サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

実のないいちじくの木 〜マタイ21:18~22〜

聖書には、キリストの公生涯最初の悪魔の誘惑にあう前の40日間の断食と関連させた『受難節』という記述はありませんが、エルサレム入城から公生涯最後の一週間である『受難週』が始まります。

 

 

マタイ21:18ー翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。

 

*翌朝エルサレム入城の次の日。受難週の月曜日。

 

*都に帰るエルサレムの都。ベタニヤのラザロ、マルタ、マリヤたちの家から向かわれましたが、エルサレムには神の神殿があるため、イエスは『都に帰る途中』と記されているのでしょう?

エスさまは、エルサレムの神殿を『自分の父の家』だとルカは記しています。

 

ルカ2:49するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」

 

*空腹を覚えられた…メシアの人としての性質。私たちと同じ『肉体』を持っておられたため、空腹を覚えられました。

 

 

マタイ21:19ー道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。

 

*いちじくの木…普通は、葉が生い茂ると同時に実がなっているものですが、このいちじくの木には葉ばかりで、実がありませんでした

 

象徴的な意味では、エスの初臨〜現代の神の契約の民『ユダヤ人』を指します。

本来ならば、彼らがまずイエスが『メシア』であることを認め、『御霊の実』を結ぶべき人々でした。

 

ちなみに、『ぶどう畑・木』は、旧約時代のユダヤ人、

オリーブの木』は、将来の患難時代のユダヤ人を指すこともあります。

 

*「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」…イエスのメシアとしてのしるしを『悪霊のかしら、ベルゼブルのわざ』としてイエスを退けた、初臨当時のユダヤ人たちに対することば。

 

 

マタイ21:20ー弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」

 

マルコの福音書によると、枯れたいちじくの木の説明は『翌日』になっています。

マルコ11:20~21朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。

ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」

 

エスのメシア性を拒んだ『この世代』に対する裁きは、十字架から40年後のAD70年にローマ軍により、神殿とエルサレム崩壊、世界離散という形で起こりました。

 

 

マタイ21:21ーイエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。

 

*信仰を持ち…キリストの福音を信じること。

 

1コリント15:3~4私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと

 

 

マタイ21:22ーあなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

 

*信じて祈り求める…神の御心に叶った信仰による祈り。

 

ヨハネ14:11~14わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
 
ヤコブ4:3願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
 

キリストを信じる者は、神が何を望んでおられるのかを考えるようになり、祈り続けていく間に『神の栄光をあらわす』という目的に沿った祈りをするように整えられていくのです。

神のご計画に沿った祈りが『必ず聞かれる祈り』です。

 

 

 

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