨブの名前は出していません。

 

ヨブ記5:13ー神は知恵のある者を

彼ら自身の悪知恵を使って捕えられる。

彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。

 

1コリント3:19ーなぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕えられる。」

 

*耐え忍んだ…ここでのギリシャ語は、10節とは違う言葉が使われています。

10節は『忍耐強さ』『忍耐強い持久力』を強調し、11節は『不平・不満を言わない』という意味です。

 

ヨブが不満を言った際のポイントは、神に忠実なままであり、背教したと言える程 不満を述べてはいないということです。

 

*主が彼になさったことの結末を見たのです…読者たちがヨブの結末を知っている、の意。それは『ヨブの忍耐が、ヨブの潔白を証明した』ということです。

ヨブは苦しみを通して忍耐力をつけ、忍耐が彼を成長させました。

 

*主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方…それはまた、サタンの誹謗中傷を逸らし、ヨブの信仰の潔白を証明したのは『神のゴール』でもありました。

ルカ6:36ーあなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深くしなさい。

 

*あわれみ…『非常に同情的である』ことを意味します。