ピリピ4:1ーそういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。
*私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ…これがパウロがピリピの信者たちに対する愛と思いでした。 ピリピの教会(信者の集まり)の人々は、異邦人でした。ユダヤ人であるパウロが異邦人信者であるピリピの人々に対し、このような呼びかけができたのは、十字架によって『一つ』とされたキリストの愛を十分に理解し、感謝し、異邦人信者をも『神の家族』として受け入れていたからです。
ピリピ4:2ーユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。
*ユウオデヤ、スントケ…共に女性の名前。
おそらくこの二人には『不一致』があったのでしょう。パウロは『主にあって一致』することを勧めています。これは、みことばの理解によって可能になります。みことばによって矯正されるからです。
Ⅱテモテ3:16ー聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
ヘブル4:12ー神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
ピリピ4:3ーほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。
*真の協力者よ…別訳:人名『スズゴス』。
*あなたにも頼みます…とあるので、『スズゴス』という人にもパウロは、彼女たち(ユウオデヤとスントケ)が『主にあって一致』するようにと頼んでいるのでしょう。
*クレメンス…教会教父のひとり、ローマのクレメンス!?
*いのちの書…神の『いのちの書』と『小羊のいのちの書』の二種類あります。
①人は肉体を持って母から生まれますー肉体的誕生。この時、神の『いのちの書』に名前が記されます。神を信じない人々の肉体が死ぬと、この神の『いのちの書』から名前が消されます。
《不信者の場合》
詩篇68:28ー彼らがいのちの書から消し去られ、
正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。
②生きている間に福音を聞き、イエスの十字架と復活を信じた者は、神の子とされますー霊的誕生。この時、『小羊のいのちの書』に名前が記されます。
つまり、信者になった者は、肉体的と霊的の2回生まれたことになります。
《不信者の場合》
黙示録13:8ー地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書き記されていない者は彼を拝むようになる。
*彼…反キリスト。
*彼…反キリスト。
《信者の場合》
黙示録21:27ーしかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りを行う者は、決して宮古に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。
③やがて、死を迎え、肉体と霊(たましい)が分離しますー肉体の死。この時、イエスを信じていない者の名前は、神の『いのちの書』から消されます。
神を信じて亡くなった人の名前は、肉体が滅んでも神の「いのちの書」から名前が消されることはありません。永遠のいのちを既に持っているからです。信者の霊(たましい)は、携挙の時に栄光の復活のからだによみがえります。
2回生まれた信者は、1回だけ、肉体の死のみ経験するのです。
そして、最終的に「神のいのちの書」と「小羊のいのちの書」に記載されている名前は、信者の名前のみとなり完全に一致します。
④不信者のまま亡くなった人は、完全に救いの機会を失ってしまったので、霊(たましい)の状態になってから どれほど悔やんでも、悔い改めても、神は応えてはくれません。ー肉体が死んだ時、神の「いのちの書」から名前が消されています。
彼らは霊的に生まれていないので、千年王国が終わるまで、霊的に「苦しみの場所」と呼ばれる所に送られます。そして、信者と同じ復活のからだによみがえらせていただけますが、それは永遠に「火と硫黄の池」で苦しむための復活です。ー聖書はこのことを「第二の死」と表現しています。
つまり、肉体的にしか生まれていない者は、肉体的と霊的の2回死ぬことになるのです。
《信者の場合》
黙示録20:6ーこの第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
《不信者の場合》
黙示録20:12~15ーまた私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた。
*数々の書物…神様の『記憶の書』。
マラキ3:16ーそのとき、
主を恐れる者たちが、互いに語り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。
主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、
主の前で、記憶の書がしるされた。
*主(太文字)…御父。主(細文字)…最終的には、イエス・キリスト、の意。
*いのちの書…いのちの書が開かれる理由は、そこに不信者の名が記されてないことを確認するため。
ピリピ4:4ーいつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
*主にあって…ピリピ人への手紙のテーマは、主にある『喜び』です。
それは、置かれた状況によって左右される肉の感情的な喜びではなく、キリストにある希望であり、キリストと共に生きることによる霊的な喜びです。
ピリピ4:5ーあなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
*寛容…九つある『御霊の実』のひとつ。
ガラテヤ5:22~23ーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
*愛、喜び、平安…神から来るもの。
*寛容、親切、善意…他者に対して取るべき態度。
*誠実、柔和、自制…自分自身が取るべき態度。
*主は近いのです…初代教会の使徒たちは、キリストの再臨はすぐにも起こることと考えていました。彼らは霊的に覚醒して、日々の信仰の歩みをしていました。
ピリピ4:6ー何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
*何も思い煩わないで…その根拠も、『すべてを益に変えてくださる』という神の約束のみことばによるのです。
ローマ8:28ー神を愛する人々、すなわち、 神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
*祈りと願いによって…神はすべてご存知ですが、クリスチャンは祈りによって神との親しい交わりを持つことができます。神はその交わりを望んでおられるのです。
ピリピ4:7ーそうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
*そうすれば…祈りによる神との交わりによって。
*キリスト・イエスにあって…イエスはこう言われました。
マタイ28:20bー見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
ヨハネ14:18ーわたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
ヘブル13:5bー主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
だから私たちは、キリスト・イエスだけを見つめて歩むのです。
ヘブル13:9aーさまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。