ユダヤ人が用いる譬え話には、個人名は出てきません。
常に『ある人/ある金持ち/女の人』という表現が用いられています。
逆に、実話の場合は個人名が用いられています。
また、象徴的な意味として
・ぶどう園、ぶどう畑…旧約時代のイスラエル(ユダヤ人)ー過去
を表します。
そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
詩篇147:19~20ー主はヤコブには、みことばを、
イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主はどんな国々にも、
このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知っていない。
ハレルヤ。
神は、旧約時代のイスラエル(ユダヤ人)とモーセ契約を結び、『律法』をお与えになりました。
そのモーセの契約の律法が有効な時代を『旧約時代』と呼びます。
旧約時代は、キリストの十字架の血によって『新しい契約』が承認されたことにより終了し、ペンテコステ(律法では『七週の祭り/五旬節』)で聖霊が降ったことにより、『教会時代』がスタートしました。
キリストの十字架〜ペンテコステまでの間は、旧約時代から新しい教会時代への『移行期』となるわけです。
神は、律法を通してユダヤ人たちに『メシア』の到来を受け入れられるようにと、導いてこられました。
ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
*私たち…パウロを含む当時のユダヤ人たち
このようなことを踏まえて、ルカ13:6~9を見ていきたいと思います。
ルカ13:6ーイエスはこのようなたとえを話された。
「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
*ある人が…譬え話
*ぶどう園…象徴的には『旧約時代のイスラエル』を意味。
ここでは、メシアとして来られたキリストの初臨時のユダヤ人たちのこと。
*いちじくの木…象徴的には、『律法』による養育期間も終わり、メシアを受け入れる準備のできたユダヤ人たちのこと。
*実を取りに来たが、何も見つからなかった…メシアとして来られたイエスを受け入れたなら、『信仰の実』が実っているはずであったが、当時のユダヤ人たちは『ベルゼブル論争』により、民族的にメシアを拒んだ結果、信仰の実は何も結べていなかった。
ルカ11:15ーしかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言う者もいた。
ルカ13:7ーそこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
*三年もの間…過越の祭りで始まり、過越の祭りで終わるキリストの公生涯。
神は、キリストの公生涯の3年(半)の間、律法を与え、養育してきたユダヤ人たちがメシアを信じ、受け入れることを願って待っておられました。
メシアの公生涯のスタートは、バプテスマのヨハネによるヨルダン川でのバプテスマからですが、最初の半年間はガリラヤ地方での準備期間でした。
バプテスマからの半年後、過越の祭りでエルサレムに上られた時、ご自身をメシアとして多くのわざをなさいました。そして3年後の過越の祭りで、神の小羊として十字架にかかり、私たちを贖われたのです。
*切り倒してしまいなさい…民族的にメシアを拒否したユダヤ人たちは、AD70年にローマ軍によって倒されてしまいました。
ルカ13:8ー番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
8節は、ぶどう園の番人による『とりなし』です。
このとりなしの結果、イエスを拒み、十字架につけた世代の裁きはすぐにはきませんでした。イエスはAD30年に十字架にかかりましたが、 十字架につけた世代の裁きは、それから40年後のAD70年に起こりました。
神は40年もの間、忍耐をして待っておられたのです。
イエスは、今も私たちのために天でとりなしてをしてくださっています。
神が忍耐されている間に、恵みの時代である『教会時代』が続いているうちに、メシアを信じることができますように。
ルカ13:9ーもしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
*40年の間の使徒たちの働きにより、イスラエル国内外に住む多くのユダヤ人たちがイエスをメシアとして受け入れ、また、多くの異邦人たちも福音を聞いてイエスを信じるようになったという史実が、使徒の働きには記されています。
教会は本来、イエスをメシアとして信じるユダヤ人信者と異邦人信者と建て上げていく集合体です。
異邦人クリスチャンは、長い間、『ユダヤ人はイエスを拒んだ結果、神に捨てられた』として、自分たちこそ『信仰による(霊的)イスラエル』だとした間違った教えを信じてきました。
しかし、神は、そのご計画の中で将来のイスラエルとして『オリーブの木』の譬えをもって、ご自分のご計画を明らかにされています。それをローマ11:17~24で、パウロが語っています。
ローマ11:24ーもしあなたがたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
*野生種のオリーブの木…異邦人信者
*栽培種のオリーブの木…律法が与えられ、律法によって神に養われたユダヤ人たち(特にここでは、患難時代末期に民族的回心によって救われるイスラエルのレムナントのこと)。彼らは律法がメシアを示していることに気づいた瞬間、たやすくメシアにつがれるのです。
すべての異邦人信者が、神のみことばが示す『イスラエル』と『教会』の違いを素直に認め、自らを『信仰による(霊的)イスラエル』とする考え方を改め、イスラエルの救いを祈り求める者と変えられますように。
イスラエルを祝福する者は、祝福される。ーアブラハム契約