サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヘブル人への手紙 1:4~14 〜御子の神性〜

「キリストは100%神であり、100%人として来てくださいました。」と私たちは普段よく口にしますが、聖書のみことばからそれを説明できるクリスチャンはどれほどいるでしょうか?

 

著者は、ユダヤ教の三本柱である『モーセ・御使い・祭儀制度』と御子を比較して、ユダヤ教に戻ろうとしていたヘブル書の受取人たちに、御子の方が優れていることを説明して、キリストに留まるようにと説得する目的でこの書簡を記しました。

 

ヘブル1:4~2:18御使いと御子との比較

ヘブル3:1~6モーセと御子との比較

ヘブル3:7~4:13ー裁きへの警告

ヘブル4:14~10:18レビ的祭司と御子との比較

 

著者は、『みことばから』御子の神性を説明しています。

私たちも誰かに伝道する時、聖書を開き、みことばを用いて説明できるように、この箇所から学びたいものです。

 

ヘブル1:4ー御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。

 

*さらにすぐれた御名を相続された…御子の神性においては、常に御使いたちより優れていました。

『人』として地上に来られた時は、『御使いたちよりも劣るもの』となられましたが、昇天後御子は高められ、再び御使いよりもすぐれた存在として、神の右に座されました。

 

神により近いところで仕える者がより高い地位となります。

ですから、神→御使い(ケルビム→セラフィム→天使長→一般の天使)→人間となり、

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御子が人となって地上に住まわれた時、御使いよりも低い者となられたのです。ヘブル2:7

ラビ的神学では、御使いを高く評価していましたが、御子として天で御父の右の座に着かれたので、『御使いよりもまさるもの』となられたのです。

 

『すぐれた御名』…その御名は、御子の完璧な従順のゆえに御父から授けられたものです。一般的に御子の名は『イエス(イエシュア)』として知られていますが、御子が昇天した時に、御父は『さらにすぐれた御名』をお与えになられました。その名は現在、御子だけが知っており、私たちにはまだ知り得ない名です。

 

ピリピ2:9ーそれゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

 

黙示録19:12ーその目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

 

『まさるものとなられました』…KJV(ジェームス王欽定訳)では、この箇所を『つくられた』と訳しているため、エホバの証人など一部のカルト的集団の中には『イエスは被造物である』と主張しています。

しかし原文のギリシャ語では『なられた』ということばが使われています。

御子が『被造物』なのか?『創造者』なのか?…これは本物か偽物かの判断基準の一つです。

 

【御子が御使いよりもすぐれていることを立証する旧約聖書からの引用七ヶ所】

ヘブル1:5aー神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。

「あなたは、わたしの子。

きょう、わたしがあなたを生んだ。」

 

詩篇2:7ーわたしはの定めについて語ろう。

主はわたしに言われた。

あなたは、わたしの子。

きょう、わたしがあなたを生んだ。

 

*わたし新改訳聖書では、神/神の御子を指すときは『わたし』とひらがなで表記し、人間を指すときは『私』と漢字で表記しています。

ここは『わたし』とひらがななので、御子が相続人であることを教えています。

 

*生んだ…カルト的集団が主張するように『誕生』を意味することばではなく、『長子の権利』を強調する法律用語です。このことばが御使いに用いられた例はありません。

 

御子は神と『父と子』という関係を常に持たれていました。(この関係が断絶されたのは、十字架の上での12~3時までの暗闇の時間帯であり、その時だけ御子は御父に対し『父よ』と呼べずに『わが神、わが神』と呼ばれました。)

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当時のローマ文化では、ローマ人の子どもが生まれると、その家族の中での立場は『奴隷』と変わらない状態でした。しかし、成人したとき、初めて父親に『子であること』を宣言されました。これが、詩篇2:7と類似する概念です。

 

ガラテヤ4:1~2ーところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、

父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。

 

エスは御父との関係において、永遠の昔から『子なる神』という立場でした。

ヨハネ1:1~2ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。

 

ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 

『生まれた御子』という呼び名は、メシアだけに用いられています。御子は『神の子』という特別な呼び名を、度々受けておられます。

 

ルカ1:35ー御使いは答えて行った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

 

マルコ1:11ーそして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

 

ルカ9:35ーすると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだものである。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。

 

エスが神の御子として宣言されたのは、具体的には『復活の時』です。

使徒13:33ー神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです。

 

ローマ1:3~4ー御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、

聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

*大能によって…別訳:大能の御子として公に示された。

パウロは、御子が復活により公に『神の子』であることを宣言されたと教えています。 

 

旧約聖書において、御使いたちも『神の子ら』と呼ばれましたが、それは『御使いたち』という集団としてであり、個別に『子』と呼ばれることはありませんせんでした。

 

創世記6:1~2ーさて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

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ヨブ記1:6ーある日、神の子らがの前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。 

 

ヨブ記2:1ーある日のこと、神の子らがの前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、の前に立った。

 

ヨブ記38:7ーそのとき、明けの星々が共に喜び歌い、

神の子たちはみな喜び叫んだ。

 

詩篇29:1ー力ある者の子らよ。に帰せよ。

栄光と力とをに帰せよ。

 

 

ヘブル1:5bーまたさらに、

「わたしは彼の父となり、

彼はわたしの子となる。」

 

 Ⅱ サムエル7:14わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。

 

*わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはないダビデ契約を成就させたことを強調。

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御子は『神の子』と宣言され、その御名は永続します。このことから、イエスが『メシアである』ことが、『ダビデ契約』の成就として確立されるのです。 

 

ダビデ契約の内容:

ダビデの子孫から、神であり、人である人物が現われる

エルサレムダビデの王座から、回復したイスラエルを治める(千年王国にて成就)

 

イザヤ書9:6~7ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。

主権はその肩にあり、

その名は、「不思議な助言者、力ある神、

永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

その主権は増し加わり、その平和は限りなく、

さばきと正義によってこれを堅く立て、

これをささえる。今より、とこしえまで。

万軍のの熱心がこれを成し遂げる。

 

エレミヤ書23:5~6ー見よ。その日が来る。

の御告げ。ー

その日、わたしは、

ダビデに一つの正しい若枝を起こす。

彼は王となって治め、栄えて、

この国に公義と正義を行なう。

その日、ユダは救われ、

イスラエルは安らかに住む。

その王の名は、

は私たちの正義。』と呼ばれよう。

 

御使いには、メシア的王国/千年王国において、『イスラエルを治める』という特権は与えられてはいません。

 

 

ヘブル1:6ーさらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。

「神の御使いはみな、彼を拝め。」

*長子をこの世界にお送りになるとき『地上再臨』のとき。

『長子』…メシアに使われるタイトル。

 

詩篇89:27ーわたしもまた、彼をわたしの長子とし、

地の王たちのうちの最も高い者としよう。

 

ローマ8:29ーなぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定めておられたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

 

コロサイ1:15ー御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

 

コロサイ1:18ーまた、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

 

申命記32:43詩篇97:7 

この二ヶ所は、七十人訳では『天使たちが神を礼拝するように』と呼びかけられる内容で、同じ意味に訳されています。

 

申命記32:43ー諸国の民よ。

御民のために喜び歌え。

主が、ご自分のしもべの血のかたきを討ち、

ご自分の仇に復讐をなし、ご自分の民の地の贖いをされるから。

 

*諸国の民よ七十人訳天使たちに対する呼びかけ。

 

詩篇97:7ー偶像に仕える者、

むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。

すべての神々よ。主にひれ伏せ。

*すべての神々よ。主にひれ伏せ。七十人訳天使たちよ。神を拝め。

 

なぜこれらの箇所が七十人訳では『天使たち』になっているのか…その理由までは、今の私には理解できていません。どなたか説明できる方がいらしたら、教えてください。

 

御子はいつの日か裁きのために戻って来られます。その時、すべての天の御使いたちはイエスを拝むのです。崇められる方は、崇める者たちに勝ります。

 

 

ヘブル1:7ーまた御使いについては、

「神は、御使いたちを風とし、

仕える者たちを炎とされる。」

と言われましたが、

*仕える者たち…このギリシャ語は、通常の単語ではなく、『宗教的献身』を意味する単語。 御使いたちは、御子に『宗教的献身』をするために創造されました。彼らは御子イエスに仕える者たちです。

 

御使いたちは、悪魔の誘惑に勝利された御子に仕えました。

マタイ4:11ーすると悪魔はイエスを離れていき、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

 

 

詩篇104:4風をご自分の使いとし、

焼き尽くす火をご自分の召使とされます。

 

*使い…Angels/御使い。

 御使いたちの働きは、本質的に移り変わることが明らかであり、それは御子の変わらないご性質とは対照的です。御使いたちは『仕える霊』にすぎず、その主人に服従します。ここでの主人は御子であり、この点においても御子は御使いにまさります。

 

 

ヘブル1:8~9は、御子の神性とメシア的王国/千年王国における権威が強調されます。 

ヘブル1:8ー御子については、こう言われます。

「神よ。あなたの御座は世々限りなく、

あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。 

ヘブル1:9ーあなたは義を愛し、不正を憎まれます。

それゆえ、神よ。あなたの神は、

あふれるばかりの喜びの油を、

あなたとともに立つ者にまして、

あなたに注ぎなさいました。」

 

*あなたとともに立つ者…御使いのこと。

 

*喜びの油を〜注ぎなさいました…御子は、バプテスマを受けた時に聖霊の油を注がれました。

使徒10:37~38ーあなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。

それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また、悪魔に制せられているすべての者をいやされました。

 

(実際の『油そそぎ』は、マルコ14:3~9ーベタニヤのマリヤから)

 

詩篇45:6~7ー神よ。あなたの王座は世々限りなく、

あなたの王国の杖は公正の杖。

あなたは義を愛し、悪を憎んだ。

それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油を

あなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。

 

*喜びの油を〜そそがれた…御子は聖霊の油そそぎを受けましたが、御使いたちは受けていません。

マタイ3:16ーこうして、イエスバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。

 

ヘブル1:10~12は、御子は『永遠』である一方、被造世界は『一時的』だと述べています。

ヘブル1:10ーまたこう言われます。

「主よ。あなたは、初めに

地の基を据えられました。

天も、あなたの御手のわざです。 

ヘブル1:11ーこれらのものは滅びます。

しかし、あなたはいつまでもながらえられます。

すべてのものは着物のように古びます。 

ヘブル1:12ーあなたはこれらを、外套のように巻かれます。

これらを、着物のように取り替えられます。

しかし、あなたは変わることがなく、

あなたの年は尽きることがありません。」

 

詩篇102:25~27ーあなたははるか以前に地の基を据えられました。

天も、あなたの御手のわざです。

これらのものは滅びるでしょう。

しかし、あなたはながらえられます。

すべてのものは衣のようすり切れます。

あなたが着物のように取り替えられると、

それらは変わってしまいます。

 

しかし、あなたは変わることがなく、

あなたの年は尽きることがありません。

 

黙示録6:14ー天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

 

Ⅱ ペテロ3:10ーしかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

 

 

ヘブル1:13ー神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。

「わたしがあなたの敵を

あなたの足台とするまでは、

わたしの右の座に着いていなさい。」

 

詩篇110:1は、私の主に仰せられる。

「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、

わたしの右の座に着いていよ。」

 

メシアである御子が、栄光のうちに御父の座に座すことを預言する内容です。

御子が『着座した』とは、その御業が完了したことを意味します。

 

古代世界では、『王の右の座に着く』ということは、王と同等であることを意味しました。ひとりの王が他の王を訪問する時に、受け入れ側の王の右の座に着くのが一般的でした。

エスが『神の右の座に着いた』とは、御子が御父と同等であることを意味します。

 

 

ヘブル1:14ー御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。

 

著者はここまでの結論として、御使いたちの地位について述べています。

 

*救いの相続人となる人々に仕えるために遣わされた…この箇所は、信者にはそれぞれ『守護天使』が与えられていることを示しています。

それは幼少の時から始まります。

マタイ18:10ーあなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

 

守護天使の働きは、生涯続きます。

詩篇91:11ーまことに主は、

あなたのために、御使いたちに命じて、

すべての道で、あなたを守るようにされる。

 

 

神の御子イエスは、その御業を終えられて神の右に着座されましたが、御使いたちはまだ忙しく働いています。

御使いのわざはまだ終わっていないからです。なぜなら、彼らは『仕える霊』ー宗教的献身ーですから。

聖なる御使いたちは、無償で自発的に『救いの相続人たちに仕え』ているのです。

 

守護天使たちの存在は、信者たちに悪いことが一切起こらないことを保証するものではありません。彼らは『神の御心以外に、信者に何も起こらないように信者を守る』という働きをしているのです。

 

御使いの働きの一つは、私たち信者を観察することです。

彼らは、『私たちが言うこと』を観察しています。

伝道者の書5:6ーあなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。

使者の前で「あれは過失だ。」と言ってはならない。神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。

*使者…御使い。

 

彼らは、『私たちの苦しみ』を観察しています。

Ⅰ コリント4:9ー私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。

 

彼らは、私たちが『着る物』も観察しています。

Ⅰ コリント11:10ーですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。

それも御使いたちのためにです。

 

信者が死ぬときは、御使いに伴われて天に行きます。

ルカ16:22ーさて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

アブラハムのふところ…慰めの場所/パラダイス。地下〜第三の天〜新しい天の都エルサレムと引越しをしています。現在は、『第三の天』にあります。

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著者は、ヘブル書の受取人たちに、御使いを重要視するユダヤ教に逆戻りする信仰より、神の御子/メシアであるイエスを信じる信仰に留まることの方が優れていることを証明し彼らを説得しているのです。

 

 

これらのことを書き記したヘブル書の著者も、それを読んで理解できた当時のヘブル書の受取人たちもともに『旧約聖書を託されたユダヤ人』なのです。

私たち異邦人はここまでの理解力はありませんから…😓

このような背景を無視して、あたかも異邦人信者である私たちに直接的に当てはめようとしても無理があります。私たちは『教訓』として学ぶべきでしょう。

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