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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 5:12 〜誓わないように〜

ヤコブ5:12ー私の兄弟たちよ。何よりもまず誓わないようにしなさい。天をさしても、地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それはあなたがたがさばきに会わないためです。

 

*私の兄弟たちよ…このように呼び掛けることにより、ヤコブは一般の主にある兄弟関係に基づいて注意喚起しています。

 

*何よりもまず誓わないようにしなさい…ヤコブの『警告』の内容。

誠実さ、約束、また神に対する『誓い』の意。

法廷での誓いを規制するものではなく、断定的な誓いを規制するもの。

ここでのポイントは、ユダヤ人信者たちが『神の御名の使い方に敬意を示さなければならない』『神の御名を無にすることを避ける』ということ。

 

*天をさしても…そこは『神の王座』です。

 

*地をさしても…そこは『神の足台』です。

 

使徒7:49ー主は言われる。

天はわたしの足台である。

あなたがたは、どのような家を

わたしのために建てようとするのか。

わたひの休むところとは、どこか。

 

*そのほかの何をさしてもギリシャ語のここでの意味は、『同じ種類のもう一つの』という意味。地上で神聖に保たれるものに対して誓ってはならないのです。

 

『天にあるもの、地にあるものをさして誓う』というのは、ユダヤ人の近いの方法です。しかし、メシアを信じるユダヤ人信者は、そのような誓い方はしません。

信者はただ、『はい』と『いいえ』という簡単な言葉で答えれば良いのです。

信者の言葉が、主イエスにあって『完全な真実』であれば、『誓い』をする必要がないからです。

 

この節が現在形で書かれているのは、これが信者の日常の行動であり、特徴であるべきだからです。誓いによって声明を支持しなくてはならないのは、信憑性の不足を意味します。

 

*さばきに会わないため…『誓ってはいけない』理由。信者は人からだけでなく、神にさばかれないために『誓い』を避けるべきです。

 

この罪は、特にパリサイ主義において事実でした。

マタイ5:33~37ーさらにまた、昔の人々に『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。

あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。

だから、あなたがたは『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

 

マタイ23:16~22ーわざわいだ。目の見えぬ手引きども。おまえたちは言う。『だれでも、神殿を指して誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』

愚かで、目の見えぬ者たち。黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。

また、言う。『だれでも、祭壇をちかったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』

目の見えぬ者たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。

だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をも指して誓っているのです。

また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。

天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。

 

ユダヤ教の『ミシュナー』は、“ 神の御名、または何か代わりの物をさして誓った誓いには拘束力がある。だが、神への直接的言及のない天や地をさした誓いには拘束力はない。” と教えます。

『天をさして誓うこと』は、神への誓いのように見えますが、実際には違うと主イエスは教えておられます。

この紛らわしい区別は、誓いを果たす義務から逃れるために作られたものであり、実際には『偽善的な誓い』の陰に真実を隠しているのです。

 

信者は『何かに対する誓い』によってではなく、『真実なことばと行動』によって特徴づけられなければならないのです。