サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヘブル人への手紙 6:9~20 〜救いの確実性〜

キリストの福音ー福音の三要素ーを信じて信仰告白した者は、たましいの救いをすでに受けています。

 

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しかし、たましいが現在の肉体と共にある間は、この世にあって苦難があります。

人間は元々原罪により自己中心的な存在ですから、ともすると、この世の苦難からの慰めや励ましの手段として癒しを求めて聖書を読み、理解しようとしてしまいます。

そのような『救い』の側面もありますが、聖書は人間中心に読むのではなく、イスラエル中心に神がどのようにご自身の栄光を現そうとされているのか、ご計画をお持ちなのか、そのような『神中心』に読み解く必要があります。

 

最終的な救いの完成は、この世の苦難やたましいの救いだけでなく、肉体も贖われるときー栄化ーです。

それはつまり、キリストの再臨の時に、復活し/栄光のからだが与えられます。(教会時代の信者は、空中再臨/携挙の時、旧約時代の義人たちと患難時代の聖徒たちは、千年王国前。)栄光のからだでキリストの御国に住まうこと、これこそが信者の希望なのです。

 

ヘブル書の受取人/読者たちは、たましいの救いを得ていた人たちですが、ひどい迫害の時代にあって、霊的幼子だったために、せっかく信じたものの一度キリスト信仰を横におき、形だけでもユダヤ教に戻り、神殿で動物のいけにえをささげたら、少なくとも迫害に苦しまずに済むかもしれないと考えていた人たちでした。

 

著者はそのような彼らに、ユダヤ教の三本柱である『モーセ、御使い、レビ的祭儀制度』と『キリスト』とを比較し、より優れたキリストに留まるように説得する目的でこの手紙を書きました。当時、 AD70年の裁きがもうすぐそこまで迫っているという状況でした。

 

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ですから、9〜12節で著者は、迫り来る危機が、希望の慰めを取り去ることはないということを教え、救いの完成につながるわざを行なう責任について記しています。

 

 

ヘブル6:9ーだが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いに繋がることです。

 

*愛する人たち…この手紙の受取人/読者たちが『信者』であることを意味。

 

*あなたがたについては、もっと良いことを確信しています…受取人/読者たちが、霊的幼子の状態を脱して、成長していくことを確信しています。つまり、それは、救いの完成に繋がるわざ(行ない)をするようになるということです。

 

すでに救いを得てはいますが、彼らが『救いに繋がっている』ということが明らかとなるわざ(行ない)をすることができるようになるためには、みことばを学び、意味を理解し、実践することが必要です。

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これまで著者は、受取人/読者たちに対し厳しい言葉で警告を発してきましたが、彼らが霊的に成長し、信仰の歩みが前進することを確信しています。

この時点で、警告されていた危機はまだ彼らに及んではいませんでした。

 

*もっと良いことヘブル6:8で語られた、いばらやあざみより良いこと。

 

 

ヘブル6:10ー神は正しい方 であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。

 

ここで著者は、神が彼らについて覚えておられる五つのことを列挙しています。 

神はあなたがたの行いを忘れず…彼らの以前の行いは、彼らが『救われている』ことを証明していました。

エペソ2:10ー私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

 

神は彼らが神の御名のために示したことを忘れない…彼らが以前行ったわざが、神の栄光のためだったことを指します。

 

イザヤ43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、

わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

 

イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は

わたしの栄誉を宣べ伝えよう。私はあなたの中に、身を隠します。

 

③あの愛をお忘れにならない…良い働きの背後にある努力と動機に強調点があります。

 

神は彼らがこれまで聖徒たちに仕えたことを忘れない…ヘブル10:34あなたがたは捕らえられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

 

神は彼らが、また今も聖徒たちに仕えていることを忘れない。

 

受取人/読者たちは、過去に(救われた後)に良いわざを行い、そして将来も行うという著者の確信は、彼らが救われていることを証明する働きを基にしたものです。

 

 

ヘブル6:11ーそこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。

 

*私たちの希望…著者が、ヘブル5:11~14で述べた『霊的成長』という最初の望み。

それには、継続と忍耐が必要です。

 

キリスト信じた時に、私たちは『救い』を得、義と認められます。しかし、そこがゴールではなく、からだも贖われる『栄化』のときまで、霊的に成長し続ける必要があります。赤ちゃんが、人間の子どもとして誕生すればいいのではなく、そこが成長のスタートであり、成熟した大人に成長するように、神の子として霊的に誕生した者は、キリストの満ち満ちた身たけにまで霊的に成長する必要があります。

 

彼らは、忍耐によって救われるのではなく、忍耐によって完全な報酬を受けることになるのです。彼らはまた、この希望の完全な保証を受けており、この希望は最後まで十分な確信を与えます。

 

*最後まで…彼らが救いの確信を得るまでの成熟さに達するまでに、彼らの生活は信じたことを反映するということ。

 

 

ヘブル6:12ーそれは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

 

*あなたがたが怠けずに…著者が切望したことの一つ目。

『なまけ』ヘブル5:11では、彼らは『なまけて、耳が鈍くなって』いました。

著者は、受取人/読者たちがそのような状況を脱することを望んでいました。

 

*信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となる…著者が切望したことの二つ目。

彼らは信者として、信仰に留まり続けなくてはなりませんでした。そのためには、忍耐を駆使して、約束されたことが時間がかかっても必ず達成されると実感する必要がありました。

『ならう者となる』ギリシャ語:『真似る』の意。

彼らは忍耐によって、約束のものを手にした人々の真似をする必要がありました。その『真似る』べき人々が、ヘブル書11章で列挙されている人々でした。

 

ここでの『約束』は、文脈上、霊的成熟に達し、来るべき世であるメシア的王国/千年王国において報酬を得ることでした。

 

ヘブル6:13ー神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、

 

アブラハムに約束されるとき…神がアブラハムに約束された『アブラハム契約』の条項(子孫・土地・祝福)は、将来成就するものであり、アブラハムに忍耐を要求しました。

 

*ご自分をさして誓いアブラハムが確信を持って忍耐できた理由は、神の彼に対する約束のためでした。神ご自身の性質によって、その約束は信頼できるものだからです。

 

ヘブル6:14ーこう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」

 

*わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす創世記22:16~17の引用。

神の約束は、神が神であるために信頼に足るのです。

神は、アブラハムの忍耐を確認するために、長い期間を経て、アブラハムの約束を再確認しました。

 

 

ヘブル6:15ーこうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

約束の子イサク誕生への言及。神がアブラハムに約束されてから、イサクが誕生するまでに25年をかかりました。彼は25年間という忍耐を通して、約束された子を得たのです。アブラハムは、忠実である良き例となりました。

 

 

まだ実現していない約束については、『確信を持って待つ』必要があります。

 

神が約束をされるとき、二つのことが起こります。

⑴ すべての人間の反論をやめさせます。

⑵ 誓いをもって保証されます。

 

ヘブル6:16ー確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。

 

*人間は自分よりすぐれた者をさして誓います…人間は自分よりすぐれたものとして、祭壇や神殿を指して誓っていました。それは、自分に反論をやめさせました。

人が何か偉大なものを指して誓うとき、その約束を果たすことを誓うことになります。

人は自然に、自分より高い権威に対して誓いをするのです。

 

神は最高の権威者であり、神のことばは確かなものです。神は、人の誓いに対しても確かなものとされました。

しかし、神よりも偉大なものは存在しないので、神のことばに逆らうことはできません。

 

 

ヘブル6:17ーそこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。

 

神はアブラハムとその子孫に対するご計画の変わらないことを、ご自身の名にかけて誓われました。それは、神とアブラハムとの間の誓いであり、神がアブラハムに対して誓われたのです。

神の約束は、それだけで十分のはずですが、神は変わることのないみことばをもって誓われたのです。まるでご自身のみことばが不十分であるかのように…。

このようにして、神の約束は、契約として信じるに足るものとされました。

…そして、その約束は必ず成就します。

 

 

ヘブル6:18ーそれは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません――前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。

 

*変えることのできない二つの事がら…①アブラハムに与えられた約束が、変わらないものであることー創世記12章

②逃れて来た者たちに対する力強い慰め/励ましを与えるため。

旧約聖書の『逃れの町』の概念が、このみことばの背景にあります。人が逃れの町に逃げるだけでなく、信者たち(ここでは、受取人/読者たち)にとっては『前に置かれている』メシア的希望である逃れの場に逃れることを意味します。

アブラハムと同じように、彼らもまた忍耐強く、その約束の成就を待つべきでした。

 

 

19~20節では、著者は天の御国の入口であるイエスに関して述べています。

御国に入るための『霊的成熟を得る』という神の約束は、すでに御国に入られ、信者の『逃れの町』となられたメシアによって確かなものとなります。

復活後の昇天により、イエスは今 天におられるという事実が、この約束が成就する確信となっています。

 

ヘブル6:19ーこの望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。

 

*幕の内側…イエスは、天の至聖所の内幕です。イエスが天におられるが故に、この希望は神のご臨在の中にあります。

 

アブラハムの真理はまた、彼らの真理でもあります。彼らが信じるものは、実在しているものであり、今 受取人/読者たちに必要なものは、忍耐なのです。彼らは、キリストにある迫害から逃れようとするのではなく、むしろ彼らが住んでいる所で、神の約束の成就を待ち望むというのが、彼らの前に置かれた希望でした。

 

この神の望みの確かさには、四つの事実が与えられています。

①たましいの錨ヘブル2:1の問題を避けて、漂流するたましいの錨。

ヘブル2:1ーですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

 

②彼らの望みは確かなものであり、不滅のもの。

 

③それはしっかりとしたものであり、内面的強さを与えます。

 

④それは、天の至聖所の幕の中におられる神のご臨在です。

 

 

ヘブル6:20ーイエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。

 

*先駆け…後から続く者たちの最初であり、後から続く者とは信者たちのこと。 

イエスは復活の初穂であり、栄光の復活のからだをもって天に行かれました。それと同じように、信者たちも栄光のからだに変えられて天に行くのです。

 

*メルキゼデクの位に等しい大祭司… 著者がヘブル5:10で横に置いておいたメルキゼデクの位に等しい大祭司になられたイエスの故に、神の約束は信じるに足るものです。5:10で著者は、受取人/読者たちが理解するには難しいだろうと思っていた『メルキゼデク』のことをここで引き合いに出し、霊的成熟を目指すように励ましています。

 

メルキゼデクについての詳細は、7章で。