神が結ばれた『八つの契約』の中で、『エデン契約』と『モーセ契約』だけが条件付き契約でした。
『エデン契約』では、「善悪の知識の木の実を食べるその時、必ず死ぬ」と言われていたのに、蛇にそそのかされたエバは食べ、一緒にいた夫アダムにも与えた結果、アダムも食べてしまいました。
『モーセ契約』では、ユダヤ人が神の律法(全部で613ある)に従えば祝福があり、違反すれば裁きがありました。合格点は613全てを守るということだったため、すべてのユダヤ人は罪ある者だということが明らかとなりました。
律法には、後にモーセのような預言者が出て来たら、彼に従うようにという命令も含まれますー申命記18:15, 18。神の忍耐はここにあったのです。メシアが来られるまで、律法違反を繰り返す民を矯正しながら導いてこられました。
しかし、『モーセのような預言者』としてメシアが来られた時、ユダヤ人たちは神の命令よりも当時の指導者たちの言うことに従い、メシアを拒みました。
その結果、契約に違反したことによりモーセ契約は無効となりました。つまり、『モーセ契約』は一時的なものであったのです。一方のメシアによる『新しい契約』は永遠です。
ヘブル8:1ー以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、
ヘブル8:2ー人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。
*私たちの大祭司は天におられる…イエス祭司職は、メルキゼデクの後を継ぐものです。地上におけるコピーではなく、天にある真の幕屋での大祭司となられました。
モーセによる地上の幕屋は、この天にある真の幕屋の写しに過ぎなかったのです。
地上の幕屋は人の手によって作られましたが、イエスが仕える天の幕屋は、神によって建てられた『真の幕屋』です。
イエスは御父の右の座に着かれました。
現在、イエスは『ダビデの王座』からではなく、父なる神の王座に座しておられます。
イエスは『モーセのような預言者』として、また『神の小羊』としての地上での務めを終えられたので、御父の右の座に座ることができるのです。そこは地上のエルサレムではなく、第三の天からの支配です。
3〜5節で著者は、二つの三段論法で、メシアの高貴な務めを証明しています。
三段論法はまず大前提を述べ、小前提がそれに続き、最後に結論を述べるものです。
ヘブル8:3ーすべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます。したがって、この大祭司も何かささげる物を持っていなければなりません。
最初の三段論法は、3節にあります。
大前提:大祭司の務めは、いけにえをささげることである。
小前提:イエスは大祭司である。
結 論:したがって、イエスは何かささげる物を持っているはずである。
*イエスがささげなくてはならない物…へブル9:11~10:18参照。
ヘブル8:4ーもしキリストが地上におられるのであったら、決して祭司とはなられないでしょう。律法に従ってささげ物をする人たちがいるからです。
二つ目の三段論法は、4節にあります。
大前提:メシアの祭司の務めの範囲は、天上か地上かのどちらかだということ。
小前提:地上にはモーセの律法に基づく、イエスとは別のレビ系祭司たちが存在するため、地上ではありえない。
結 論:イエスの務めは地上の幕屋ではなく、天上の幕屋である。
*天上の幕屋…へブル9:1~10参照。
ヘブル8:5ーその人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」
5節で著者は、本物の『天の幕屋』とその写しである『地上の幕屋』について記しています。
イエスはユダ族のダビデの家系から生まれました。『レビ系祭司』ではなかったため、地上の幕屋で仕えることはできませんでした。
そのため、イエスの仕える幕屋は、天上の幕屋でなければならなかったのです。
なぜなら地上の幕屋での務めは、厳しい律法によって『レビ族の祭司・アロンの家系の大祭司』と制限されていたからです。
*写し…これらの律法は、律法の発信者であるモーセでさえ破ることはできなかったほど厳しいものでした。それでも、地上の幕屋は天にある本物の幕屋の『写し』であり、単に天上の幕屋の型を真似たものでした。
*影…実質とは対照的なもの。 それは詳細のない一般的な概要であり、『型』を真似たものでした。
したがって、地上の幕屋(神殿)は、天上の幕屋に変わらなければなりませんでした。地上の『一時的な幕屋』は、『永遠の幕屋』にかわらなければならないのです。
『一時的であり、条件付きの契約』は、『永遠であり、無条件の契約』によるシステムに変わらなければなりませんでした。
ヘブル8:6ーしかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
*しかし今…著者の結論。
イエスはより優れた天の幕屋で、より優れた務めを得ておられます。
この務めはより良い契約に基づくものであり、それが8章の残りのテーマとなっています。
*さらにすぐれた契約の仲介者…『新しい契約』という、より優れた約束に基づくより優れた務め。
神と人との間でなされる契約には、『仲介者』が必要です。
旧い契約である『モーセ契約』は、モーセが契約の仲介者であり、アロンが祭司でした。
しかし、イエスは神であると同時に、人である『新しい契約』の仲介者であり、祭司です。
ガラテヤ3:20ー仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜る神は唯一者です。
*新しい契約…新しい約束に基づいた、旧い契約より優れた契約。
『旧い契約/モーセ契約』は律法に基づいた契約であり、律法に従順であれば祝福を、不従順であれば呪いと死をもたらしましたが、『新しい契約』は神様の恵みに基づき、信じる人々に義を与え、祝福の拡大をもたらします。これが『より優れた』至聖所における御子である大祭司の務めに基づく契約です。
ですから、恵みの時代に生きる私たちは、旧い契約の律法に縛られるのではなく、より優れた新しい契約に基づいて、自由に神に近づきましょう。御子イエスの十字架の贖いにより、それが可能となったことを感謝しつつ…。
二度と奴隷のくびきを負わされることがありませんように。ー祈ー