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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヘブル人への手紙 7:1~3 〜メルキゼデクとイエス〜

著者は、ヘブル5:10~11で一度メルキゼデクに触れていますが、それは受取人/読者たちにとっては『堅い食物』であったため、一旦横に置いて『信仰的に成長するように』と促しました。

ヘブル5:10~11ー神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。

 

 

その上で、ここで再度旧約聖書に記されているメルキゼデクの特徴を基に、三つの比較をしています。

メルキゼデクの歴史的記録は、創世記14:18~20、詩篇110:4に記されているだけですが、著者はこれらの箇所からイエスとの類似点をあげています。

 

ヘブル7:1~3では、第一の比較が記されています。

 

ヘブル7:1ーこのメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。

 

創世記14:18~20ー さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。 「祝福を受けよ。アブラム。 天と地を造られた方、いと高き神より。

あなたの手に、あなたの敵を渡された  いと高き神に、誉れあれ。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

 

【メルキゼデクとイエスの間にある六つの類似点】

 

①王であり、祭司である…最初の類似点は、メシアであるイエスが『王』であり『祭司』であるのと同じように、『王であり、祭司』だということ。

 

メルキゼデクは、『シャレムの王』でした。シャレムは、『エルサレム』として知られています。

詩篇76:2ー神の仮庵はシャレムにあり、

その住まいはシオンにある。

  

②いと高き神の祭司からの祝福…『いと高き神の祭司』がアブラハムを祝福したように、メルキゼデク級の祭司イエスが、私たち信者を祝福してくださるのです。 

 

 

ヘブル7:2ーまたアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。 

 

③十分の一のささげものをささげたり、受け取られること…『十分の一をささげる』という行為のポイントは、身分の下の者から上の者に対してということ。 アブラハムは、メルキゼデクが優位な身分にあることを認識して、戦利品の十分の一をささげたのです。

 

*メルキゼデク…『正義の王』の意。

*シャレム…『平和』の意。

イエスはメルキゼデクの位の祭司であり、彼の優位性は他のどの祭司よりも優ります。

 

 

ヘブル7:3ー父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。

 

④メルキゼデクは、イエスと同じ『大祭司』…メルキゼデクの祭司制は、突然『神の大祭司』として登場するというもの。 両親や家系に関する記述は何もありません。

 

メルキゼデク級の祭司に限り、その祭司職において先祖の家系は重要ではなく、人間関係からは独立しているということ。


メルキセデクとアブラハムとの出会いは、まだモーセの律法が与えられる前であり、律法の支配下にはありません。

また、メルキセデクは異邦人ですから、たとえ律法があったとしても、異邦人は律法の下にはありません。


同じように、祭司としてのイエスも律法の支配下にある地上の神殿ではなく、律法とは別の天にある真の聖所における大祭司の務めをされています。


レビ族のアロンの家系においては、アロンの子孫であることを証明できなければ、祭司にはなれなかったため、メルキゼデクのケースとは異なります。 これは民数記16~17章の律法から始まったことです。バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちの多くが祭司として申請しましたが、何人かはアロンの子孫であることを証明できず、祭司として不適格とされました。

 

エズラ2:61~63, ネヘミヤ7:63~65ー祭司の子孫のうちでは、ホバヤ族、コツ族、バルジライ族。――このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘のひとりを妻にめとったので、その名をもって呼ばれていた――

これらの人々は、自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。

それで、総督は、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは最も聖なるものを食べてはならない、と命じた。

 

レビ的祭司制度において系図はとても重要でした。しかし、メルキゼデクの祭司制度においてはそうではありません。メルキゼデクの誕生も、祭司としての始まりも終わりも確かに起こったことですが、それらに関する記録は一切ないのです。

 

⑤メルキゼデクの祭司制は、永遠…いつまでも祭司としてとどまっています。 レビ的祭司は、その始まりも終わりもはっきりしています。しかしメルキゼデクの場合は、家系の中の誰か別の祭司によって受け継がれたという記録はありません。

 

レビ的祭司が、25~50歳 (25~30歳はおそらく見習い期間) までの限られた期間の祭司であるのに対し、メルキゼデクは祭司として永遠にとどまるのです。

民数記8:24~25ー「これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。 しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。 聖書に記された記録によれば、彼には終わりの記述がなく、メルキゼデクの祭司制は永遠です。

 

⑥メルキゼデク級の祭司は、すべての民のための牧者としての役割を持っている…メルキゼデク級の祭司は、一国だけに限らず、普遍的にすべての民に対してです。 イエスもまた『普遍的祭司』です。

レビ的祭司はその働きにおいて、イスラエルの民に対してのみという制限がありました。

 

*メルキゼデクは、神の子に似た者とされた…ここでのポイント。 ある人々は「メルキゼデクは、受肉前のキリスト」だと主張しますが、幾つかの理由によりそれは否定されます。

 

a) 聖書の記述において、メルキゼデクが『神の子に似た者とされた』のであって、旧約聖書における『神の子だった』と言っているのではありません。

 

b) 詩篇110:4においては、メルキゼデクとメシアを分けています。

 

c) ヘブル5:1によれば、祭司の前提条件の一つに『人間であること』を挙げています。 イエスは処女マリヤが聖霊によってみごもるまでは、『人間』にはなられませんでした。 イエスの受肉前の顕現は、人のような姿であっても『人間』そのものになられたわけではありません。

 

d) 旧約聖書における神の顕現は、現われたり、消えたりしました。ある任務に長く留まることはありませんでした。

創世記14章におけるメルキゼデクは、エルサレムの町の王としてそこに住み続ける必要がありました。 神の顕現は、一つの地位にあり続けることはありません。神の顕現は常に短期間であり、一時的な現われでした。

 

また、ある人々はメルキゼデクの名前が『正義の王』を意味することから、メルキゼデクはイエスに違いないと思っています。

メルキゼデクの名前の後半部分の『ゼデク』は、エブス人の王朝の名前であることを示しています。『ゼデク』という名前の語源は、アドニ・ツェデクの『ツェデク(ゼデク)』が示すもの以外何もありません。

 

ヨシュア記10:1ーさて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、

 

メルキゼデクの名前の持つ意味は、『私の主は正義です』というものであり、エブス人の王朝の名前です。それがメルキゼデクの名前であり、人柄ではありません。

メルキゼデクは、異教徒です。 彼は、ヨシュアが倒し、打ち勝った王たちの一人です。 メルキゼデクは、本当の人間でした。

彼は、受肉前のキリストの顕現ではなく、『メシアの型』だったのです。 このような理由により、メルキゼデクは『神の子に似た者』とされています。