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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

右手のなえた人 〜ルカ6:6~11〜

ルカ6:6ー別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。

 

*安息日出エジプト記20:9~10ー六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――

 

*会堂ユダヤ教の『シナゴーグ』 

 

*右手のなえた人…多くの人々にとって右手は利き手です。その『手がなえている』ということにより、日常生活にはたくさんの支障が伴います。

当時は、肉体的不具者は『罪の結果』という考え方があり、この人は社会的にも肩身の狭い思いをしていたと思われます。

 

 

ルカ6:7ーそこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。

 

*人を直す…パリサイ人たちは、安息日に人を直すことを『仕事』とみなしていました。例えば、39℃の熱がある人を、それ以上熱が上がらないようにすることは許していましたが、38.5℃に下げることは『治療』とみなして禁じていました。

 

*訴える口実…パリサイ人たちは、記述律法である『モーセの律法』だけでなく、モーセの律法を守るために、後から人が付け足した『口伝律法』をも権威あるものとして認め、人々に守るようにと教えていました。そのため、当時の人々はたくさんある『口伝律法』にがんじがらめにされていました。

それをイエスは矯正され、口伝律法を廃棄され、神が与えた本来の『モーセの律法』をすべて全うされました。また、人々はイエスのメシアとしてのわざやその教えに驚き、イエスのうわさは広まっていきました。そのために、パリサイ人たちからの妬みを買うことになったのです。だから、彼らはなんとしてもイエスを訴えたかったのです。 

 

 

ルカ6:8ーイエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。

 

*知っておられた…イエスは肉体を持った人として来られましたが、神としての性質も同時に持ち合わせておられたので、パリサイ人たちの考えを知っておられたのです。 

 

*「立って、真ん中に出なさい」…それまで会堂で座っていた人が、みんなの前に立つように言われた時の気持ちはどんなだったでしょう?

その人の気持ちとは別に、イエスは何のためにその人を真ん中に立たせたのでしょうか?

この時のパリサイ人たちの『目』、そこに居た人々の雰囲気はどんなものだったでしょう?

 

*起き上がって、そこに立った…右手のなえた人は、イエスの命令に従いました。

この時点ではまだその人は、イエスの命令に従うということの意味を理解してはいませんでしたが、イエスに『従う』ことによって何を失い、何を得ることになるでしょう?

イエスはこの人をどのような思いで見ておられたと思いますか?

 

 

ルカ6:9ーイエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」

 

*あなたがた…主に、人々の指導的立場にあったパリサイ人たちに対して。

ユダヤ人たちは『指導者コンプレックス』があり、民間レベルで『イエスがメシアかもしれない』と思っても、指導者たちが否定すると、自分たちが見聞きしたり経験したことよりも指導者の言葉を優先させ、イエスのメシア性を否定してしまいました。 

 

osusowake.hatenablog.com

 

*善を行うことなのか。いのちを救うことなのか。…『安息日』の規定を、本来の趣旨から離れ、形式的なものに変えてしまったパリサイ人たちにとって、この質問はどのように響いたでしょう?

ハッ!と気づきがあり、民の指導者としての責任感があれば、モーセの律法本来の意味に立ち返ることはできたでしょう。

しかし、もし『指導者』としてのプライドに凝り固まってしまっていたら、イエスの正しい教えに耳を傾けることなく、自分たちの『私的解釈である口伝律法』を押し通したことでしょう。

 

私たちも、人から出た教えなのか、神から出た教えなのか、みことばによって確認する必要がありますね。

 

右手のなえた人にとって、イエスのこの問いかけはどのように響いたでしょう?

 

 

ルカ6:10ーそして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。

 

*みなの者を見回してから…9節のイエスの問いに答える人は、誰もいなかったのでしょう。

 

*「手を伸ばしなさい」…長年、右手がなえた人にとって このことばはどのように響いたでしょう?

 

*そのとおりにすると…「立って、真ん中に出なさい」という命令は、歩くことのできるこの人にとっては、従うことはある意味容易でした。しかし、今回は動くことのなかった『なえた右手を伸ばす』という命令です。

その命令に従うには、何が必要でしょう?

 

*元どおりになった…この人が『イエスのことばを信じて従った結果』です。

 

 

ルカ6:11ーすると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。

 

*彼ら…パリサイ人たち

 

*すっかり分別を失って…この出来事を目撃したパリサイ人たちは、民の指導者として神に対する正しい姿勢を持っていたのでしょうか?

 

*イエスをどうしてやろうかと話し合った…本当に『律法や預言書』=旧約聖書に従った指導者であったなら、イエスがメシアであることに気づけたはずです。

なぜなら、律法はメシアに導く『養育係』だからです。

ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 

ルカ16:29ーしかしアブラハムは言った。『彼らには、*モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』

*モーセと預言者…律法と預言書=旧約聖書

 

パリサイ人たちような指導者に従いたいと思いますか?

神のみことばから出ているのか、人の私的解釈なのかは、みことばによって判断するしかありません。そこを怠らないように気をつける必要がありますね。

 

使徒17:11b非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

 

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