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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヘブル人への手紙 4:14~16 〜大祭司より優れた地位〜

ヘブル書3:7~4:13までは、『不従順に対する警告』でした。

4:14から著者は、ユダヤ教の三本柱〜モーセ・律法・レビ的祭儀制度〜の一つ『レビ的祭司制度』について、以下の五つの点で御子イエスと比較し、イエスの祭司職の方がレビ的祭司職より優れていることを立証しています。

 

①イエスは、より優れた地位にある。

②イエスは、より優れた祭司である。

③新しい祭司制度は、より優れた契約に基づいている。

④新しい祭司制度は、より優れた聖所において機能する。

⑤新しい祭司制度は、より優れたいけにえによって成り立っている。 

 

 

ヘブル4:14ーさて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

 

*おられるギリシャ語:継続的な利点であることを強調。

 

モーセの律法』に基づくアロンのような大祭司は、年に一度『贖罪の日』に至聖所に入り、勤めを終えるとそこから出て来ました。再び、至聖所に入るのは翌年の『贖罪の日』でした。しかし、イエスは違います。

イエスは『天の聖所』におられる大祭司として、信者たちはいつでもアクセス可能なのです。

 

*もろもろの天…聖書には、三段階の『天』が記されている。

第一の天:鳥が飛ぶ高さ。

第二の天:天体の高さ。

第三の天:神の御座のあるところ。

osusowake.hatenablog.com

イエスは、第一の天、第二の天を通り、第三の天に入ってそこにとどまっておられます。地上の大祭司は、年に一度『至聖所』に入る時に、①入口の幕、②聖所と至聖所の間の幕と通ったのと対比されています。

 

人の手幅ほどの厚みのある『聖所と至聖所の間の幕』が、イエスの十字架の死と共に上から裂けました。それにより、信者はいつでもまことの聖所に入られた大祭司なるキリスト・イエスにアクセスすることができるようになったのです。

 

*通られたギリシャ語:完了形であり、第一と第二の天を通られたイエスが、今も『第三の天』におられることを強調しています。

 

律法によれば、地上の大祭司の家系は『レビ族のアロンの家系』と決められていました。レビ族以外の出の者が、祭司になることはありませんでした。

また、イスラエルの王はユダ族から出ることが預言されています。

たとえ王であっても、祭司の務めをすることは禁じられていましたから、ユダ族のダビデの子孫として誕生したイエスも、地上で『大祭司』になることはありませんせんでした。

osusowake.hatenablog.com

 

イエスの『大祭司としての務めは、地上ではなく更に優れた『天の聖所』においてです。

そのため、イエスはご自分に属する者たちを直接、神のみもとに連れて行くことができるのです。

 

*神の子イエス…『イエス』という名前は、神の御子が『人』として来られたときの『人間の名前』であり、人間性に強調点があります。

無限の神の御子が、有限の『人』として来てくださったので、人間イエスは私たち人間に同情できるお方です。

 

しかし『神の子』という言葉は、イエスの『神性』を強調しています。

著者は『神の子イエス』と記すことにより、イエスが地上の大祭司たちが持ち得なかった力を持っていることを示しています。

 

*私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか…教訓からの適用。

 

*信仰の告白…その内容は、『イエスがメシアである』ということ。

ヘブル書の受取人/読者たちは、一度はパリサイ人たちの指導により、イエスのメシアとしてのしるしを『悪霊のかしらベルゼブルの力によるもの』と信じ、十字架にかけることに賛成した世代でした。

osusowake.hatenablog.com

 

ですから、彼らにとっての『悔い改め/信仰告白』は、ベルゼブルだと思っていたイエスは、実は待望のメシアだった』と考えを変えることでした。

それが彼らの信仰告白であり、ユダヤ教からの決別を意味する『キリストの名によるバプテスマ』を受けた人たちでした。

 

使徒2:38ーそこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、*賜物として聖霊を受けるでしょう。(*正訳聖霊の賜物を受けるでしょう。

 

聖霊は『賜物』ではなく、『賜物をくださる第三位格の神』です。

1コリント12:4ーさて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

 

 

ヘブル3:1ーそういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。

私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。

 

著者は、その『信仰の告白』を堅く保とうと呼びかけています。

*堅く保つギリシャ語:すでに結び付いている何かにしがみつく、の意

 

 

ヘブル4:15ー私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

 

*私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありませんユダヤ人信者たちが、信仰告白を堅く保つべき理由。

 

 *私たち…ヘブル書の著者と受取人、の意。

彼らの大祭司は、通常の大祭司とは異なります。

イエスは個人的にも公にも、ユダヤ人たちが苦しむ試練に同じように苦しまれました。

 

*同情ギリシャ語:共に苦しむ、の意。

イエスご自身、試練に苦しまれたので、同じ試練にあう者たちに『二つの理由で同情できる』のです。

 

⑴ イエスは、私たちの弱さを体験的にご存知です。

イエスは、人として空腹、疲れ、飢え渇きなどすべての制限に苦しまれました。

社会的、霊的、経済的問題が起きると、イエスはそれがどのようなものなのかを理解されています。

イエスは『大工の子』として育ちましたから、大工としての指導も受けたので、指を切って血を流せば、それがどのくらいの痛みを伴うのかをご存知なのです。

 

⑵ イエスは『すべての点で〜試みに会われました』。

イエスは『人』であった時に試練を受けたので、同じ試練に会う兄弟たちを同情することができます。ただし、イエスは『罪を犯すことはありませんでした』。

イエスは、『罪』とは無縁の方です。

 

*すべての点で…すべての分野で、の意。その『分野』とは、『肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢』のこと。

ヨハネ2:16ーすべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

 

 

あらゆる種類の試練は、この三つのどれかに当てはまります。

マタイ4章でイエスが会われたサタンからの試練も、これに該当します。

 

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 ①肉の欲「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」- 4:3

40日間の断食を終え、肉体的に飢えていたイエスに対する試練。

*あなたが神の子なら…サタンは、イエスが神の御子だと知っていた。

石をパンに変えるという『メシア的力』を自己満足のために使わせることにより、罪を犯させ、メシアとして失脚させようとしました。

イエスは全世界の人々のための『メシア』であるので、自己満足のためにメシア的力を使うことは、御父のみこころではありませんでした。イエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」申命記8:3のみことばを引用して、試練に打ち勝ちました。

 

②目の欲「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」- 4:9

 *ひれ伏して私を拝むなら…サタンはたった一度でもイエスが自分を拝めば、すべての国々の対する権威を与えると誘惑しました。

 

イエスが世界の国々を支配することは、御父のみこころでした。しかし、それは十字架を通してのみ得られるものでした。(最終的な成就は、千年王国でとなります。)

 

③暮らし向きの自慢「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」- 4:6

 

サタンはイエスに向かって、『自分が主張している者(メシア)』であることを証明するように挑戦しました。マラキ書に、メシアは突然その神殿に現れるという預言が、サタンの誘惑の背景にあるからです。

マラキ3:1「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。

彼はわたしの前に道を整える。

あなたがたが尋ね求めている主が、

突然、その神殿に来る。

あなたがたが望んでいる契約の使者が、

見よ、来ている。」と万軍のは仰せられる。

 

イエスは、私たち信者が経験するこれら三つの分野の『すべての点で試みに会われた』のです。そのため、イエスは試練に会うことがどのようなものかを理解されており、憐れみ深い『大祭司』として、天でとりなしていてくださるのです。

 

 

ヘブル4:16ーですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 

*ですから…直前に学んだことの適用。 

 ヘブル書の受取人/読者たちには、第三の天に大祭司がおられます。そのお方は、人となって来てくださり、人間の肉の弱さや試練を体験され、理解されている憐れみ深い大祭司ですから、そのお方に寄り頼むべきでした。

 

*近づこうではありませんかギリシャ語の時制は、現在形。継続する動作を意味する『近づき続けよう』の意。

 

*大胆に…信者は、この大祭司に自由に語りかけ、必要を申し出ることができます。

 

*あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるため… 信者が、この『大祭司』に近づく目的。恵みの活用。

 

ヘブル書の受取人/読者たちが通過していた苦難と迫害への解決策は、ユダヤ教への回帰ではなく、彼らの大祭司であるイエスを大胆に最大利用することでした。

信者にとって、霊的生活で躓く時、それは恵みが不十分なのではなく、与えられている恵みを十分に認識できていないことが原因なのです。 

 

私たちも与えられた恵みを十分に認識し、大胆に大祭司であられるイエスに近づくことができますように。